ときの忘れもの ギャラリー 版画
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磯崎新

Arata ISOZAKI

建築家。1931年大分市生まれ。54年東京大学卒業。61年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。63年磯崎新アトリエを設立。代表作に[大分県立中央図書館][岩田学園][福岡相互銀行本店][つくばセンタービル][MOCA―ロサンゼルス現代美術館][バルセロナ市オリンピック・スポーツホール][ティーム・ディズニー・ビルディング][山口県秋吉台国際芸術村][トリノ冬季五輪アイスホッケーメーン会場]他。近年は頻繁にアジアに出向き、多数のプロジェクトに参加している。日本建築学会賞、RIBA賞、朝日賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、他受賞。著書『空間へ』『建築の解体』『手法が』『栖十二』『建築家捜し』など多数。

早くから建築のみならず、思想、美術、デザイン、映画などの国際的な舞台で活躍、評論や設計競技の審査を通じて、世界のラディカルな建築家たちの発想を実現に導くうえでのはかり知れない支援を果たしてきた。日本を代表するとともに、世界の建築界で最も信頼されている建築家である。自らの建築観(コンセプト)を紙の上に表現することに強い意欲を示し、77年から既に200点もの版画を制作している。現在、ときの忘れものを版元に、版画とエッセイによる連刊画文集《百二十の見えない都市》に取り組んでいる。

 

作者公式サイト
http://www.isozaki.co.jp/
http://www.arataisozaki.org/ENGLISH/span-index.html

 

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磯崎新 連刊画文集[百二十の見えない都市] 制作風景


初年度24点の版画制作の様子を御紹介します。



2001年12月15日
磯崎新アトリエで。上海のホテルで描画したリトグラフのアルミ版にリト・クレヨンで加筆する。


2001年12月22日
アトリエで。リトグラフの主版(墨版)を前に置き、アルミ版にあらたに色版をリト・クレヨンで描画する。


2001年12月24日
クリスマス・イヴの夜、アトリエの自室で、ひとり銅版にエッチング用のニードルで描画する。


2001年12月29日
アトリエの自室で。初めて銅版にソフト・グランド・エッチング技法を使って描画する。


2001年12月31日
アトリエで。リトグラフの主版(墨版)を前に置き、筆を使いアルミ版にあらたに色版を描画する。右はリトグラフの解墨(ときずみ)をつくっている刷り師の白井四子男さん。


2001年12月31日
大晦日の夜、次第にシリーズとしての連作版画が見えはじめてきた。このあとアトリエ所蔵の貴重なワインの栓を抜いて乾杯。何かが終わったわけではなく、これからが始まり。


2002年1月1日
アトリエの自室で、アルミ版に筆を使って、リトグラフの描画をする。


2002年1月1日
アトリエの自室で。年末からぶっ通しで元旦まで制作作業が続いた。右は綿貫不二夫。



連刊画文集[百二十の見えない都市] 第一期
 
連刊画文集とは、作家の作品創作と予約購買者への頒布を同時進行的に行うシリーズ版画のエディション企画です。磯崎新のほとんどの版画を版元としてプロデュースしてきたときの忘れものは、1998年8月〜99年9月の12回にわたって、版画とエッセイが予約購読者(限定35人)に郵送される[栖十二]という連刊画文集を刊行しました。
同じように制作と同時進行でパトロンを募るという今回の企画は、10年間で[百二十の見えない都市]を版画240点とエッセイ120篇で描ききるという壮大なプロジェクトです。第一期12都市(版画24点+エッセイ12篇)は2003年1月に完結しました。
引き続き第二期の刊行を進めます。

第一期 2001年7月 漏斗都市 第一期 2001年8月 地中都市
第一期 2001年9月 垂直都市 第一期 2001年10月 方城都市




「百二十の見えない都市」最新情報ブログ
ブログにて、制作状況のレポート、連続インタビューを軸に、リアルタイムで磯崎新の活動の全貌を記録し、随時発信しています。

週刊読売
2002年4月28日号の記事



 磯崎新さんからのメッセージ

Uさん、Wさん
 はじめて世界の街を旅したのちに、私はひとつの都市論をかき、「見えない都市」 という小みだしを終章につけてしまった。
言葉は呪縛するのですね。以来四十年、私の都市についての思考、提案、デザイ ン、すべてこのひとことを巡ってなされてきました。それから十年程して、イタロ・カルヴィーノが同名の小説を書き、五年程して日本語でも読めるようになった。マルコ・ポーロが、シルク・ロードで訪れた街のことをフビライ・カンに物語るという趣向です。これは小説、私のは都市論、無関係なんですが、虚構という点では同じだと気づいたのは、更に二十年後。南支那海上に島=都市をつくり、これを『海市』(ミラージュ・シティ)と命名したときでした。砂漠の都市も蜃気楼のかなたにゆらめいていた。カルヴィーノはあの光景をイメージして『見えない都市』という題を思いついたに違いない。
 どの都市も刻々と姿を変えます。記憶もあやしくなります。空想が肥大します。だ が、人々はそんな都市に住んでいると思っている。みずからの栖をつむいでいる。集合して空中に楼閣を組みあげている。想像のなかの楽園とか死後の都市のほうがよりきらびやかに飾られている。眼前の都市の姿を信じてないためでしょうか。都市が見えないことを直観していたためだと私にはみえます。

