スタッフの三浦が優雅なヨーロッパ旅行(ヴェネチア、フィレンツェ、パリ)を終えて10日ぶりに出社しました。まあ、夏の真っ最中に休み返上で「ジョック・スタージス展」で奮闘したことを思えば、遅くなった夏休みを楽しむのは当然ですね。とはいえ、留守中に来る何通もの英文メールには往生しました。なにしろ最近の大口取引は海外ばっかなもんで、英文担当の三浦がいないとにっちもさっちもいかない。ようやく平常に戻り、ほっとしたところです。
さて、ペシャワール会の伊藤さんが殺されてからはじめての会報(号外、伊藤和也さん追悼号)が送られてきました。表紙は伊藤さんが撮影した現地の菜の花畑で微笑む子供の写真です。
会報とともに、中村哲医師の弔辞が同封されていましたので、再録させていただきます。
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弔辞
まず、ダラエヌール、シェイワ、シギの全ての人々が伊藤くんの捜索活動や遺体搬送に協力し、そしで今日、こうして多くの方々が哀悼の意を表して下さることに、心からの感謝を申し上げます。
伊藤くんの遺徳については、多くの方々が様々に生前のことを述べられたので、私がくどくどと申すことは無用かと存じます。ダラエヌールの小さな子供やご婦人方に至るまで、悲しみを表し、私たちPMSへの同情と感謝を改めていただいたことは、悲しみの中にあっても、光栄という他、ありません。
伊藤くんを殺したのはアフガン人ではありません。人間ではありません。今やアフガニスタンを蝕む暴力であります。政治的なものであれ、物取り強盗であれ、心ない暴力によって彼は殺されました。
不幸にして世の中には、伊藤くんの死を政治目的に利用しようとする者もいます。また、アフガニスタンという国の文化を知らず、PMSと皆さんとの交誼を知らず、様々な噂や論評が横行いたします。その中には聞くに堪えない無理解、戦争肯定が少なからずあります。そうして生まれる武力干渉が、現在のアフガニスタンの混乱を招いてきました。このことを否定する者は、今日集まられた方々の中には居ないと思います。私たちはもう、戦争に疲れました。
私たちPMSは、極力アフガンの文化を尊重し、アフガン人がアフガンのふるさとで、アフガンのやり方で生活ができるように、平和なやり方で、事業を進めてきました。繰り返しますが、「平和に」です。戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決にはなりません。
いったい、イスラム教徒であることが罪悪でしょうか。アフガン人が自らの掟に従って生きることが悪いことでしょうか。私はキリスト教徒であります。しかし、だからとて、ただの一度としてアフガン人から偏見を持たれたことはありません。良い事は誰にとっても良いことで、悪い事は誰にとっても悪い事であります。現に、このようにして全てのクズクナールの人々が集い、異教徒である伊藤くんの死を悼んでいるではありませんか。心ない者はどこにも居ます。今回の事件でアフガン人と日本人との間に亀裂があってはなりません。
アフガン人も日本人も、親として、人としての悲しみに、国境はありません。命の尊さに国境はありません。「困ったときの友こそ、真の友だ」といいます。今アフガニスタンは史上最悪のときを経ようとしつつあります。五百万人以上の人々が飢餓に直面し、無用な戦争で多くの罪のない人々が命を落としています。
かつて六十年前、日本もまた、戦争で、国土が廃墟となりました。二百万の兵士と、百万人の市民が死に、アジアの近隣諸国にはそれ以上の惨禍をもたらしました。私も、生まれた直後の様子を良く覚えております。外国人はいつでも逃げることができます。しかし、この廃墟と化した土地にしがみついて生きなければならぬアフガン人は、どこにも逃げ場所がありません。
であればこそ、私たちPMSは、変わらずに事業を継続して、皆さんと苦楽を共に致したいと思います。それがまた、伊藤くんへの追悼であり、過去の戦争で死んだ人々の鎮魂であります。皆さんの協力と要望がある限り、PMSの活動を止むことなく継続することを誓い、弔辞と致します。
二〇〇八年九月九日
アフガニスタン・シェイワにて ペシャワール会現地代表・中村哲
(葬儀は、現地時間午前九時からシェイワに建設中のマドラッサ敷地内に約八〇〇人が集まり開かれ、各村の有力者らが弔辞を読み上げ、祈りを捧げました。村人との結束はより深くなりました)
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私たちも心から伊藤さんのご冥福をお祈りします。
中村哲医師が繰り返し訴えてきたことは「無知こそが悲惨な結果を招く」ということでした。私たちは伊藤さんたちのペシャワール会の活動を知り、それを応援してきたわけですが、ペシャワール会の存在も知らず、ただお上の言い分を鵜呑みにする人も少なくない。アフガンへの支援をどういう形で行ったらいいのか、政治家は現地に入り込んで活動する人々の声に謙虚に耳を傾けて欲しい。
