町田市立国際版画美術館で開催中の「ピラネージ版画展2008」については、先日のブログでご紹介しました。
その折、同時開催されている池田満寿夫展についても触れましたが、会場で配布していた粗末な出品目録(コピー)をよく読むと、なかなか興味深いことが書いてありました。
勝手に全文引用させていただきます。きっとコピーによる会場配布のリストだったので学芸員さん、本音を書いちゃいましたね(素晴らしい!)。きちんとした図録だったらこうはかけないでしょう。パトロンと画家との微妙かつ複雑な関係を暗示していてとても参考になります。
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池田満寿夫(1934-97)は美術家、小説家、映画監督、脚本家、テレビタレントなど、実に多彩な顔を持つマルチ・アーティストでした。美術の分野だけでも版画、絵画、陶芸、ブックワークなど様々な分野で積極的に創作活動を展開させていました。突然の死からすでに11年が経ち、人々の記憶も薄れがちですが、今年は大規模な回顧展が全国の美術館を巡回し、その仕事が再評価されている様子がうかがえます。
町田市立国際版画美術館は池田が版画家というだけでなく、初代館長の久保貞次郎(1909-1996)が、画家志望の青年・池田のスポンサーであったという点で、さらに二人が長い付き合いのなかで愛憎相半ばする関係にあったということから、池田とは開館当初から深く、複雑な縁で結ばれていました。しかし、久保が病に倒れて退館した後に開催した「久保貞次郎と芸術家」展での関連シンポジウムでは、池田がライバルともいえる友人の作家たちの前で、久保貞次郎の功績について冷静に語っていたことを思い出します。
さて、今回のミニ企画では、版画家から出発した池田の最初期(1950年代後半)の銅版画を中心に、数々の国際ビエンナーレで受賞を重ね、版画家として脚光を浴びる時代(1960-70年代)までの作品を展示しています。そのうち1950年代の銅版画は、「銅版画といえば白黒作品」といえた当時の日本で、色彩を用いて制作された実験的な作品だったといえるでしょう。それらには、カンディンスキーやクレーなど、自分が気になる画家を意識しながら新しい表現を模索する池田の姿が感じられます。さらに女性をモティーフにしたり、エロティックな表現を試みたりしていることが見て取れますが、そうした最初期の表現にも、やがて「愛とエロス」の版画家として大成した池田満寿夫の表現志向が既に現れていることがわかります。
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久保貞次郎先生の生前、ときどき館長室に訪ねましたが、そこに飾ってあったのは靉嘔であったり小田襄、木村利三郎、吉原英雄などだった記憶があります。しかし池田満寿夫はなかった。
久保先生がこれら若い作家を愛し、金銭的にも(作品を買い取り、または版画をエディションする)多大な援助をしたことは周知のことですが、後に離れていった作家も少なくない。池田さんはその一人でした。
久保先生が亡くなるまで最も良好な関係を結んでいたのが靉嘔であるということもまた周知のことですね。もう時効でしょうから書きますが、私は上記のような微妙な関係など全く知らずにのこのこと美術に世界に入り、拙い知識で片っ端から作家を口説きました。池田さんももちろん口説いた。池田さんはあの人懐っこい笑顔を浮かべて、渋谷のマンションの一室にあった私たちの事務所にいらしてくれましたが、結局版画はつくってもらえなかった。所謂「久保一派」と見られたようで、拒否反応をおこされたらしい。その逆に、靉嘔先生には快く相談になってもらい、現代版画センターのエディション第一号「I love you」限定11,111部が生れます(1974年)。
今思うと、久保先生と靉嘔先生の関係は最後まで崩れるとこのない信頼関係で結ばれ、そのおかげで私は随分と靉嘔先生の名作をエディションすることができました。
以下に紹介するのは、1980年の大作シリーズ「比翼の鳥」です。

靉嘔「会話・比翼の鳥」
1980年 スクリーンプリント(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:48.0×95.0cm
シートサイズ:55.0×110.0cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.409(叢文社)

靉嘔「飛べ・比翼の鳥」
※レゾネNo.408(叢文社)
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◆ピラネージ版画展の招待券がありますので、ご希望の方はどうぞ申し込んでください。画廊にもおいてあります。
◆ときの忘れものでは、11月14日[金]―12月6日[土]まで「植田正治写真展ー砂丘劇場」を開催します。
初日の11月14日[金]19時より、東京都写真美術館専門調査員・金子隆一氏によるギャラリートークを開催します。参加費1,000円(1ドリンク付)
※要予約/氏名・電話番号を明記の上、メールまたは電話(03-3470-2631)でご予約ください。
