石山修武 <石山修武銅版画ギャラリー> 建築家・石山修武が銅版画に本格的に取り組んだのは2004年春からですが、9月にときの忘れもので新作銅版画個展を開催し、その成果を発表しました。 以後も精力的に制作を続けており、いずれ二度目の個展を開催したいと思っています。 作家自身のホームページで、自身の銅版画制作にかける思いを吐露されています。 http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/gallery.html <ナイト・スタディ・ハウス> 2004年9月の石山修武個展「建築家 突如 銅版画家となり荒れ地をめざす」の共催者であるナイト・スタディ・ハウスのホームページに石山修武先生の講演会の記録が掲載されています。 http://www12.ocn.ne.jp/~nsh/ishi_report.html http://www12.ocn.ne.jp/~nsh/ <石山修武・毛綱毅曠 建築ツアー> また2005年1月に決行された北海道・帯広・釧路への「荒れ地に満ちる石山修武さんの心を感じよう!ツアー」のレポートも掲載されています。 http://www12.ocn.ne.jp/~nsh/ishiyama_trip.html 建築家・石山修武展「荒れ地に満ちるものたち」 東京・南青山のギャラリー「ときの忘れもの」は、9月21日(火)〜10月9日(土)まで、建築界の鬼才、石山修武の初の銅版画とドローイングによる個展を開催します。 主な展示は、新作銅版画15点、ドローイングやスケッチ約30点。 9月21日には作家を囲んだオープニングを、9月24日には講演会を開催します。 石山修武(いしやま おさむ、1944年生れ・早稲田大学理工学部教授)は、1975年の「幻庵」で衝撃的なデビューを飾り、現代の建築界に巨大なクエスチョンを投げかけ続けています。伝説的な左官職人をテーマに、職人の手技を結集した「伊豆の長八美術館」(1985年に吉田五十八賞受賞)は、好景気で浮き足だち始めた世間の中で、建物は機械で自動に出来上がるのではなく、人の手仕事で作られることを伝えました。「リアス・アーク美術館」で1995年の日本建築学会賞を受賞した後、1996年にはヴェネチア・ビエンナーレに参加。瓦礫が散乱する廃墟を出現させた作品は、大きな話題を呼び金獅子賞を受賞しました。その後石山は、「建築はなぜ完成する必要があるのか」という、建築の根元を揺るがすテーマを追い始めます。一方で、「建築会社により商品化された住宅を解放し、建主自身が材料を集め、職人とともに作っていく」という「開放系技術」を提唱し、それに賛同する建主達の支持を集めるようになりました。「開放系技術」を実践した自邸「世田谷村」(2001年)は、家族の生活を支えつつ、いまも工事が続けられています。 石山は旅する建築家でもあります。中国や沖縄など国内外でワークショップを開催し、プノンペンの「ひろしまハウス」では有志によるセルフビルドが今も続けられています。その体験や考えを記した著作は15点を超えます。 主な著作 「石山修武の設計ノート」2003年 王国社刊/「建築家、突如雑貨商となり至極満足に生きる」1999年 デジタルハリウッド出版局刊/「現代の職人」1991年晶文社刊/「笑う住宅」1986年 筑摩書房刊/「秋葉原感覚で住宅を考える」1984年 晶文社刊 http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/profile.html 今回はその活躍の場を絵画に移し、初めての本格的な銅版画制作に挑戦しました。 ●銅版画制作に寄せた、石山修武のコメント 若い頃はしょっちゅうあった。明日何かの試験で一夜漬けで暗記しなければならぬ。そういう時に限って、全く別の世界の本を読みたくなる。イケないイケないと知りながらその欲求を押し止められない。しかも、そんな時の寄り道の読書くらい印象的なものは他に無い。記憶に残り、何がしかの生きる糧になってしまう。 決して若くは無い今、銅版画を始めてしまった。明日までにまとめなければならぬ難問山積みの設計図を尻目にしてである。仕事から逃げているわけではない。でも銅板に向う自分を止められない。もう、あと一彫りしてから仕事に戻ろうと思いながら、その一彫りが何十、何百彫りになっている。自分で自分をピンチに追い込んでいるのを知りながら、まだ彫っている。どうしてなのか理解できない。建築設計は天職だろうと自覚していた自分が怪しくなってくる位だ。そんな危険な状態で彫った線はやっぱり、我ながら不安に満ちている。建築の不安が彫られている。深い不安の先にしか希望はない、と居直るしかない。