ときの忘れものでは、中村哲医師とペシャワール会を支援するチャリティーオークションを継続して開催しています。現地が困難な状況であるいまこそ、微力ではありますが、できる限りの支援を行なうつもりです。ご理解のうえ、ぜひご参加ください。
さて、ペシャワール会の伊藤さんが殺されてからはじめての会報(号外、伊藤和也さん追悼号)が送られてきました。表紙は伊藤さんが撮影した現地の菜の花畑で微笑む子供の写真です。会報とともに、中村哲医師の弔辞が同封されていましたので、再録させていただきます。
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弔辞
まず、ダラエヌール、シェイワ、シギの全ての人々が伊藤くんの捜索活動や遺体搬送に協力し、そしで今日、こうして多くの方々が哀悼の意を表して下さることに、心からの感謝を申し上げます。
伊藤くんの遺徳については、多くの方々が様々に生前のことを述べられたので、私がくどくどと申すことは無用かと存じます。ダラエヌールの小さな子供やご婦人方に至るまで、悲しみを表し、私たちPMSへの同情と感謝を改めていただいたことは、悲しみの中にあっても、光栄という他、ありません。
伊藤くんを殺したのはアフガン人ではありません。人間ではありません。今やアフガニスタンを蝕む暴力であります。政治的なものであれ、物取り強盗であれ、心ない暴力によって彼は殺されました。
不幸にして世の中には、伊藤くんの死を政治目的に利用しようとする者もいます。また、アフガニスタンという国の文化を知らず、PMSと皆さんとの交誼を知らず、様々な噂や論評が横行いたします。その中には聞くに堪えない無理解、戦争肯定が少なからずあります。そうして生まれる武力干渉が、現在のアフガニスタンの混乱を招いてきました。このことを否定する者は、今日集まられた方々の中には居ないと思います。私たちはもう、戦争に疲れました。
私たちPMSは、極力アフガンの文化を尊重し、アフガン人がアフガンのふるさとで、アフガンのやり方で生活ができるように、平和なやり方で、事業を進めてきました。繰り返しますが、「平和に」です。戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決にはなりません。
いったい、イスラム教徒であることが罪悪でしょうか。アフガン人が自らの掟に従って生きることが悪いことでしょうか。私はキリスト教徒であります。しかし、だからとて、ただの一度としてアフガン人から偏見を持たれたことはありません。良い事は誰にとっても良いことで、悪い事は誰にとっても悪い事であります。現に、このようにして全てのクズクナールの人々が集い、異教徒である伊藤くんの死を悼んでいるではありませんか。心ない者はどこにも居ます。今回の事件でアフガン人と日本人との間に亀裂があってはなりません。
アフガン人も日本人も、親として、人としての悲しみに、国境はありません。命の尊さに国境はありません。「困ったときの友こそ、真の友だ」といいます。今アフガニスタンは史上最悪のときを経ようとしつつあります。五百万人以上の人々が飢餓に直面し、無用な戦争で多くの罪のない人々が命を落としています。
かつて六十年前、日本もまた、戦争で、国土が廃墟となりました。二百万の兵士と、百万人の市民が死に、アジアの近隣諸国にはそれ以上の惨禍をもたらしました。私も、生まれた直後の様子を良く覚えております。外国人はいつでも逃げることができます。しかし、この廃墟と化した土地にしがみついて生きなければならぬアフガン人は、どこにも逃げ場所がありません。
であればこそ、私たちPMSは、変わらずに事業を継続して、皆さんと苦楽を共に致したいと思います。それがまた、伊藤くんへの追悼であり、過去の戦争で死んだ人々の鎮魂であります。皆さんの協力と要望がある限り、PMSの活動を止むことなく継続することを誓い、弔辞と致します。
二〇〇八年九月九日
アフガニスタン・シェイワにて ペシャワール会現地代表・中村哲
(葬儀は、現地時間午前九時からシェイワに建設中のマドラッサ敷地内に約八〇〇人が集まり開かれ、各村の有力者らが弔辞を読み上げ、祈りを捧げました。村人との結束はより深くなりました)
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私たちも心から伊藤さんのご冥福をお祈りします。
中村哲医師が繰り返し訴えてきたことは「無知こそが悲惨な結果を招く」ということでした。私たちは伊藤さんたちのペシャワール会の活動を知り、それを応援してきたわけですが、ペシャワール会の存在も知らず、ただお上の言い分を鵜呑みにする人も少なくない。アフガンへの支援をどういう形で行ったらいいのか、政治家は現地に入り込んで活動する人々の声に謙虚に耳を傾けて欲しい。
ときの忘れものでは、中村哲医師とペシャワール会を支援するチャリティーオークションを継続して開催しています。現地が困難な状況であるいまこそ、微力ではありますが、できる限りの支援を行なうつもりです。ご理解のうえ、ぜひご参加ください。
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