 Uさん、Wさん
あなたがたは、私が一ダースしか住宅の設計をしてないことを知っていたのです ね。だから、先回の企画『栖十二』という数が算出されたのでしょう。都市については四十年以上やっている。スケッチブックを持ち歩いている。異った街で、違った地勢をみると、無理を承知でコンペに参加している。これは、つかみどころのない『見えない都市』を相変らず捜しつづけている証拠ではないか。もう十年しか残っていないよ。とりあえず、十ダースで区切ってみたらどうだ、こんな具合いに裏読みされたのじゃないか。
 『晩年』と題した小説はその作家が若年の頃に書いています。晩年に晩年のことを 書く阿呆らしさを知っていたのはF・L・ライトや谷崎潤一郎やです。彼等は別人のような仕事をしています。それにあやかって、『百二十の見えない都市』が、私に同じシチュエーションを与えてくれるならば、これは受けねばなるまい。『見えない都市』を見せることができれば、四十年前に口ばしったことの仕末ができる。あのとき虚だったものが実になっている。実だったものが虚になっている。虚虚実実というじゃないですか。『見えない都市』はそのどちらでもある。往復しています。その正体をどうやって引き出せるか。

 Uさん、Wさん
 とはいうものの勝算はまだない。いままで用いたことのない手法だけを使おうとし ている。いくつこなせるのだろうか。百二十という数の都市をマトリクスにおさめようとして、はたして実数か虚数か混乱してもいる。決まっているのは今世紀最初のディケードにうずめる箱の容積だけです。
 日付けが変りました。それがあなたがたの送った作業開始の指令だったんですね。



2005年07月01日

『百二十の見えない都市』最新状況のご報告

「ときの忘れもののメイン企画である磯崎新連刊画文集《百二十の見えない都市》について、新たにこのブログを使って、制作の進行状況や、磯崎新関連のイベントのお知らせをすることになりました。担当は6月に入社したばかりの新人・尾立麗子です。どうぞ宜しくお願い致します。最初のニュースは、制作が遅れていたお詫びとともに、目下の磯崎先生の制作ぶりをパトロン(第二期予約購読者)の皆さんにお伝えした書簡を転載致します。」

『百二十の見えない都市』第二期予約購読者の皆様

拝啓
 いつもお世話になりありがとうございます。
皆様にご参加いただいている磯崎新先生の『百二十の見えない都市』第二期の企画につきましては、先日お知らせした通り、遅延を取り戻すべく、磯崎先生がエンジン全開で制作に取り組んでおられます。ご報告が遅れましたことを、お詫び申し上げます。

 別紙の植田実編集長からの書簡の通り第二期の構想が大きく変更になりました。もともと10年かけて『百二十の見えない都市』を描く構想の中で、磯崎先生の頭の中には、既に全体の120都市の全貌は見えておられるのでしょうが、その中のどれをいつ描くかという順番の問題は、磯崎先生のいまの状況と密接不可分に結びついています。ここ数年のダイナミックな活動全体を反映した形で、第二期の内容が変更になったことを、先ずはご報告致します。
 加えて、購読者の皆さんには嬉しい変化もあります。
第一期募集時の挿入作品2点の予定サイズは32×25cm、用紙サイズは二つ折り32×50cmでした。ところが、皆様のお手元にお届けした第一期作品は、作品も大きくなり、用紙も三つ折り40×120cmと、大幅にバージョンアップしたことはご承知の通りです。
ところが、今回の第二期の作品制作においては、挿入作品2点(銅版)のほかに、エッセイと絡んでさらに大判作品(シルクスクリーン 用紙サイズ40×120cm!)が1点追加されることとなりました。従ってお届けする作品は一都市につき3点、12都市で36点という大画文集になります。
 コストのことを考えると版元としては頭の痛い状況ではありますが、それだけ磯崎先生が燃えておられる証左でもあり、皆様と素晴らしい作品群の誕生の喜びを分かち合いたいと思っています。
 制作は、12都市分が同時進行しています。刷りやエッセイの執筆状況にもよりますが、画文集のお届けは数都市分づつにわけて行なう予定です。第一回の納品時期についてはもう少しお時間をいただきたく、宜しくご了承のほどお願い申し上げます。
 
