先週に引き続き、瑛九展のDMの発送が300枚残っていたため、その作業を終わらせました。15時頃デザイナーの北澤さんがお見えになり、綿貫さんの誕生日プレゼントに根の部分をマリモのような不思議な形にした蘭と、美味しいチョコレートを持って来てくださいました。私もいっぱい食べちゃいました。
18時から磯崎新アトリエで磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の制作打ち合わせだったので、手土産に生水ようかんを持って、アトリエの平田さんに磯崎新モスクワ展の様子を伺うため、少し早めにアトリエへ向いました。入社初日の仕事が、磯崎先生と画文集の打ち合わせでした。もう3週間前の話です。前回と同じく、メンバーは編集長の植田実先生、刷り師の石田さん、白井さん、綿貫さん、そして私です。予定より早く打ち合わせが始まり、モスクワ展の展示のために出張されてきた張さんと平田さんらにモスクワ展の写真と図面を見ながら、展示の様子を説明して貰いました。廃虚のような古い建物のレンガの壁に、外光を遮断し、ブラックライトのみで照らされた版画や写真が飾られ、2階にはアルミに蛍光色でシルク刷りされた作品「エレクトリック・ラビンス」が軋む音などの効果音(一柳慧、ルイジ・ノーノ)とともに回転していました。3階には、Re-ruined Hiroshima が3m×10mの巨大パネルになっていました。幽霊屋敷みたいだったそうです。磯崎新先生との『百二十の見えない都市』の打ち合わせは、淡々と決まっていき、新たに決まったものもあり、全部で12都市分あるので残り3都市となりました。
ようやくここまで来たという安堵の表情が皆さんからうかがわれました。刷りの作業はどんどん進めていくということになり、後は、磯崎先生が筆を進めるのみという事で画文集の打ち合わせは終了。最後にアトリエのスタッフが撮影したモスクワ展のビデオを見せて戴きました。ブラックライトを使用し作品を照らす発想、赤や黄色の迷彩や刺繍柄、音。磯崎先生ってファンキーな方だなと思いました。視覚と聴覚を使える展示会が増えると楽しいだろうなと思いました。
打合せ終了後、植田先生、令子さん、綿貫さん、塩野さんの奥様和子さんとベルコモンズにある梅の花にお食事に行き、上品な豆腐料理とお酒でお腹は満たされ、植田先生の編集した処女作のお話などし、皆さんほろ酔いで帰って行きました。


18時から磯崎新アトリエで磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』の制作打ち合わせだったので、手土産に生水ようかんを持って、アトリエの平田さんに磯崎新モスクワ展の様子を伺うため、少し早めにアトリエへ向いました。入社初日の仕事が、磯崎先生と画文集の打ち合わせでした。もう3週間前の話です。前回と同じく、メンバーは編集長の植田実先生、刷り師の石田さん、白井さん、綿貫さん、そして私です。予定より早く打ち合わせが始まり、モスクワ展の展示のために出張されてきた張さんと平田さんらにモスクワ展の写真と図面を見ながら、展示の様子を説明して貰いました。廃虚のような古い建物のレンガの壁に、外光を遮断し、ブラックライトのみで照らされた版画や写真が飾られ、2階にはアルミに蛍光色でシルク刷りされた作品「エレクトリック・ラビンス」が軋む音などの効果音(一柳慧、ルイジ・ノーノ)とともに回転していました。3階には、Re-ruined Hiroshima が3m×10mの巨大パネルになっていました。幽霊屋敷みたいだったそうです。磯崎新先生との『百二十の見えない都市』の打ち合わせは、淡々と決まっていき、新たに決まったものもあり、全部で12都市分あるので残り3都市となりました。
ようやくここまで来たという安堵の表情が皆さんからうかがわれました。刷りの作業はどんどん進めていくということになり、後は、磯崎先生が筆を進めるのみという事で画文集の打ち合わせは終了。最後にアトリエのスタッフが撮影したモスクワ展のビデオを見せて戴きました。ブラックライトを使用し作品を照らす発想、赤や黄色の迷彩や刺繍柄、音。磯崎先生ってファンキーな方だなと思いました。視覚と聴覚を使える展示会が増えると楽しいだろうなと思いました。
打合せ終了後、植田先生、令子さん、綿貫さん、塩野さんの奥様和子さんとベルコモンズにある梅の花にお食事に行き、上品な豆腐料理とお酒でお腹は満たされ、植田先生の編集した処女作のお話などし、皆さんほろ酔いで帰って行きました。
コメント