第318回 銀塩写真の魅力 Y展
2020年2月19日[水]―3月14日[土]  11:00-19:00※日・月・祝日休廊



20世紀は映像の時代でした。写真を筆頭に、映画、テレビなどの発明は人々の世界を一挙に広げ、情報が目に見える形でいきわたる時代になりました。


写真についていえば、ゼラチン・シルバー・プリント(銀塩写真)の時代でした。写真家は当時最先端のゼラチン・シルバー・プリントを使い作品を生み出してきました。しかし今世紀に入るや、銀塩写真を中心とするアナログ写真は、デジタルカメラの進化により消え行く運命にあるといっても過言ではありません。

銀塩写真には、デジタル写真にない個性(魅力)があります。100年以上の歴史をくぐってきた技法や素材にはそれだけの理由があります。新しい技術が現れると古い技術は淘汰されてしまいますが、新しいものにはそれなりの良さがあり、古いものにも長年培われた技術の伝承的魅 力があります。


ときの忘れものではアナログ技術によって創造された作品の魅力を広く知っていただこうと「銀塩写真の魅力展」を2009年からシリーズ企画として開催してきました。第6回目となる今回は奈良原一高、福原信三、福田勝治、風間健介、菅原一剛、アジェ、マン・レイら20世紀の写真芸術を担った7名に加え、今年、没後60年となる瑛九のフォトデッサン(技法的には銀塩写真)をご紹介します。



出品作家:

奈良原一高(1931- 2020)
1955年に池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。早稲田大学大学院で美術史を学んでいた1956年に軍艦島と鹿児島・桜島の生活を絵画的構成の画面に収めた個展「人間の土地」を発表し写真界に衝撃を与えた。1958年の「王国」では刑務所や修道院で生きる人々たちを撮影した作品で戦後の新しい写真表現を切り開き、新世代の代表的存在として注目された。
その後、ヨーロッパやアメリカに活動の拠点を移し、さまざまな技法を駆使して撮影した作品で数々の賞を獲得するなど国内外で高い評価を獲得しますが、病に倒れ、療養中でした。今年1月19日死去、享年88。

福原信三(1883 - 1948)
資生堂の創業者・福原有信の息子であり、少年時代は画家を志すが、父の希望に従い薬学の道に進んだ。千葉医学専門学校(現・千葉大学医学部)を卒業後、1908年にアメリカに留学した。欧米の美術館を訪ね、パリでは多くの日本人画家たちと交友した。帰国後は資生堂を継ぎ、1919年には日本で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーを銀座に開設し、新進作家たちを支援した。株式会社資生堂の初代社長をつとめる傍らカメラを手放さず、多くの写真作品を遺した。野島康三とともに大正末から昭和初期の日本近代写真の黎明期のパイオニア的存在である。

瑛九(1911 – 1960)
本名・杉田秀夫。1936年自ら創始したフォトデッサン作品集「眠りの理由」を発表し、前衛美術のパイオニアとしてデビューを飾る。1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画など多彩な表現に挑み、独自の世界を生み出す。
福田勝治(1899 – 1991)
1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となった。リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬいた。

風間健介(1960 – 2017)
20代のときにカメラとともに日本を放浪した後、北海道に移住。2005年に出版した写真集『夕張』(寿郎社)によって、2006年日本写真協会新人賞、写真の会賞を受賞し、注目を浴びる。2015年千葉県館山市の空き家に転居し、写真館「ギャラリー風間」を構えた。職業写真家として自分の作品を売って生計を立てることにこだわり、美しいプリントを多く遺した。2017年6月17日頃、館山市の自宅にてひとり死去、56歳だった。

菅原一剛(b. 1960)
フランスにて写真家として活動を開始して以来、数多くの個展を開催。従来の写真表現を越え、多岐にわたり活動の領域を広げており、1996年に撮影監督を務めた映画「青い魚」は、ベルリン国際映画祭に正式招待作品として上映される。近年は、光の眩しさを写真にとらえる方法として、湿板写真などを探求し、写真の古典技法と最新のデジタル技法を組み合わせることで、今までにない新しい写真を作り出している。

ジャン=ウジェーヌ・アジェ(1857 – 1927)
フランスの写真家。1879年音楽家や俳優の養成学校のコンセルヴァトワールに学ぶが、兵役のために中退し、地方回りの役者になる。
1898年劇団を解雇されるとパリに戻り、画家を目指すが、生活のために写真を撮り始める。初期には、路上で物売りする人々の写真を撮っていたが、20世紀前後のパリの建築物や室内家具などを撮り始める。アパートのドアに手書きの「芸術家の資料(documents pour artistes)」という看板を掲げ、画家たちに写真を売って生活をしていた。30年間に約8000枚の写真を残したが、その多くは没後に発掘公表され、いまでは古き良き時代のパリを記録した貴重な写真として高く評価されている。

マン・レイ(1890 – 1976)
アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られるが、20世紀を代表する写真家のひとりである。レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな写真技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真でも高い評価を得た。




展示風景




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