瑛九展DM


 久しぶりに、瑛九に会いに出かけた。ギャラリーときの忘れもの。
 南青山にありながら、ふと細い階段を降りたのち、行き止まりとしか思えない横っちょに入っていかないとたどり着けない、物語のような一軒家。しかもここ、靴をぬがされる。庭には紫陽花とアマガエル。今ならススキも見事だろう。そのまま物語の世界への入り口だ。
 うそです。今ではギャラリー兼事務所だったその家はなく、青山キューブという名前からして瀟洒な立方体の瀟洒なビルの一角にある、ときの忘れもの。それでもやはり、ほんとにそこにあるのかしら、とドアをあけるまで不思議な気持ちにさらされることは以前と変わらない、ときの忘れもの。
 瑛九は、たくさんの作品を残している。それでも、気軽に確実に瑛九の作品に会えるところとなると、私はこのギャラリーしか知らない。ここのオーナー夫妻は、何年にもわたって、私が瑛九の世界に触れる機会を与えつづけてくれる。決して広くないスペースにして、今回の瑛九展はフォトデッサン、油彩、銅版画等、すべてあわせて約三十点という構成だったけれども、やはりよく選ばれ、考え抜かれていると思う。
 私ごときが褒めることではない。フォトデッサン、油彩、銅版画、どの領域にとり組むときも、瑛九は、それぞれ別個の人だったと思う。それくらい、どの領域もハンパなくつきつめられている。それがよくわかる展示だった。

 ものすごく大雑把に断言してしまうと、瑛九の油彩には作品ごとに、天高く昇っていく印象を受ける。瑛九の視点は、宇宙の果てへと飛翔していく。対して、フォトデッサンは、逆に、日常から宇宙へと向かうアプローチだ。
 フォトデッサンとは、瑛九の独自のジャンルで、印画紙を利用して光と影を捉えた作品だ。それがどういう仕組みなのだか、写真をやったことのない私にはどうもはっきりわからない。まあそれはいい。一見シュールで、かつ深層を衝くようなその作品たちも、じつは日常への単純で素朴な驚きに支えられている。
 素材はきっとどこにでもある。網、ガーゼ、レース、さまざまな布。チョキチョキと鋏で切りながら、布の織り目のおもしろさに驚嘆しながら、瑛九はたのしんでいたにちがいない。年端もいかない子供がそれらを驚きたのしむように。そういえば、子供ってなぜか写真を切るのも大好きだ。日々目に触れるものすべてが、素材としてあたらしく発見されたことだろう。そこに、光と時間という魔法をふりかけると物語があらわれる。
 宇宙はどこにも転がっている。日常の端々までも、それは宇宙なのだとわかる。瑛九の語り口は大胆で、無駄がない。なんというか、あっけらかんとしていて、私には理解不能の現代美術を前にしたときのあのドギツイ痛さがない。ときに、ふとした偶然の産物のようでもある。けれど、作為と離れているからといって偶然であるなんてことはない。私がふつうに考える作為よりも、はるかに速いスピードで切り取られるフレーム、というだけだ。
瑛九「窓」


 瑛九の作品に対するとき、私は、森だ、と思う。すべての作品についてではないし、その言葉の浮かんでくる明瞭度もその都度、ちがっている。文字通り木々の茂る森がモチーフのこともある。たしか画面一面が、銀というかグレイがかった森の作品があったように思う。どこまで私の記憶なのか、グレイの森の奥からちいさき者たちが列をなして、膨らんだ風船のような物語を連れてやってくる。その絵の体験が、私の根底にある。森のなかからやってくる物語、というモチーフはどこか原始的でもある。それでいて、そこには瑛九という人のユーモアや好奇心を思わせる可笑しさもある。瑛九の森を思うとき、私はくすっと泣きたいような笑いたいような、つかまえどころのない気分になる。
 さまざまな森がある。光の森、人の森、ビルの森。森は、種種雑多の複雑さ、共存という一言では単純にまとめることのできない、とらえようのない世界だ。簡単には説明しがたい、とらえがたいものすべてが日々日常であり、世界の様相である。世界が複雑でとらえがたいという現実は、あたりまえのことのようだけれども、それを前にすると落ち着かない、宙ぶらりんな気分になる。森を森として描くということは、現実の落ち着かなさ、とらえがたさをそのまま、うけとめる覚悟なのだと私は思う。
 ある作品がある。油彩。街並を思わせる、縦と横の重なりあい。縦横に走る道路やビルや窓の一つ一つを、照らしているかのような窓が、中央に配置されている。いや、それは窓のようでもあり、窓を象徴する長方形のようでもあり、色の配置だけのようにも見える。世界を照らし出す長方形の淡い水色が浮かび上がった部分を、窓、と呼ぶことにしよう。日の光のきらきらした反射や、人の焚く火や、街にともる灯や、今ならパソコンのモニターや、充電器の合図の灯や、そういった世界のすべてを映し、世界のすべてに向かう窓。
 と、画面の左上に目をやるとあらわれるのは、明るい色彩の世界の一片を、円く切り取っている窓だ。その円はまるで、明るい宇宙船のなかから、漆黒の外の世界をぽっかり映す窓のように思える。その円はまた、満月の反転のようにも思われる。しずかに地球を巡りつづける衛星。この円の窓が出現するかぎり、中央の水色の長方形だけを、"世界のすべてに向かう窓"として安閑とながめていることはできない。
 その宙ぶらりんさを、そのままに向かわせる、受けとめさせる力がこの作品にはある。その力はひとつには、色の軽やかさにあるのだと思う。
 方形と円と点、それだけなのに、この軽やかな色が私を受け入れ、私に人の暮らしを連想させる。日々の暮らしが、幾重にも宇宙へとつながっていることを、しずかに教えてくれる。逃れてもどこへ逃れても、そこが宇宙の一点なのだよ。と、やさしくいなされる。
 凄い人って、ほんとに軽やかなのだ。
 それは『窓』というタイトルなのだった。
                   (まつもとまき)

瑛九展GT1
瑛九展GT2





*「第17回 瑛九展」2006年9月15日~9月30日

*画廊亭主敬白/「歴史の評価」という。
亡くなった作家が生きていたときの高い評価を持続できるか、またはもっと高い評価を受けることができるかは、その作家を知らない世代の評価を獲得できるかにかかっている。
つまり、若い世代のコレクターが出てくるかどうかで決まる。
瑛九は幸運にも、世代の引継ぎがうまくいった作家といえるだろう。
そのことを実感できたのは、ずいぶん前になるが今回の筆者、通称・まきちゃんが、ふらりと画廊に訪れたときである。
「瑛九が見たくて、大枚はたいて飛行機で宮崎へ行ったんですが、ちょうど月曜日で美術館は休みでしたあ。」とあっけらかんと笑う彼女は、当時フリーターのようだった。
ホットパンツをはき、髪をピンクに染めた少女のような人は、すっかりときの忘れもののアイドルになったが、こういう若い人が瑛九を好きになることを知り、私は瑛九が間違いなく時代を超えて生き続けることを確信した。
その後、まきちゃんは詩を書き、定職をみつけ、ひとりで子供を育て、ロックコンサートに子供を抱えて通い、今日も小さな体で飛び回っている。