先日ご案内した通り、写真のコレクターでときの忘れものが写真に乗り出すきっかけをつくってくれた原茂さんによる「ギャラリーで写真を買う醍醐味」なる企画が進行中です。
「第一回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」は9月3日19時より予定していますが、既に掲示板で原茂さんたちが熱い議論をたたかわせています。
ちょっと再録させていただきます。
●7月19日<富田>さんからの投稿
原さんの<ギャラリーで写真を買う醍醐味>が始まるとのこと、楽しみです。長らく版画に興味をもっていましたが、現状に接し関心がもてなくなりました。そこで「写真」に可能性をみつけたいと思います。ただ写真について版画を見続けてきたせいか、「サイズ」についてよくわかりません。全紙サイズの作品より四つ切サイズに同じ作品でも魅力を感じます。細江さんの作品でもそう感じてしまいます。濃密さというか。でも将来性?を考えると少しでも大きいサイズを購入したほうが良いのでしょうね。独り言でした。
●7月20日<原茂>さんからの投稿
富田様 書き込みありがとうございます。ご亭主からお声をかけていただいて、<ギャラリーで写真を買う醍醐味>なる企画に関わらせていただくことになりました。予算が月3万円(現在はそれ以下・・・泣)の「小」コレクターがほんの十年程度の経験に基づいてできることなどたかが知れているのですが、「だからこそできる!」という励ましなのか慰めなのかわからない(?)亭主のお言葉に木に登ったような次第です。現在企画段階ですので、ご要望などありましたらお寄せ頂ければと思っております。
写真の「サイズ」についてですが、版画と違って写真の場合には、原理的にはどのようなサイズの作品でも、しかもいくらでも作成できる(実際にはそういったことはないのですが)ため、壁一面を覆うような巨大サイズの作品が存在するということと、同じイメージに複数のサイズがあるということがあるかと思います。私個人としては、写真はあくまでも手に持って愛でることができ、普通に壁に飾って楽しむことができるサイズが「写真」には相応しいのではないかという、かなりクラシックな写真観の持ち主です。現在は様々なプリント手法があるので一概には言えないと思いますが、「銀塩写真」だと、全倍(540×870)を超えて、ロール紙によるプリントになってしまうと、「写真」というよりは「画像」という感じがしますし、「写真」というより「現代アート」になってしまうのではないか(かなりいい加減な表現ですが)と思ってしまいます。もちろんそれが悪いということではありません。あくまでも好き嫌いの問題です。
それがどんなサイズであっても、そのサイズしかないならば、それは写真家がこのサイズがこの写真には必要だと判断した(いわゆる「ジャストサイズ」ですね)、ということですからあとはその判断を受け容れるかどうかということですから簡単です。作品によってはどうしても壁一面のサイズが必要な作品というのが事実あるわけですから。あとはそれを展示できる壁(もしくは保管できる倉庫)と資金が用意できるかどうかという問題です。もっともそれがいちばん問題なのですが・・・・
困るのは、写真家が最初から複数サイズの作品をエディションしている場合です。もちろんこの場合には、大サイズのものは設定された価格も高く、エディションは少なめですし、逆に小サイズのものは価格は低めに設定され、その分エディションは多くなるようです(エディションは同じという場合もあります)。リセールを考えれば、可能な限り大サイズということになるのでしょうが、飾ったときの収まりが悪かったり(基本的にはギャラリーで見た時よりも家に持って帰った時の方がずっと大きく感じられるはずです)、最悪飾れなかったりと言うのも本末転倒でしょう。
私は必ずしも「ジャストサイズ」信奉論者ではないのですが、写真家にとっての「ジャストサイズ」があるならばそれに合わせ、それがないなら購入する側の「ジャストサイズ」に合わせるのが写真にとっては幸せなのかと思います。もし「ヴィンテージプリント」のある写真の「モダンプリント」ならば、ヴィンテージプリントのサイズが写真家にとってのジャストサイズということになるでしょうし、初めから複数サイズがエディションされている写真ならば、そのサイズの範囲が写真家にとっての「ジャストサイズ」ということですから、あとは購入する側の「ジャストサイズ」に合わせてということになるでしょう。
