現在、私のコレクションルーム(と言っても、かつては息子の部屋で、今でも息子が戻った時には寝室となるが・・・)の正面には恩地孝四郎の木版画「氷島の著者」(萩原朔太郎像:平井刷)と小野隆生の少女像(1980年頃 テンペラ 3号・円窓)の肖像が並んで飾られている。サイズも技法も異なる作品だが、不思議と違和感がないし、その存在感はどちらも負けていない。
小野さんとの出会いを思い出してみると、1995年にさかのぼる。ときの忘れものの綿貫氏の推薦もあって、私が30年近く続けているアートフル勝山の会の主催で「小野隆生展」(会場:福井県勝山市、中上邸イソザキホール)を開催したことが小野さんとの最初の出会いであり、マイコレクションのスタートともなった。小野さんのダンディーさに感動し、さらには、彼の肖像画の持つ不思議な魅力にひかれて、りりしい眼差しの「婦人像」(1983年作・6号のテンペラ)を手に入れた。以後、97年、98年そして2003年と4回にわたり、展覧会を主催するとともに、テンペラ、ドローイング、そして版画(全版画)がコレクションに加わった。
私のコレクションの基本的スタンスは版画であり、「駒井哲郎と彼の愛する作家たち」(ルドン、ブレダン、メリヨン、駒井、長谷川、恩地ら)と「同世代の作家たち」(私と同世代で応援したい作家たち:柄澤齊、小野隆生、舟越桂、デマジエールら)をテーマにしている。版画以外の作品はきわめて少ないが、そのなかでは小野隆生のマイコレクションは異色の存在だ。4点のテンペラ(3号作品1点と6号作品3点)と3点のペンシルドローイングの肖像画がコレクションに納まっている。
小野作品の魅力はどこにあるのか、正直なところよく分からない。評論家でないので的確な言葉で語ることもできないが、自分なりに考えてみた。コレクションというものは、自分の心の琴線に触れる作品を収集することであると思っている。その点では、小野作品は確実に私の心の琴線に響く作品群である。マイコレクションの肖像画たちは様々な表情・眼差しを持っている。やさしい眼差し、厳しい眼差し、りりしい眼差し、あったかい眼差し、もの思う眼差し・・・いずれの表情・眼差しも私をとらえて離さない。今回のカタログの河合氏のテキストにもあるように それはまさに、「時代の肖像」なのだろう。その「時代の風」が私の心の琴線に触れ、音を奏でるのではと感じている。今回の展覧会から1点の作品(6号テンペラ)を選んだ。4点のテンペラは全て女性像なので、さらに一人と考えたが、好みの作品は先約があり、少年像を選んだ。正面像でなく、首を傾げた作品で背景の空の表情も含めた新鮮さと癒しの風を感じての作品購入となった。コレクションの中の83年作の「婦人像」も背景にも同様の空と雲が描かれているが、今回の展覧会のものは色がくすみ、静かで落ち着いた表情となっている。これも時代表現の一つなのだろうか。20年後の空と雲の出現はまことに興味深い。
久しぶりにコレクションの肖像画を並べてみた。ふと、これから「小野隆生はどこへ行くのだろうか?」との想いがよぎった。イタリアの片田舎のゆったりとした時間のなかで描き続けられる肖像画が、グローバル経済の中で揺れ、少子高齢化社会を迎え閉塞感のある日本とどのように関わるのか?また、日本のアイデンティティが問われ、日本にとって文化こそ最後の砦になるかもしれない時代にどのように関わるのか?・・・私にとって興味津々だ。コレクターの一人として、こらからも小野隆生という風に吹かれて、今という時代を一緒にゆっくり歩いていこうと思う。
2007年4月23日(あらい よしやす)


*画廊亭主敬白
3年ぶりにイタリアから作家を迎えて開催した「小野隆生新作展」には、故郷岩手はじめ遠方からも多くのお客様が来廊されています。
今回の「コレクターの声」は、私どもが30数年にわたりお付き合いいただいている福井県勝山の荒井さんです。
若い頃商社マンとしてニューヨークに赴任、そこでコレクションすることの喜びを知った荒井さんは、父君の繊維会社を継ぐため帰郷したとき、仲間に呼びかけて作ったのが「アートフル勝山の会」。
文字通りアートを心から楽しもうという会ですが、すばらしいのは「会員は夫婦で参加すること」。
毎年、自分達で選んだ作家を招き、磯崎新設計の「中上邸イソザキホール」で個展を開くなど、コレクターたちによる地域に根ざした運動を長く続けておられます。
下に掲載したのは1995年の小野隆生展のときの写真です。
左からときの忘れものの社長、小野隆生論の執筆もあり、作品集を編集された三上豊さん(和光大学教授)、小野先生と奥様、小野先生の最も初期からのコレクターでもある奈良の西田画廊のご主人、「中上邸イソザキホール」のオーナーである中上さんご夫妻、右端が荒井さんです。


