
建築家石山修武先生の初めての美術館レベルでの大展覧会が世田谷美術館で開催されます。
「建築がみる夢 石山修武と12の物語」
会期=2008年6月28日~8月17日
以下、世田谷美術館のHPよりの転載です。
********
建築とは何か-常に問い続ける建築家の近未来設計図
巨大な鉄のパイプを家にする。材料を海外から直接輸入する。左官の漆喰の技術、造船の鉄板加工技術を活用する。募金活動をしながら少しずつ建てるなど、石山修武(1944-)は、常に建築の新しい可能性を切り拓いてきました。美術館での初個展となる本展では、国内外で現在進行している12のプロジェクトを中心に、石山修武の活動をご紹介します。そこには、誰も見たことのない建築、さらには、私達の将来の生活の姿が現れるかもしれません。
*********
これではいったいどんな展覧会なのか、さっぱりわかりませんね(笑)。
石山修武先生らしいというか、美術館の学芸員が建築家を前に四苦八苦している様が目に浮かびます(決して否定的な意味ではありませんよ)。
詳しくは、石山修武研究室のウエブサイトをご覧いただきたいのですが、図面と模型と写真という、今までの建築展の概念を覆すような面白い展示を石山先生は練っているらしい。期待しましょう。
私自身の回想でいえば、1975年の「幻庵」の出現は、衝撃的でした。
早稲田に天才現る!
その後、飯田橋の飲み屋・地獄の憂陀のカウンターの片隅で、石山先生の飲んでますます精悍な怖~い顔を恐る恐る眺めておりましたが、自分から近づこうとはしませんでした。
名作「伊豆の長八美術館」に展示されている墨絵はその飲み屋の主人・金森一咳さんの描いたもの。
憂陀は閉店してしまいましたが、私はひょんなことから石山先生とお付き合いするはめになり、ここ数年は石山版画の版元として身も心も捧げて、お仕えしております。
作家と版元との関係には、セオリーなんてありません。
クレイジーな作家がいて、作家をサポートする優秀な刷り師(工房)がいる。版元はソロバン片手にある時はおだて、ある時には脅して作家を何とか制作に追い込む。直接に脅すのが無理な時は、搦め手から刷り師を使って作家の情に訴える。
「今月、先生の版ができないと、版元の某ワタヌキさんが刷り代払わないって言ってるんです。何とか工房を助けてください」なんて、言わせるわけであります(もちろんたまにです)。
この作家、刷り師(版画工房)、版元の三者の微妙な関係が名作を(駄作を)生むわけですね。当然のことながら、版元の主人というのは古今東西、強い者(作家)には弱く、弱い者(刷り師)には強い。クレイジーな作家と、横暴な版元に挟まれ刷り師はたまったもんではない。
ところで私、歳のせいで最近は制作担当の某O嬢に現場の進行をまかせっきりです。
石山修武先生が世田谷美術館で発表する予定の銅版画についても、「うまく進行しています」という某O嬢の報告を真に受けて安心しきっていた。
ところが先日、石山修武先生の日記を読んだらとんでもないことが書いてあるではないか。
以下、石山日記から勝手に引用します。
*********************
九時白井版画工房の白井さんより電話があり、銅版画の一枚を刷るのに、何やらうまくいかなかったと恐縮しておられた。私はまだ刷り師と彫り師の関係というのを把握していない能天気彫り師なのだけど、それを聞いて良かったと思った。これで、うまくいかなかった一点が幻の名作だったとホラを吹けるからだ。
銅版画は色んな偶然、時の恵みを味方にしてやる表現だから、当然うまくゆかない時もあるのだろう。ただの彫り師としては、刷り師の仕事にとやかく言わない。こうして欲しいは言うけれど、一切の文句はつけないとすでに決めているので、白井さんの恐縮振りに、こちらの方がかえってオロオロしてしまった。こういう事があるので銅版画は面白いのであろう。と、他人事のように言うが、こういう事があるからこそこの世界にのめり込む人も多いのだろうと憶測する。
同じようなモノを彫り続けたり、それらしきを写実するような彫り方は私にはできない。同じような構成を沢山彫るのは忍耐強ければ比較的たやすい事である。又、その方が他人に見ていただくのに容易である事も解る。が、私には出来ない。これは彫り続けたら面白いだろうと思う形式を得ても、せいぜい五点やったら、次のテーマに移りたいと考えてしまうのだ。写真らしき、の方はもともと私には写真の技術がないし、写真の妙も良く理解できぬので、問題外の事ではあるが、手で描く写真とカメラの写真の圧倒的な違いは、入口程度を理解できるようになった。
新作では、一つ新しい技法を試みている。その刷り上がり振りが楽しみで、これは想像しても想像し切れないのである。白井刷り師のウデに頼らざるを得ないのだ。だから、一点二点がうまくゆかなかった事ぐらい、どおって事はないのである。
4月23日 石山修武
***********************
ナヌっ。製版を失敗したなんて、オレは聞いてねーぞ!
どうも、心優しき(心臓の弱い)刷り師の白井四子男さんは、私に言ったら怒鳴られること必至とみて、某O嬢と結託して石山先生と直に話をつけてしまったらしい。
それにしても石山先生「うまくいかなかった一点が幻の名作だったとホラを吹ける」だなんて・・・さすがというか・・・・ご配慮感謝いたします。
とまあ、そんなわけで、準備は着々と(?)進行しています。
冒頭に掲げた写真は、帯広の雪原にたつ十勝ヘレン・ケラー記念塔(星山荘)。私は幻庵とならぶ石山建築の傑作であると思っております。
私どものエディション作家である、磯崎新先生が大分のアートプラザや群馬県立近代美術館他七箇所で、小野隆生先生が池田20世紀美術館で、そして石山修武先生が世田谷美術館で個展と、今年2008年は毎月どこかで展覧会が開催されるという過密スケジュールです。いったいすべてのオープニングに出席できるのかしら・・・・
◆ときの忘れものの次回企画は、5月9日~5月31日「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」です。
コメント