もっとも、「ジャストサイズ」は写真の技法やフィルムのサイズ、さらに展示空間との関係でも変わってくるものですから、考え始めるといろいろ難しいですね。写真自体がまだ新しいメディアですし、その売り買いとなればまだ半世紀にもならないわけですから、サイズの問題もこれから整理されていくのかもしれません。
最終的には「オークション」の「ハンマープライス」が決するということになるのでしょうが、ササビーズやクリスティーズのカタログを見る限りでは、サイズの違いがプライスの違いに決定的な影響を与えるような事態にはまだなっていないようです。(オークションに「最初から複数サイズのエディションのある作品」が扱われるようになっていないということなのかもしれませんが)。むしろ、希少性(ヴィンテージプリントもしくはそれに準じるプリント)とコンディション、そして来歴が決定的であるように見受けられます。
じっさい、オールドマスターと呼ばれるような偉大な写真家の作品は必ずしも大きなものではありません。八切や六切、四切程度の歴史的傑作はいくらでもあります。その意味で、「全紙サイズの作品より四つ切サイズに同じ作品でも魅力を感じます」というのは慧眼にして至言かと思わされた次第です。優れたコレクターがその美意識によってスモールサイズのプリントを敢えて選んだということが、ひいてはその写真の「ジャストサイズ」を決めていくということもあるのではないでしょうか。だれしもリセールバリューは気になるところですが、自分の眼を信じて御自身のジャストサイズに一票を投じることもまたコレクターの写真の歴史への貢献なのではないかと思う次第です。妄言多謝。
●7月21日<富田>さんからの投稿
私の戯言に多量の提言ありがとうございます。写真の「サイズ」は私にとって長らく疑問になっていました。細江さんの三島作品をある美術館で全紙サイズの作品を見たのですが、迫力はありました。ただし自分で飾るには、と思いました。あの眼光が部屋いっぱいに広がると息ぐるしさがあるのではないかと思ったのが最初でした。木村伊兵衛さんの作品などL判でもと不遜ながら考えてしまいます。今後に期待します。
●7月27日<H>さんからの投稿
私も、原さんの<ギャラリーで写真を買う醍醐味>期待します。
正統派ときの忘れものにコレクターの眼とココロが加わることがどんな写真を紹介していくのか興味深々。
と最近、過去の美術雑誌をめくると1993年インテルポにて植田さんの展覧会が開かれていたことを知りました。砂丘シリーズを中心に23点、うちヴィンテージ3点。モダンプリントは、30万から35万、ヴィンテージが80万と100万。当時池田満寿夫の新作が20万、加山のリト「夏」が150万ぐらいだったか。おそらく完売なんてことはなくひっそりとした展覧会ではなかったのでしょうか。今、植田さんのヴィンテージがどのくらいかわかりませんが、当時購入した方がいれば、その眼と度胸に尊敬。同様な時期に草間さんの油彩や版画を購入した方も。
またその雑誌に高田皆義という昭和初期前衛ヌード展覧会がNYであり、4500$から1万2500$すべてがヴィンテージだとしても高価格、当時日本人で買った人がいたのだろうか。
そして、現在でもどこかで木村伊兵衛のサイン入りのオリジナルプリントがまだ数万円で買えるという噂を聞きました。(どこだかは不明)
過去や現在を見まわしていくと、こんな状態だからこそ「写真」ではないかと思えます。
ただし版画のように数千円からは無理(だからこそときの忘れものアーカイブス五味彬は、画期的な企画です。まだ残部があるのが信じられません)です。
コレクターも、数年に一点豪華主義でいくのか、年間3、4点のコツコツ主義でいくのか、この選択もコレクターにとっても難しい。コツコツ主義も、一人の作家にするか、幅広くいくくか、これも難しい。
いろいろと書き込みましたが企画の発表を楽しみします。