 事務局通信が中断し、いまの磯崎先生の活動のご報告ができず、申し訳ないと思っておりますが、先日ご案内の通り、近々誌名を『磯崎新研究(仮題)』と改め、植田実編集長のもと刊行を再開する予定です。

◆ひとつだけ、最近のニュースをご紹介させていただきます。
磯崎先生は近く、下記の展覧会のためにモスクワに赴かれます。

モスクワ展のDM 「RE-RUINED HIROSHIMA」
モスクワ建築博物館(5 Vozdvizhenka str., Moscow, Russia)
会期:2005年6月25日〜約一ヶ月(予定)
主催:日露文化ファーラム

展覧会主旨:
日本とロシアの文化交流の発展を図るため、2004年に「日露文化フォーラム」が創設
されました。その関連事業として、2005年より建築およびパフォーミングアートの分
野でのイベントが日本とロシアにおいてそれぞれ隔年で行なわれます。
今回の磯崎新の展覧会は、その建築分野での第1回のイベントとして開催されます。展
覧会名の“RE-RUINED HIROSHIMA”は、1968年のミラノ・トリエンナーレのため  に制作されたインスタレーション“Electric Labyrinth”に用いたフォトモンタージュのタイトルからきています。この作品に含まれている、建設と破壊を同時に想起させるコンセプトは、一貫して磯崎のプロジェクトや展覧会に現れているものです。
今展覧会では、その“Electric Labyrinth”を会場にあわせ新たに制作しなおし、中核となる作品として展示されます。
会場内では、上記インスタレーションに加えて磯崎の60年代から現在に至る作品を系譜ごとに紹介します。コンセプトに対する具体的なイメージを提示することで、磯崎新の半世紀を俯瞰できるような展示となるでしょう。

上記モスクワでの展示には、“Electric Labyrinth”のほか、作品パネル、版画(シルクスクリーン、銅版画)、映像などが使われる予定です。現時点では未定ですが、いま制作している《百二十の見えない都市》の中の数点の試刷り作品を出品するかも知れません。その場合は、予約購読者の皆さんにお届けする以前に、モスクワで一部が発表されることを、どうかご了承願います。
もうひとつ、予約購読者の皆様には嬉しいニュースがあるのですが、まだ詳細を発表できる段階ではなく、次回のお楽しみということにさせて下さい。

 最後に人事のご報告です。この企画の第一期からというより、1998年に始まった連刊画文集《栖十二》から事務局を担当し、画文集の編集に携わってきた栗原佐和子が、このたび退職することになりました。実は昨年春から体調を崩し、一年間療養につとめてきたのですが、なかなか復調がならず、誠に残念な結果になってしまいました。後任のスタッフについてはあらためてお知らせ致します。

皆様にはどうか変わらぬご支援とご理解をお願い申し上げます。
 季節柄、どうぞご自愛下さいますよう。
                                   
                                   敬具

2005年6月14日          ときの忘れもの  綿貫令子 綿貫不二夫 



◆『百二十の見えない都市』第二期予約購読者の皆様へ

 磯崎新さんが『百二十の見えない都市』第二期の構想を考えておられた、ちょうどその時期と重なって、磯崎アトリエはたいへんなことになっていました。とりわけ海外のプロジェクト群が実現に向かって形をとりはじめ、それと併せてここ数年の仕事をふり返ってみると、磯崎さんの初期のプロジェクトの数々が突然現実のものに転じつつあるような様相を呈してきたのです。
 数年前からのいくつもの展覧会や本の刊行で、現代にこそ強いメッセージを発信した「アンビルド」が、その構想をより生々しい姿で建てはじめられる。そういう事態になってきました。
 「次のシリーズは、建設が未完に終わった都市を取り出そうと考えています」と、磯崎さんは連刊画文集第二期刊行概要に予告され、具体的な十二の未完都市の名まで列挙されていますが、今回は予定を急遽変更し、いま磯崎さんが日々の実務においてもっとも腐心されている、これらの実現しつつあるプロジェクト群から遡って、初期に描かれた、あの「孵化過程」から始まる一連の「アンビルド」の図像のいわば定本を、第二期十二都市に当てることにしました。
 これらの図の多くはよく知られています。印刷メディアや展覧会のパネルにも屡々引用され、あるものはその後磯崎さん自身の手が加えられていくつかのヴァージョンがあります。今回はアトリエに保管されている原図、あるいはもっとも原図に忠実な姿をとどめている資料を選び、磯崎さんにそのひとつひとつを再吟味していただきながら、版を起こし刷り上げることを目指しています。流布されている図像を、この画文集において元に戻し記録する。そういう意味での決定版になると思います。
 予約されている皆様の御理解を得られれば幸いです。

磯崎新さん、植田実さんモスクワ展 

2005年6月                         
磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』              
企画編集 植田 実
  


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