駒井哲郎コスモス表紙




蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代過ぎぬ

 歌人・宮柊二が創刊した雑誌「コスモス」の表紙を駒井哲郎先生は長く担当されていた。
1960年(昭和35年)から1977年(昭和52年)まで18年間にわたり216冊の表紙絵を寄稿した。
もちろん1976年に死去されているから、1977年の分は没後寄稿である。
創作版画の巨匠、恩地孝四郎が装丁の仕事で食っていたことは今では常識だが、駒井先生の活躍した1950年代~1970年代も版画だけでは食えない時代であり(それは今も同じかも知れない。版画家といってもその多くは大学などの教師である)、装丁の仕事がある意味生活を支えていたに違いない。
 「駒井哲郎ブックワーク」(1982年、形象社)は、駒井先生の生涯にわたる装丁、装画目録で書誌も充実していて、駒井哲郎研究には必携の資料である。
私の机の周りには、いつも手の届く範囲に駒井哲郎関係の資料、書籍がおいてあるが、もっとも重宝しているのがこの「駒井哲郎ブックワーク」である。
編集された岩部定男さんには感謝してもしきれない。
美術出版社が生前没後の二度刊行したレゾネだけでは不十分であることは、このコーナーの読者ならご理解いただけると思うが、駒井哲郎の作品の全貌はいまだ明らかではない。
レゾネに未収録の作品が次々と発掘されているのだが、何か出てくるたびに私は先ず「駒井哲郎ブックワーク」に掲載された図版を虱潰しに点検する。
駒井哲郎先生がレゾネに収録しなかった作品でも、装丁や装画に使った作品が少なくないからである。

 上に掲載したのは「コスモス」の表紙に使われた大判のアクアチント作品だが、私はまだこの作品に出会ったことがない。
出てきたら万金を積んでもゲットしたい。どなたかこの作品を知りませんか。