●7月28日<原茂>さんからの投稿
Hさま、投稿ありがとうございます。<ギャラリーで写真を買う醍醐味>、ご期待に添えるかどうか、はなはだ心許ない限りですが、皆様に支えて頂きながらなんとか務めを果たしたいと思っております。
あわせて貴重な情報ありがとうございます。小生が伝説(!)の写真ギャラリー「イル・テンポ」に伺うようになったのは、1998年に東京に転勤になってからですので、1993年の植田正治展には伺えませんでしたが、今ならミュージアムクラスの展示ということになるでしょう。足を運ばれた方々が羨ましい限りです。
私が拝見したのは1999年1月の「植田正治写真展-未公開ヴィンテージ作品」展で、植田さんが1974年の「アサヒカメラ」に連載した作品の展示でした。「偶然発見された」写真原稿そのものの展示で、当時植田さんが試みておられたRCペーパーでのプリントであったことや印刷原稿としてのサイズであったためか、ヴィンテージにもかかわらず20万円(税込21万円)というプライスがついていました。同じものが2008年11月「ときの忘れもの」の「植田正治写真展-砂丘劇場」では1.050.000円(税込)となっていたのは皆様もご存じの通りです。
10年で5倍というとんでもない「高騰」ですが、現在作品のほとんどが個人コレクションやミュージアムといった納まるべき所に納まってしまったしまった一方、国内外(特に海外)でますます評価が高くなっている植田さんの作品ですから、10年後には「10年前なら無理をすれば手の届く価格だった」ということになるのも間違いのないところです。
現在植田作品を一番多くお持ちなのは、(恐らく)わが「ときの忘れもの」ですので、この夏(+冬の、多分来年の夏冬くらいまでなら、ひょっとすると再来年の夏冬までOKかも)のボーナスをつぎ込むのは決して無謀な振る舞いではないどころか、10年後の自慢の種ともと思うのですが。
むしろ私にとっての後悔は、当時「イル・テンポ」のストレージボックスの中に売るほど(!)あって、「原さん、良い作品だと思うんだけど」とオーナーの石原和子さんに勧められたり、「私お金があったら絶対買います」とまでスタッフ(当時)の大河原良子さんに言っていただきながら、「絶対非演出の絶対スナップ」にこだわって、オノデラユキの作品を買い逃したことです。「白と玉」シリーズを含む初期作品や出世作の一つ「古着のポートレイト」が数万円で手に入ったのですから、「逃した魚は大きい」というのはこういうことなのかとほぞをかむ思いです。
今週から東京都写真美術館で「オノデラユキ 写真の迷宮へ」展、これに合わせた「ツァイト・フォト・サロン」の「オノデラユキ 写真の迷宮へ Part 2. -プライベートルーム- 」展が始まりますが、あんまり悔しいので見に行けるかどうか分かりません(泣)。
むしろ、すでに評価の定まった作家を追いかけるよりも、未来の「ポンピドゥーセンター」作品収蔵作家を発見する方がよほど生産的かもしれません。その意味では、現在「ときの忘れもの」で展示中の君島彩子、若宮綾子、渡辺貴子、そしてご亭主をして「『気味が悪い』、何という名誉な言葉でしょう。亭主の画商生活30数年でこの言葉を投げかけられたのは草間彌生だけでした」と言わしめた井桁裕子といった未来の草間彌生に一票を投じるのが「コレクター」の使命ではないかと思うこの頃です。
私サマージャンボの3等でも当たったら「錬金術 Ryoko-doll」絶対買います、です。
◆ときの忘れものは、2010年8月27日[金]―9月4日[土]に「銀塩写真の魅力II―Noir et Blanc」を開催します(会期中無休)。
マン・レイやアンドレ・ケルテス、篠山紀信、荒木経惟、植田正治らによるゼラチン・シルバー・プリント作品を展示する予定です。
会期中の9月3日(金)19時より、原茂さんをホストに、大河原良子さんをゲストにお招きして
「第一回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」を開催します(要予約、参加費1000円)。
詳細は後日発表します。
