3月からバイトで入っている梅田さんが三浦さんの業務を引き継ぐことになり、三浦さんは本格的にときの忘れもの海外事業部の仕事をすることになった。
私は綿貫さんに美術館に売り込むトリシャ・ブラウン展の企画書の作成を指示された。
初めての企画書なので、綿貫さんに軽く書き方を教わったが、「まぁ書いてみなさい。」と言われたので、トリシャ・ブラウンのあらゆる情報をコピー&ペーストして作成した。その原稿に赤を入れてもらい、他社の企画書を参考にどんどん直していった。最初に作ったものと比べてみると、やっと企画書と呼べる形になった気がする。
綿貫さんに「トリシャ・ブラウンさんに実際会ったのだから、自分の言葉で書けるでしょう?」と言われ、『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』、『芸術新潮』(文・聞き手=ぱくきょんみ)、DVD『トリシャ・ブラウン初期作品集1966-1979』に付いているブックレットを読み直して、コピー&ペーストで拝借していた文章を自分なりに変えて書いてみた。
仕事が終わり、綿貫さんと令子さんに夕食へ誘ってもらった。
美味しいと噂だけは聞いていたのだが、もう4回くらい振られ続けた近所のイタメシ屋に電話を入れるとラッキー!空いていた。
ニョッキとかズッキーニのメニューが豊富で、バジルとクリーム系のピッツァは生地の柔らかさも味も最高でした。たまたま木曜日はイタリアの唄をフォークギターで弾いて唄ってくれるらしく、カントリー風でとても心地の良い感じでした。私の食いっぷりは健在で、最後はとちおとめのタルトで締めました。
私は綿貫さんに美術館に売り込むトリシャ・ブラウン展の企画書の作成を指示された。
初めての企画書なので、綿貫さんに軽く書き方を教わったが、「まぁ書いてみなさい。」と言われたので、トリシャ・ブラウンのあらゆる情報をコピー&ペーストして作成した。その原稿に赤を入れてもらい、他社の企画書を参考にどんどん直していった。最初に作ったものと比べてみると、やっと企画書と呼べる形になった気がする。
綿貫さんに「トリシャ・ブラウンさんに実際会ったのだから、自分の言葉で書けるでしょう?」と言われ、『トリシャ・ブラウン――思考というモーション』、『芸術新潮』(文・聞き手=ぱくきょんみ)、DVD『トリシャ・ブラウン初期作品集1966-1979』に付いているブックレットを読み直して、コピー&ペーストで拝借していた文章を自分なりに変えて書いてみた。
仕事が終わり、綿貫さんと令子さんに夕食へ誘ってもらった。
美味しいと噂だけは聞いていたのだが、もう4回くらい振られ続けた近所のイタメシ屋に電話を入れるとラッキー!空いていた。
ニョッキとかズッキーニのメニューが豊富で、バジルとクリーム系のピッツァは生地の柔らかさも味も最高でした。たまたま木曜日はイタリアの唄をフォークギターで弾いて唄ってくれるらしく、カントリー風でとても心地の良い感じでした。私の食いっぷりは健在で、最後はとちおとめのタルトで締めました。
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