その折、同時開催されている池田満寿夫展についても触れましたが、会場で配布していた粗末な出品目録(コピー)をよく読むと、なかなか興味深いことが書いてありました。
勝手に全文引用させていただきます。きっとコピーによる会場配布のリストだったので学芸員さん、本音を書いちゃいましたね(素晴らしい!)。きちんとした図録だったらこうはかけないでしょう。パトロンと画家との微妙かつ複雑な関係を暗示していてとても参考になります。
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池田満寿夫(1934-97)は美術家、小説家、映画監督、脚本家、テレビタレントなど、実に多彩な顔を持つマルチ・アーティストでした。美術の分野だけでも版画、絵画、陶芸、ブックワークなど様々な分野で積極的に創作活動を展開させていました。突然の死からすでに11年が経ち、人々の記憶も薄れがちですが、今年は大規模な回顧展が全国の美術館を巡回し、その仕事が再評価されている様子がうかがえます。
町田市立国際版画美術館は池田が版画家というだけでなく、初代館長の久保貞次郎(1909-1996)が、画家志望の青年・池田のスポンサーであったという点で、さらに二人が長い付き合いのなかで愛憎相半ばする関係にあったということから、池田とは開館当初から深く、複雑な縁で結ばれていました。しかし、久保が病に倒れて退館した後に開催した「久保貞次郎と芸術家」展での関連シンポジウムでは、池田がライバルともいえる友人の作家たちの前で、久保貞次郎の功績について冷静に語っていたことを思い出します。
さて、今回のミニ企画では、版画家から出発した池田の最初期(1950年代後半)の銅版画を中心に、数々の国際ビエンナーレで受賞を重ね、版画家として脚光を浴びる時代(1960-70年代)までの作品を展示しています。そのうち1950年代の銅版画は、「銅版画といえば白黒作品」といえた当時の日本で、色彩を用いて制作された実験的な作品だったといえるでしょう。それらには、カンディンスキーやクレーなど、自分が気になる画家を意識しながら新しい表現を模索する池田の姿が感じられます。さらに女性をモティーフにしたり、エロティックな表現を試みたりしていることが見て取れますが、そうした最初期の表現にも、やがて「愛とエロス」の版画家として大成した池田満寿夫の表現志向が既に現れていることがわかります。
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久保貞次郎先生の生前、ときどき館長室に訪ねましたが、そこに飾ってあったのは靉嘔であったり小田襄、木村利三郎、吉原英雄などだった記憶があります。しかし池田満寿夫はなかった。
久保先生がこれら若い作家を愛し、金銭的にも(作品を買い取り、または版画をエディションする)多大な援助をしたことは周知のことですが、後に離れていった作家も少なくない。池田さんはその一人でした。
久保先生が亡くなるまで最も良好な関係を結んでいたのが靉嘔であるということもまた周知のことですね。もう時効でしょうから書きますが、私は上記のような微妙な関係など全く知らずにのこのこと美術に世界に入り、拙い知識で片っ端から作家を口説きました。池田さんももちろん口説いた。池田さんはあの人懐っこい笑顔を浮かべて、渋谷のマンションの一室にあった私たちの事務所にいらしてくれましたが、結局版画はつくってもらえなかった。所謂「久保一派」と見られたようで、拒否反応をおこされたらしい。その逆に、靉嘔先生には快く相談になってもらい、現代版画センターのエディション第一号「I love you」限定11,111部が生れます(1974年)。
今思うと、久保先生と靉嘔先生の関係は最後まで崩れるとこのない信頼関係で結ばれ、そのおかげで私は随分と靉嘔先生の名作をエディションすることができました。
以下に紹介するのは、1980年の大作シリーズ「比翼の鳥」です。
靉嘔「会話・比翼の鳥」
1980年 スクリーンプリント(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:48.0×95.0cm
シートサイズ:55.0×110.0cm
Ed.100 サインあり
※レゾネNo.409(叢文社)
靉嘔「飛べ・比翼の鳥」
※レゾネNo.408(叢文社)
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◆ピラネージ版画展の招待券がありますので、ご希望の方はどうぞ申し込んでください。画廊にもおいてあります。
◆ときの忘れものでは、11月14日[金]―12月6日[土]まで「植田正治写真展ー砂丘劇場」を開催します。
初日の11月14日[金]19時より、東京都写真美術館専門調査員・金子隆一氏によるギャラリートークを開催します。参加費1,000円(1ドリンク付)
※要予約/氏名・電話番号を明記の上、メールまたは電話(03-3470-2631)でご予約ください。
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