2002年2月25日付 NYのジョナス・メカスさんからのFAX

[ ジョナス・メカス展―版画と写真]
2002年3月 1日(金)~3月16日(土)

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ときの忘れもの 綿貫さん
きみの画廊で写真展ができるなんて、こんな嬉しいことはない。
ずいぶん前のことになるけれども、日本各地を連れ立って旅したのは、ほんとうに楽しかった。
あれは素晴らしい思い出です。
だから、これは家族の催しのようなもの。展覧会を見てくださる方々、それからひょっとしてわたしのつまらない写真を一枚買おうという気を起こしてくださる方々にも、わたしと、それからきみの、「目に見えぬ家族」の一員となる歓びを味わってもらえますように。
2002年2月25日 ジョナス・メカス

(木下哲夫訳)


亭主がメカスさんに初めて会ったのは1983年春、ニューヨークででした。
そのころメカスさんは映画の制作のみで、版画も写真作品もつくっていません。
<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>とは、彼自身が撮影した16mmフィルム より、数コマ程度の部分を抜き出し、写真として焼きつけるシリーズですが、ずっと「動くフィルム」である映画を撮ってきたメカスさんが写真作品を制作したき っかけについて、著書『フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画』(木下哲夫訳、1997年・フォトプラネット刊)の中で、次のように語っています。

・・・・・(1980年代に)日本の友人たちに一つの相談をもちかけました。というのは、 私が運営する「アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ」には、映画はたくさんあるのですが、維持していくためのお金がない(笑)。それでなんとかなら ないだろうか、と相談すると、私の60年代の映画の中からギンズバーグやダリ といった有名人たちのイメージを抜き出して、それを東京でシルクスクリーン に焼き付けて売ればお金になるんじゃないか、と言われたんです。それでこの 仕事が始まったのですが、有名人のイメージを十ほど選んで友人たちに送ったら、スポンサーになろうと言っていた人が急に破産してしまって、このプロジェクトは御破算になってしまいました。しかし、この頃には私はもう自分を止められなくなってしまった(笑)。・・・・以下略(同書44~45ページ)

メカスさんを応援しようとした日本の友人たちとは同書の訳者でもある木下哲夫さんたちのことですが、急に破産してしまった<スポンサーになろうと言っていた人>が私たち(現代版画センター)でした。
メカスさんに版画制作を持ちかけ、その気にさせてしまった亭主は、その後20年近くメカスさんには連絡を取らなかった。

1995年に青山の一軒家で社長と二人でささやかな画廊を再開したときも、まことに忸怩たる思いがあり、正直言ってあわす顔がなかった。
そんなある日、木下さんが「メカスさんが綿貫さんのこと書いていますよ」と教えてくれ、パリのアニエス・ベーでの<フローズン・フィルム・フレームズ-静止した映画>の展覧会が大きな反響を呼んだことも知りました。
亭主が薦めた版画制作がきっかけとなって新たな写真作品が生まれたことになります。
木下さんを通じて、ときの忘れものでの個展をお願いすると、快く作品を提供してくださり、上掲のファックスで私たちを励ましてくれました。
ありがとう、メカスさん。

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ジョナス・メカス Jonas MEKAS
"Anthony Radxiwill. Montauk, August 1972"
1972年 (Printed in 1999)
Type-Cプリント
イメージサイズ:49.0x32.3cm
シートサイズ :50.6x40.5cm
Ed.10  サインあり

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