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小野さんとの出会いを思い出してみると、1995年にさかのぼる。ときの忘れものの綿貫氏の推薦もあって、私が30年近く続けているアートフル勝山の会の主催で「小野隆生展」(会場:福井県勝山市、中上邸イソザキホール)を開催したことが小野さんとの最初の出会いであり、マイコレクションのスタートともなった。小野さんのダンディーさに感動し、さらには、彼の肖像画の持つ不思議な魅力にひかれて、りりしい眼差しの「婦人像」(1983年作・6号のテンペラ)を手に入れた。以後、97年、98年そして2003年と4回にわたり、展覧会を主催するとともに、テンペラ、ドローイング、そして版画(全版画)がコレクションに加わった。
私のコレクションの基本的スタンスは版画であり、「駒井哲郎と彼の愛する作家たち」(ルドン、ブレダン、メリヨン、駒井、長谷川、恩地ら)と「同世代の作家たち」(私と同世代で応援したい作家たち:柄澤齊、小野隆生、舟越桂、デマジエールら)をテーマにしている。版画以外の作品はきわめて少ないが、そのなかでは小野隆生のマイコレクションは異色の存在だ。4点のテンペラ(3号作品1点と6号作品3点)と3点のペンシルドローイングの肖像画がコレクションに納まっている。
小野作品の魅力はどこにあるのか、正直なところよく分からない。評論家でないので的確な言葉で語ることもできないが、自分なりに考えてみた。コレクションというものは、自分の心の琴線に触れる作品を収集することであると思っている。その点では、小野作品は確実に私の心の琴線に響く作品群である。マイコレクションの肖像画たちは様々な表情・眼差しを持っている。やさしい眼差し、厳しい眼差し、りりしい眼差し、あったかい眼差し、もの思う眼差し・・・いずれの表情・眼差しも私をとらえて離さない。今回のカタログの河合氏のテキストにもあるように それはまさに、「時代の肖像」なのだろう。その「時代の風」が私の心の琴線に触れ、音を奏でるのではと感じている。今回の展覧会から1点の作品(6号テンペラ)を選んだ。4点のテンペラは全て女性像なので、さらに一人と考えたが、好みの作品は先約があり、少年像を選んだ。正面像でなく、首を傾げた作品で背景の空の表情も含めた新鮮さと癒しの風を感じての作品購入となった。コレクションの中の83年作の「婦人像」も背景にも同様の空と雲が描かれているが、今回の展覧会のものは色がくすみ、静かで落ち着いた表情となっている。これも時代表現の一つなのだろうか。20年後の空と雲の出現はまことに興味深い。
久しぶりにコレクションの肖像画を並べてみた。ふと、これから「小野隆生はどこへ行くのだろうか?」との想いがよぎった。イタリアの片田舎のゆったりとした時間のなかで描き続けられる肖像画が、グローバル経済の中で揺れ、少子高齢化社会を迎え閉塞感のある日本とどのように関わるのか?また、日本のアイデンティティが問われ、日本にとって文化こそ最後の砦になるかもしれない時代にどのように関わるのか?・・・私にとって興味津々だ。コレクターの一人として、こらからも小野隆生という風に吹かれて、今という時代を一緒にゆっくり歩いていこうと思う。
2007年4月23日(あらい よしやす)
*画廊亭主敬白
3年ぶりにイタリアから作家を迎えて開催した「小野隆生新作展」には、故郷岩手はじめ遠方からも多くのお客様が来廊されています。
今回の「コレクターの声」は、私どもが30数年にわたりお付き合いいただいている福井県勝山の荒井さんです。
若い頃商社マンとしてニューヨークに赴任、そこでコレクションすることの喜びを知った荒井さんは、父君の繊維会社を継ぐため帰郷したとき、仲間に呼びかけて作ったのが「アートフル勝山の会」。
文字通りアートを心から楽しもうという会ですが、すばらしいのは「会員は夫婦で参加すること」。
毎年、自分達で選んだ作家を招き、磯崎新設計の「中上邸イソザキホール」で個展を開くなど、コレクターたちによる地域に根ざした運動を長く続けておられます。
下に掲載したのは1995年の小野隆生展のときの写真です。
左からときの忘れものの社長、小野隆生論の執筆もあり、作品集を編集された三上豊さん(和光大学教授)、小野先生と奥様、小野先生の最も初期からのコレクターでもある奈良の西田画廊のご主人、「中上邸イソザキホール」のオーナーである中上さんご夫妻、右端が荒井さんです。


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