「バイヤーズと西田考作 その2」
坂上しのぶ
彼が天才であると確信していなかったら、私は彼をおそらく狂人だと思ったにちがいない。
バイヤーズをよく知る美術評論家ランド・キャスティールの言葉である。
1960年代後半、ニューヨークのアート・シーンに突如として現れたジェイムズ・リー・バイヤーズ(James Lee Byars, 1932-1997)。彼は、呪いの数字「666」が刻まれた紙をばら撒いたり、古い教会のてっぺんから意味不明な言葉を叫び続けたり、金箔をはりめぐらせた黄金の茶室をつくったりした。彼のパフォーマンスは、時にカルト的不気味さと終末論的な静謐さをただよわせ、美の異端者として、死後30年近い年月を経た今もなお、その名を世界で不動のものにしている。
1932年にアメリカのデトロイトで生まれたバイヤーズは、1958年から67年までの約10年間を日本で過ごしている。彼の芸術は禅や仏教思想、神道、能、茶道、書など、多岐にわたる日本文化から多大なる影響を受けた、と多くの文献で語られながら、しかし、とりわけ彼の日本での生活については、ほぼ調査研究がなされず、美術関係者のあいだでも知られているところが少ないのが実情だった。
筆者は、若きバイヤーズが日本で暮らした約10年間と、白石コンテンポラリーアートで開催された個展のために訪れた1993年末の短期来日、さらに1996年11月に末期がんを患った体で訪れた後の約3ヶ月の日本滞在、そして1997年5月23日未明に亡くなるまで過ごしたエジプトでの最後の日々を調査し、『James Lee Byars: Days in Japan』と題して、2017年に本を出版した。2020年には『刹那の美』と題した日本語版を発行。そこでクライマックスともいうべき「最後の来日」の章の約9割、20ページ近くを奈良のエピソードに割いた。なぜなら、もう既に歩くこともままならない、いつ死んでもおかしくないと複数の医者から太鼓判を押されていたにもかかわらず、彼は2ヶ月余の奈良滞在のあいだに、領収書が残っているだけでも3,293,345円もの“他人の金”を浪費して、“逃避行”の日々を送っていたからである。領収書がないものも含めればゆうに400万以上は使っていた。そのほぼすべてを引き受けたのが西田考作だった。むろん止むを得ずの立て替えで、領収書があるものについてはのちにバイヤーズを扱うMichael Werner Galleryから返金されている。とはいえ一銭も金を持たず、クレジットカードは使用停止、けれどもそうした状況など一切おかまいなしに、電話代752,709円、ホテルの部屋代1,071,075円、何も喉を通らないはずなのに高い料理の注文だけはしていたという食事代670,584円、タクシー代218,960円、その他を費やして、バイヤーズは奈良ホテルを追い出されてもなお、奈良に留まり続けていたのである。
奈良駅のひとつとなり、新大宮のスリーエムホテルに彼が移ることができたのは、ひとえにオーナーの畑中氏が西田と親しかったからに他ならない。以下、西田の述懐(2014年12月22日)―
12月25日〜 スリーエムホテル
「お金がない、命がない、そんな外国人だけどお願いできますか」
そう私からオーナーに説明して、ホテルにバイヤーズを泊めてもらえることになった。込み入った事情も全て伝えた上で、最初はシングルにしてくれと頼んだ。狭い部屋で居心地悪かったら、日本を離れる気になるかな、と。ところがスタッフの方が、体調を考えてツインの部屋に変えてしまい、それで彼は居着いてしまった。
小山氏(スタッフのひとり)の証言―
西田さんの知り合いだからっていうのでみんな優しくしていたところもある。ここは家庭的なホテル。フロントには、何やら持ってきてくれとか部屋からしょっちゅう電話がかかってきた。ルームサービスはないホテルだけどできる限り届けてあげた。病人でというのはわかっていた。そんなに忙しくない限りできるだけ応じてあげていた。どこのお医者さんに行きたいとかどこかに行きたいとか。オフになる時間を見て、「わたしは明日休みだから病院まで連れていってあげよう」とかそういう風になっていた。みんなかわいそうだなと思っていた。異国で胃癌で助けてもらえないとなったら、誰でも自分の身になって考えたら、なんとかしてあげたいって考えるんじゃないかしら。(2014年12月22日)―
