私のような貧乏画商でも長くやっていると、独特のオーラを放ち物まねではない自立した美意識をもったコレクターにめぐりあえるのは嬉しい限りだ。
私が20代で美術界に入って、途中で大破産したにもかかわらず再び商売をできるようになったのも、それらコレクターが助けてくれたおかげである。
しかし歳月は無常に過ぎてゆく、亡くなった方も少なくない。
コレクションすることを人生の愉しみとして生きた、そういう人たちのことを思い出すと切なくなるが、好きな美術品に囲まれた人生をきっと満足していたに違いないと思う。
私の最初のパトロンともいうべき秋田の町医者だったFさんは生前、「ぼくは集めたものを残そうなんて思わない。全部売っぱらってから死にます。そのときは綿貫さん、よろしく」と語っていたが、病魔の進行はその猶予を与えず、コレクションはそのまま残された。病の枕元にあったのはイブ・クラインの青のオブジェと、川上澄生の南蛮船の版画だった。
私たち夫婦の実質的仲人兼恩師だった大コレクター・久保貞次郎先生の膨大なコレクションについては、没後随分経ってから、そのほんの一部の処分を私たちがお手伝いすることができた。
生涯に二度とない画商への何よりの贈り物だった。
画商の使命は、人類の共通の遺産である美術品を次の世代に手渡すお手伝いをすることだと、先輩に教えられた。
コレクターにとってコレクションとは、金銭的価値ではない。
高い安いに関係なく、「好きだから」その人にとってはかけがえの無い宝物なのだ。
それに敢えて値をつけて売る、それが私たちの商売である。
Z氏が亡くなったという知らせをご遺族からいただいたのは、いつだったか。
私にとっては30年来のお客さまだった。
コレクターのキャリアとしては優に半世紀以上、さまざまなものを集めていらっしゃった。
骨董屋で掘り出し物を見つけては楽しそうに教えて下さった。
中には日本の近代美術史を書き換えるような貴重な発掘もあった。
版画、油絵、彫刻、限定本、骨董、玩具などなど、実に幅広いジャンルに遊ぶ趣味人だったが、私との売買はほぼ「版画」に限られていた。
駒井哲郎や長谷川潔の名品をわけていただいたのも懐かしい思い出である。
版画愛好家のグループとして最も長い歴史をもつ(であろう)PCS(プリンツ・コレクターズ・サロン)の会員であり、1960~70年代の版画の時代を支えたコレクターのお一人だった。
そんなZ氏のコレクションを今週から何回かにわけてヤフーオークションでご紹介します。
芹沢銈介、小島信明、細田正義、別府貫一郎、古沢岩美、田淵安一、小作青史、橋本興家、荒木哲夫、蛭田二郎、刑部人、笹島喜平、織田広喜、川上澄生、儀間比呂志、関根美夫、斎藤寿一、木村茂、橋本花、吉田久継、宮下登喜雄、萩原英雄、佐藤暢男、岩崎巴人、野田哲也、中林忠良、吉田穂高、平塚運一、リュバルスキー、山下清澄、村井正誠、竹田和子、竹田鎮三郎、田村文雄、利根山光人、永井郁、中川紀元、中山正實、二重作龍夫、二見彰一、堀井英男、前田常作、若山八十氏、etc.,
お好きな方が受け継いで楽しんで下されば、泉下のZ氏も喜ばれることでしょう。
どうぞお楽しみ下さい。
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