ときの忘れもの「今月の展覧会」(クリックすると詳細が見られます) 9月21日〜10月9日 116) 建築家・石山修武展「荒れ地に満ちるものたち」 ◆ドローイング作品 21「それでもツインで」 紙に水彩・他 760×570 22「それでもある希望」 紙に水彩・他 570×760 23「大地の神々」 紙に水彩・他 760×570 24「今のやおよろず」 紙に水彩・他 760×570 25「明日の力」 紙に水彩・他 570×760 26「それでもあるユートピア」紙に水彩・他 570×760 27「荒地を横切る」 2004年 紙に水彩・他 1040×650mm
■石山修武(いしやま おさむ) 1944年生れ。早稲田大学教授。1975年幻庵で衝撃的なデビューを飾る。伝説的な左官職人をテーマに職人の手技を結集した伊豆の長八美術館で1985年吉田五十八賞。リアス・アーク美術館で1995年日本建築学会賞。1996年ヴェネチア・ビエンナーレに参加、震災の瓦礫が散乱する廃墟を出現させた作品により金獅子賞を受賞。著書に「建築家、突如雑貨商となり至極満足に生きる」デジタルハリウッド出版局/「現代の職人」晶文社/「笑う住宅」筑摩書房/「秋葉原感覚で住宅を考える」晶文社/など。 自筆サイン入オリジナル銅版画挿入 石山修武 画文集 「世田谷村日記 ここになまみの建築家がいます」 百部限定 ◆W154ー156 『石山修武画文集 世田谷村日記』 2004年 銅版3点入り 紙200×265mm 限定100部 価格はお問い合わせ下さい *単品の分売はありません。 W154 石山修武「荒地」 2004年 銅版 100×150mm Ed.100 W155 石山修武「森の風景」 2004年 銅版 150×100mm Ed.100 W156 石山修武「都市の不安」2004年 銅版 150×100mm Ed.100
◆W157ー161 『石山修武 銅版画集 影』 2004年 銅版5点組 紙285×230mm 限定15部 価格はお問い合わせ下さい *単品の分売はありません。 W157 石山修武「影の誕生」 2004年 銅版 150×100mm Ed.15 W158 石山修武「意味の無いマーケット」 2004年 銅版 150×100mm Ed.15 W159 石山修武「笑う影」 2004年 銅版 150×100mm Ed.15 W160 石山修武「窓辺にたたずむ階段の君」2004年 銅版 150×100mm Ed.15 W161 石山修武「失敗した影あるいはセンチメンタルな影」 2004年 銅版 150×100mm Ed.15
◆W162ー168 『石山修武 銅版画集 荒れ地に満ちるものたち』 2004年 銅版7点組 紙430×330mm 限定15部 価格はお問い合わせ下さい W162 石山修武「鳥」 2004年 銅版 150×200mm Ed.15 W163 石山修武「影の都市と狂喜する竜巻」 2004年 銅版 200×150mm Ed.15 W164 石山修武「荒地に踊る影のカップル」 2004年 銅版 200×150mm Ed.15 W165 石山修武「荒地巡礼する眼玉之命」 2004年 銅版 220×280mm Ed.15 W166 石山修武「眼球内之地霊都市」 2004年 銅版 220×280mm Ed.15 W167 石山修武「眼玉の中の眼玉の神」 2004年 銅版 220×280mm Ed.15 W168 石山修武「登っても登っても混沌」 2004年 銅版 280×220mm Ed.15 *他に、手彩色を5部制作した(ローマ数字の1/5〜5/5)
◆銅版作品(単品) 16「透明になり切れない私」 銅版・手彩色 280×220 Ed.5 17「時間内特異点」 銅版 280×220 Ed.15 18「狂風」 銅版・手彩色 330×400 Ed.5 19「平安」 銅版・手彩色 400×330 Ed.5 20「建設の喜びと不安」 銅版 330×400 Ed.7
オープニング風景 銅板作品に手彩色をしている石山先生 |