滞在中の作品について
バイヤーズは奈良の土産物屋で鹿の毛皮を大量に買っていた。縫い合わせて丸い大きな絨毯をつくり、それに自分がくるまってパフォーマンスすることを考えていた。その鹿皮は今も私の手元に残っている。
和紙を三日月型に切ってくちゃくちゃにして伸ばして、という作品をつくっていたが、サインがない。写真を撮ってMichael Wernerに送ったけれど一切返事がなかった。
2001年にワタリウムで開催された展覧会のために、和多利さんにいくつか送ったが、結局展示をしたのは奈良ホテルのコースターの裏にいろいろなプランを書いたもの20枚あまりのみだった。
筆と硯の蓋を使った作品をマルセル・ブロータース夫人が買ったとバイヤーズが言っていた。送金があったかどうかは知らないが、あったとしても一切私には言わなかったはず。結構大きなもので、硯の部分は作品にならないからお前にやるって。それは今もうちにある。
とにかく“球体”と“5”という数字にこだわっていた。
爪楊枝を墨で染めて、何百本か束ねて、黒い布で包んで、それを5つ並べる。筆を5つ並べて、これを作品だと言ったり。マラソンランナーがかけるようなサングラスを5つ、5角形に並べる。パンを唾液で湿らせて手の垢の汚れで黒い仁丹の粒みたいなのをつくって5つ並べる。黒い色紙の上に5つ並べて、これを作品だとか言う。半紙に真っ黒な円を大量に描いていたが、うちには1-2枚しか残っていない。しじみの殻を5つ並べる。しじみについては、最初は飛行機の食事で味噌汁に出てきたとか言っていた。仁丹みたいなのはパンでしょっちゅう作っていた。それを色紙に載せて額装しようとすると簡単に割れてしまう。だから作品にできない。けれども「額に入れろ」と彼が言う。でも何回つくってもダメ。それで「大量に西田に作品を預けた」って。そんなことを言っている。だから多分支払いのことは心配するなという意味もあったんでしょうけれども。ホテルの社長は、「もし支払いが大変だったら作品でもらってあげてもいいよ」って言ってくれていた。だけどサングラスを5つあげるわけにもいかないでしょう。
禅問答みたいなこともよくやっていた。答えを10個言えとか。10という数字が好きだった。美について10項目述べよとか。ずっと話をしているわけじゃなくて、どちらかといえば無言の時間のほうが結構あった。
窓の外を見ていて、「西田、あれを見ろ、美しい」。だけど、彼が何を見て美しいと言っているのかわからない。だって毎日同じ風景を見ているわけだから。車で走っていたときに公園の芝生を見ていて、「西田、あれは美しい」って言うけど、どれを指して言っているのかわからない。美しいっていう感嘆の声をあげる要素を見つける。光の加減なのか風の加減なのか。わからない。ふといいと思うのだろうと思う。だけど誰が見てもわからない。彼だけが見えた。
「来い」と言われて来て、ふた言くらいしゃべって。あとは1時間くらいそのまま。こっちも喋ることもないからそのままいたりして。帰る、って言って帰ることもあった。
あの時、小山登美夫に会ってなかったら、彼が奈良に来ることもなかった。運命。たまたま村上隆を知って。ソウルで展覧会をするって知って。それに合わせて帰って来るって言って。それからすべてがはじまった。良い悪いは別にして、強烈な個性だから記憶に残る。思い出としては懐かしい。大変だった。いやだった。だけど、今になってみると、おもしろい時間を過ごしたなみたいな気がします。……
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2021/03/10 23:47 kousaku nishida <nishida5022@gmail.com>のメール:
坂上様
一昨日、バイヤーズの作品などを送ったのですが、
その中に入れる手紙を梱包時に忘れてしまいました。
ウェルナーをはじめ、誰も作品と認めなかったものです。
一点は金色のサインペンで描いたドローイング。
次の作品は黒の色紙の中央付近に、無造作に金糸を置く、という作品です。
糸巻の折跡がついていますが、そのままでいいのです。
この金糸が、奈良ホテルでのパフォーマンスに使われたものと同じかどうかはわかりません。
何本か持っていたように思います。
これらを作品と思うのは、世界中であなたと私だけでしょう?
