今日は9時30分にときの忘れものの倉庫がある狭山の駅で待ち合わせでした。いつも12時出勤の私にとっては、朝から大騒動。予定通りに家を出たが、満員電車でつぶされ、乗り換えで戸惑い、時間のロス。遅刻は確実。電車の中で、反省しながら言い訳を考えた。持ちネタの宇宙人にさらわれたという言い訳をしようと思ったが、そんな子供染みた言い訳ではなく「すみません。」の言葉が出た。私、少し成長した。
狭山の倉庫はとにかく大きい。どんな倉庫か想像はしていなかったものの、思っていたよりも随分大きいと言ってしまいたくなる。箒と掃除機で楽しく掃除をし、あっという間に時間が過ぎた。昼食はみんなでとった。そういえば、ときの忘れもので一つのテーブルを囲んでの昼食は初めてだ・・・とか思いながら。
狭山から南青山までシステムの田中さんに送って戴き、16時から磯崎新アトリエで打ち合わせのため、綿貫さんと私は大慌てで準備し、アトリエへ向かった。まだ濡れている刷ったばかりの銅版をもって刷り師の白井四子男さんが到着し、同じく刷り師の石田了一さんも交え、打ち合わせ開始。磯崎先生が未だ20代の丹下研究室時代に描いた図面を確認して戴き、先日磯崎先生の書斎で仕上げた銅版をチェックして戴いた。磯崎先生は桃林堂の鯛焼きをむしゃむしゃ食べながら御機嫌で、「来日中のレム・コールハースに試作中の銅版画を見せたら、欲しいというんだよ」。綿貫さんは少しむっとして「トライアル・プルーフにして下さい」と注文をつけていた。打ち合わせ終了後、モスクワ展のビデオまで見せて戴いた。
狭山の倉庫はとにかく大きい。どんな倉庫か想像はしていなかったものの、思っていたよりも随分大きいと言ってしまいたくなる。箒と掃除機で楽しく掃除をし、あっという間に時間が過ぎた。昼食はみんなでとった。そういえば、ときの忘れもので一つのテーブルを囲んでの昼食は初めてだ・・・とか思いながら。
狭山から南青山までシステムの田中さんに送って戴き、16時から磯崎新アトリエで打ち合わせのため、綿貫さんと私は大慌てで準備し、アトリエへ向かった。まだ濡れている刷ったばかりの銅版をもって刷り師の白井四子男さんが到着し、同じく刷り師の石田了一さんも交え、打ち合わせ開始。磯崎先生が未だ20代の丹下研究室時代に描いた図面を確認して戴き、先日磯崎先生の書斎で仕上げた銅版をチェックして戴いた。磯崎先生は桃林堂の鯛焼きをむしゃむしゃ食べながら御機嫌で、「来日中のレム・コールハースに試作中の銅版画を見せたら、欲しいというんだよ」。綿貫さんは少しむっとして「トライアル・プルーフにして下さい」と注文をつけていた。打ち合わせ終了後、モスクワ展のビデオまで見せて戴いた。
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