駒井哲郎・記号の静物

駒井哲郎 Tetsuro KOMAI「記号の静物」
 1951 etching, drypoint
 9.4×8.4cm
 Ed.30 E.A Ed.25(2005)

「駒井哲郎を追いかけて」の連載が、つい日々の忙しさにかまけて中断してから5ヶ月が過ぎてしまいました。
いくらなんでもこれじゃあ忘れられてしまう。再開します!

他にも、「ウォーホルを偲んで」の連載が中断していますが、これは[KIKU][LOVE]連作を刷ってくれた刷り師の石田了一さんが、当時の日記がわりのメモを押入れの中から発掘してくれ、現在解読中です。もう少ししたら、原資料をもとに再開しましょう。
さらに先日開始したばかりの「瑛九のリトグラフについて」も何とかしなければ・・・・
ほんとに貧乏暇ナシで忙しいんです。

さて、駒井哲郎です。
掲載した銅版画作品「記号の静物」はつい最近入手した<後刷り>です。
作品左下に鉛筆で<24/25>と限定部数が記入されており、右下には丸で<K>を囲んだエンボスが捺してあります。
これは、この連載第18回でご紹介した、2005年の秋に刊行された「沈黙の雄弁」という本の特装版に挿入されています。
詳しくは、第18回の項を参照していただきたいのですが、特装版の総部数200部の中に、「Radio Activity in my room」「記号の静物」「海辺の貝」「物語の朝と夜」「一樹」「風船」「向かい合う魚」「大樹を見上げる魚」の8点が後刷りされ挿入されました。

駒井哲郎沈黙の雄弁表紙
駒井哲郎沈黙の雄弁チラシ


特装版に挟み込んであるチラシには、
<「沈黙の雄弁」は、特装版のみ限定200部が刊行された。
1冊につき各1葉ずつ納められている銅版画は全てで8種類あり、
それぞれ25部が摺られ、ナンバーが記され、アトリエマークがエンボスされている。>と記載されています。

版画作品の没後の後刷りは、生前刷りのオリジナル版画の市場的価値を大きく左右することは言うまでもありません。
しかし、この回では、後刷りについて述べるのではなく、生前の限定部数について少し論じたいと思います。

この連載で繰り返し書いてきましたが、駒井先生はファースト・エディションの後に、有名な(売れる)作品については、セカンド・エディションをすることがしばしばありました。
代表作1951年の「束の間の幻影」などは少なくとも4回以上、別の限定部数が刷られています(Ed.20,Ed.30,Ed.X,EA10)。

では、今回ご紹介する「記号の静物」はどうだったのでしょうか。
例によって参照するのは、1980年の東京都美術館「駒井哲郎銅版画展図録」(409点収録)です。
「記号の静物」の項に記載された全文は以下の通りです。
<エッチング、ドライポイント 
9.4×8.8cm 1951
Ed 30(1/30-5/30印刷) EA
第19回日本版画協会展 1951
美ー44 >

実に重要で微妙なことが書いてありますね。
つまり、上記の記載を素直に読めば、1951年に制作されたときの限定部数は30部が分母だったが、実際には5部だけが刷られた(1/30~5/30)、他に番号入り以外に EA がある、ということになります。
となると、この「記号の静物」は生前には10部も刷られなかったことになり、没後の後刷りは実に貴重なものといわざるを得ない。
しかしこれは私の実感からするとおかしい。この作品は先生の晩年1970年代にはポピュラーなもので、私自身、何度も扱っています。決して珍しいものではありません。
1980年の展覧会当時、東京都美術館の学芸員がなにを根拠に<Ed 30(1/30-5/30印刷)>と記載したのかはわかりませんが、その背景には、駒井作品には、上述のようにセカンド・エディションもあれば、逆に分母の数だけ刷られなかったものもあるという、研究者の間では周知の事実があったことは間違いないでしょう。
それは、没後刊行のレゾネである「駒井哲郎作品集」(366点収録 1979年 美術出版社)に加藤清美先生が書いた以下の文章でもわかります。
<初期作品など、限定総数のすべてが市場に出たとは考えられないものもあり、また第一の限定数未満で打ち切られ、第二の限定に移った作品もあると思われる>

では、実際の作品にあたってみましょう。
先ず、埼玉県立近代美術館所蔵の「記号の静物」の限定番号は<3/30>でした(「駒井哲郎と現代版画家群像 果実の受胎」展図録48ページ参照 1994年 埼玉県立近代美術館)。
次に、この連載でしばしば取り上げている福原コレクションの「記号の静物」の限定番号は<10/30>です(「福原コレクション 駒井哲郎作品展 未だ果てぬ夢のかたちーー」図録30ページ参照 2003年 資生堂)。
さらに、2001年に不忍画廊で開催された「没後25年 駒井哲郎展」図録8ページにも「記号の静物」が掲載されており、その限定番号は<9/30>です。

三つの資料だけ参照してみても、この作品が番号入りが5部しか刷られなかったというわけではなさそうだということがお分かりになるでしょう。
東京都美術館の図録の記載が、加藤先生のいう<第一の限定>で、第二の限定(それも同じ30部)がその後あったのか、それとも誤記なのか、にわかには判断できません。

駒井作品の本質とはあまり関係のない些細なことではありますが、画商としては実に気になる。
真相やいかに・・・・