バイヤーズのもの、私よりあなたが持つほうがいいとおもい、その断片を送りました。
黒の色紙が何枚かあります
そこに蜆の貝殻を五角形状に置く作品があります。
これを送るかどうかはためらいます。
そう思われませんか? 貝殻ですよ。
続きは後日。
おわり。
■坂上しのぶ
1971年東京都生まれ。 1997年京都市立芸術大学大学院(油画専攻)修了。 ギャラリー16勤務を経て、2009年よりヤマザキマザック美術館開設準備室学芸員。2010年よりヤマザキマザック美術館学芸員。James Lee Byarsの研究者として世界的に知られる。第二次世界大戦前後の京都における前衛美術史の調査研究とオーラルヒストリーアーカイヴの構築を専門とする。
主要著書:『James Lee Byars: Days in Japan』(Floating World Editions、2017)、『刹那の美』(青幻舎、2020)、『前衛陶芸の時代 林康夫という生き方』(私家版、2021年)、『James Lee Byars: Days in Detroit』(Floating World Editions、2024)、『James Lee Byars: The Most Beautiful Jewel In The World』(Fondation Cartier、2025)
主要論文:「Gazing the Beauty of Nothingness」(『James Lee Byars』PirelliHangarBicocca、2024)、「Byars’s time in Japan」(『James Lee Byars: 1/2 An Autobiography』MoMA, Walther König、2025)
参考●美術手帖 2023年11月より引用再録
20世紀でもっとも謎めいたアーティストのひとり、ジェイムズ・リー・バイヤーズの精神性を回顧する展覧会が、ミラノのピレリ・ハンガービコッカで来年2月18日まで開催されている。作家と旧知のキュレーターが、米粒大の彫刻作品から20メートルを超える巨塔までを展観し、その物質性と非物質性を検証する。文=飯田真実
春にこのイタリアを代表する非営利アートセンターを初めて訪れたとき、秋に開幕するジェイムズ・リー・バイヤーズの回顧展について知らされた。1950年代後半からアーティストは10年ほど故郷の米国と日本を行き来し、そこで見た様々な文化と思想から宿命的な影響を受けたのだから、君は必ず見に来ないといけない──早口でそう言ったのは、同館の館長でバイヤーズ展のキュレーターを務めるビセンテ・トドリだ。過去の例に漏れず問いかけのような展覧会になるのかと聞けば、今回はアーティストの名前が展覧会名だという。トドリはスペインでバイヤーズの生前と死の直後に、それぞれ個展を開催している。
申し分のない美を目指してつくられる至高の作品を通じてバイヤーズに出会う旅への招待状に、胸を躍らせミラノを再び訪れた。本展は、20世紀美術におけるもっとも伝説的な人物のひとりであり、今日の芸術家たちからもヒーローとして崇められるバイヤーズの精神性を再検証する展覧会だ。神秘主義を自称し、存在のもっとも深い意味を探求し続けたバイヤーズは70年代から欧米各国をさすらい、97年のピラミッドを目前にした死においてまで完全な美との一体を求め、概念芸術とパフォーマンス・アートの分野に一石を投じた。
とくに今回は広大なワンフロアの会場を活かし、1974年から97年にかけて制作された彫刻作品や記念碑的なインスタレーションを国内外から集めた。バイヤーズと親交があったイタリア人アーティスト、マウリッツィオ・ナンヌッチと交わされた多くの書簡や、ピラミッドの建設に使われた縄を球体にし金色の幕前に祀る晩年の作品《Byars is Elephant》(1997)も含まれている。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28108
2023.11.25
◆西田考作さんを偲んで、西田画廊旧蔵ポスター展
会期:2025年11月5日(水)~15日(土) *日曜・月曜・祝日は休廊
会場:ときの忘れもの
今から40数年前、1982年1月24日に古都奈良に先鋭的な現代美術の画廊がオープンしました。
「堀内正和・磯崎新展」でスタートした西田画廊とオーナー西田考作さんについてご紹介します。
西田考作さんは奈良の旧家に生まれ育ち、自営業の傍ら、焔仁、森村泰昌、小川信治、トニ―・クラッグなど当時ほとんど知られていなかった作家たちの才能に注目し、買い集めたコレクションをもとに画廊開設を思いたったようです。
現代美術の市場が成熟していない関西にあってその独自な視点は嘱目に値するものでした。
画廊経営には苦労なさったと思いますが、やがて病に倒れ、2023年9月12日に亡くなられました。
今回、縁あって入手した西田さん旧蔵のポスター類を展示、頒布することになりました。
ぜひご高覧の上、皆さんのコレクションに加えていただけたらと思います。
出品作品:荒木経惟、磯崎新、大竹伸朗、加納光於、桑原甲子雄、田名網敬一、福田繁雄、森村泰昌、
アンディ・ウォーホル、トニ―・クラッグ、パウル・クレー、アドルフ・ゴットリーブ、
フランク・ステラ、セバスチャン、サム・フランシス、ヨーゼフ・ボイス、
ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグ、マーク・ロスコ、ジョアン・ミロ、他
*生前の西田考作さんの開廊直前インタビュー録(1982年)を11月6日ブログに掲載しました。
*2013年に西田考作さんが執筆した「殿敷侃さんのこと」もお読みください。
*坂上しのぶさんの論考「バイヤーズと西田考作」を11月12日と、13日の二回にわけて掲載します。

●ときの忘れものの建築空間(阿部勤 設計)についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。















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