
先日、刷り師の石田了一さんのことを書いたばかりですが、その石田さんの師匠にして日本のシルクスクリーンの最も優れたプリンターだった岡部徳三さんが、ついさきほど亡くなられました。
日本の版画においてシルクスクリーンが認められたのは近々40数年に過ぎません。
刷り師として、また自ら版元となってその先端を切り開いてきたのが岡部さんでした。
オノサト・トシノブ、靉嘔、横尾忠則、ナム・ジュン・パイク、ジョン・ケージ、前田常作、ジョナス・メカス、かれらの版画作品は岡部さんという協働者がいたからこそ生まれたものでした。
近年では弟子の石田さんが先鞭をつけた草間彌生先生の版画にも携わっておられました。
掲載した写真は2004年2月27日、ときの忘れものにいらしたときのスナップです。
明治末期以降の日本の版画史を俯瞰すれば、創作者のよきパートナーとなった代表的な職人は木版の伊上凡骨、リトグラフの女屋勘左衛門、そしてシルクスクリーンの岡部徳三とあげられるのではないでしょうか。
職人としての矜持、作家への敬意と専門的技術の揺るぎ無い自信、何より優れた色彩感覚と、作家の意図を読み取る抜群のセンス、誰にも真似できない繊細にして大胆なテクニック。
おしゃれで、ダンディな振る舞い。女性に優しく、すばらしい人でした。
私が「刷り師」という言葉を知り、現代版画における刷り師の重要性を学んだのも岡部さんによってでした。
1974年、私が版元として最初にエディションしたオノサト・トシノブ、靉嘔の版画はともに岡部さんに刷っていただきました。
その岡部さんが連れてきたのが、弟子の石田了一さんです。
岡部さんは、私の版画の師匠であり、恩人であり、つねに良きアドバイザーでした。
渋沢のご自宅や工房に何度通ったことでしょうか。
作家相手に困ったことがあると、いつもやさしくフォローしてくださいました。
私の最悪の時代にも、見捨てず付き合ってくださった数少ない人のひとりでした。
残された奥様や岡部版画工房のスタッフのみなさんの苦衷を思うと、暗然たるものがあります。
いまはただただご冥福を祈るばかりです。
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