日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る

ウォーホルKIKU3アンディ・ウォーホル Andy WARHOL
KIKU 3
 1983 Silkscreen(刷り:石田了一)
50.0x66.0cm
 Ed.300  signed
 *現代版画センター・エディション
 
ちょうどその頃、ウォーホルは1981年にミッキー・マウス、スーパーマンなどの「神話」シリーズを発表して新たな展開を見せるわけですが、日本にはまだそれは入っていません。
それこそ画商さんたちは「売れない」と踏んで誰も輸入しなかった。
続いて「危機に瀕している種」シリーズの制作にとりかかっており、それを見た宮井陸郎さんはそれら新作群を日本にもってこようと考えたわけです。
紆余曲折はあったのですが、私は最終的にその話に乗りました。
生涯で最大の博打に打って出たわけです。
ただし、今まで全くウォーホルを扱って来なかった私たちがいきなりウォーホル通になれるわけではない。先ずは山の神はじめ反対者たちを説得せにゃあならん。
宮井さんは、応援団としてそれまで私が知らなかった「ウォーホル・オタク」達を続々連れてきました。
その中でも<路上のウォーホル>こと似顔絵描きの栗山豊さんと、明治通りからちょっと入った小さなビルでギャラリー360°をやっていた根本寿幸さんのオタクぶりははんぱじゃあなかった。
私たちは宮井さん、栗山さん、根本さんを<ウォーホル三人男>と称したのですが、日本にもこんなに深くアンディを愛している人間がいるのだと、目から鱗、驚いたものでした。この三人衆によって私たちはすっかり洗脳され、まさに史上最大のウォーホル展の実現に向けて走り出したのでした。

宮井さんが連れてきたウォーホル人脈は、その後の私の大切な宝物となるわけですが、このあたりを詳細に書くと、何ヶ月もかかってしまいそうなので、とにかく先を急ぎましょう。
当初の宮井さんのもくろみは、私にウォーホル作品を大量に買わせ、日本で大規模な展覧会をするという、まあごく単純なものでした。
私は、ディーラーというよりパブリッシャー(版元)であると考えていましたから、ただ作品を仕入れて売るだけじゃあ面白くもなんとも無い。
私はアンディとの交渉窓口の宮井さんに、作品はもちろん買うが、アンディが私たち現代版画センターのために新作エディションを作って欲しいとの条件をつけました。
すなわち、
「日本の花をテーマに」
「日本の紙(和紙)で」
「日本の刷り師を使って」
作品を作って欲しい。

宮井さんが私の代理人としてニューヨークに渡ったのは1982年の晩秋だったと思いますが、そのときに持参したのが大量の桜と菊のポジフィルムでした。
秋なので桜のポジは某団体から借りました。
菊は、渋谷の東急プラザの1階にあった花屋さんから一束数百円の特価品を五十嵐恵子さんという制作担当の女性スタッフが買ってきて、当時私たちの専属カメラマンのような存在だった酒井猛さんが、現代版画センターの事務所でばちばちと撮影したものを宮井さんに託しました。
それを見たアンディは、桜ではなく、菊を選んだわけです。
後にサインのために渡米しアンディに会ったとき、なぜ桜ではなく、菊を選んだのか聞きそびれてしまったのが後悔の種でしたが、ある本で「日本は天皇の国だ、菊は天皇のしるしだから」と彼が語っているのを読み、ああそうだったのかと思い当たったのでした。

ウォーホル・スタジオから、シルクスクリーンの「製版フィルム」と、いくつかのバリエーションの試刷りが指示書とともに日本に届いたのは、1983年4月2日でした。全国展の開始は6月、渋谷のパルコです。あと二ヶ月しかない・・・・
日本での「本刷り」を担当したのはもちろん、私の盟友・石田了一さんです。
(続く)

●ウォーホルを偲んで~KIKUシリーズの誕生
その1 現代版画センターと宮井陸郎
その2 全員反対を押し切って
その3 日本の花をテーマに、日本の刷り師が刷る
その4 「LOVE」のスポンサー
その5 本邦初のウォーホル展は西武デパート渋谷店
その6 「恋するマドリ」でKIKUは刷られた
その7 渋谷パルコ店で全国展スタート


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