「第一回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」は9月3日19時より予定していますが、既に掲示板で原茂さんたちが熱い議論をたたかわせています。
ちょっと再録させていただきます。
●7月19日<富田>さんからの投稿
原さんの<ギャラリーで写真を買う醍醐味>が始まるとのこと、楽しみです。長らく版画に興味をもっていましたが、現状に接し関心がもてなくなりました。そこで「写真」に可能性をみつけたいと思います。ただ写真について版画を見続けてきたせいか、「サイズ」についてよくわかりません。全紙サイズの作品より四つ切サイズに同じ作品でも魅力を感じます。細江さんの作品でもそう感じてしまいます。濃密さというか。でも将来性?を考えると少しでも大きいサイズを購入したほうが良いのでしょうね。独り言でした。
●7月20日<原茂>さんからの投稿
富田様 書き込みありがとうございます。ご亭主からお声をかけていただいて、<ギャラリーで写真を買う醍醐味>なる企画に関わらせていただくことになりました。予算が月3万円(現在はそれ以下・・・泣)の「小」コレクターがほんの十年程度の経験に基づいてできることなどたかが知れているのですが、「だからこそできる!」という励ましなのか慰めなのかわからない(?)亭主のお言葉に木に登ったような次第です。現在企画段階ですので、ご要望などありましたらお寄せ頂ければと思っております。
写真の「サイズ」についてですが、版画と違って写真の場合には、原理的にはどのようなサイズの作品でも、しかもいくらでも作成できる(実際にはそういったことはないのですが)ため、壁一面を覆うような巨大サイズの作品が存在するということと、同じイメージに複数のサイズがあるということがあるかと思います。私個人としては、写真はあくまでも手に持って愛でることができ、普通に壁に飾って楽しむことができるサイズが「写真」には相応しいのではないかという、かなりクラシックな写真観の持ち主です。現在は様々なプリント手法があるので一概には言えないと思いますが、「銀塩写真」だと、全倍(540×870)を超えて、ロール紙によるプリントになってしまうと、「写真」というよりは「画像」という感じがしますし、「写真」というより「現代アート」になってしまうのではないか(かなりいい加減な表現ですが)と思ってしまいます。もちろんそれが悪いということではありません。あくまでも好き嫌いの問題です。
それがどんなサイズであっても、そのサイズしかないならば、それは写真家がこのサイズがこの写真には必要だと判断した(いわゆる「ジャストサイズ」ですね)、ということですからあとはその判断を受け容れるかどうかということですから簡単です。作品によってはどうしても壁一面のサイズが必要な作品というのが事実あるわけですから。あとはそれを展示できる壁(もしくは保管できる倉庫)と資金が用意できるかどうかという問題です。もっともそれがいちばん問題なのですが・・・・
困るのは、写真家が最初から複数サイズの作品をエディションしている場合です。もちろんこの場合には、大サイズのものは設定された価格も高く、エディションは少なめですし、逆に小サイズのものは価格は低めに設定され、その分エディションは多くなるようです(エディションは同じという場合もあります)。リセールを考えれば、可能な限り大サイズということになるのでしょうが、飾ったときの収まりが悪かったり(基本的にはギャラリーで見た時よりも家に持って帰った時の方がずっと大きく感じられるはずです)、最悪飾れなかったりと言うのも本末転倒でしょう。
私は必ずしも「ジャストサイズ」信奉論者ではないのですが、写真家にとっての「ジャストサイズ」があるならばそれに合わせ、それがないなら購入する側の「ジャストサイズ」に合わせるのが写真にとっては幸せなのかと思います。もし「ヴィンテージプリント」のある写真の「モダンプリント」ならば、ヴィンテージプリントのサイズが写真家にとってのジャストサイズということになるでしょうし、初めから複数サイズがエディションされている写真ならば、そのサイズの範囲が写真家にとっての「ジャストサイズ」ということですから、あとは購入する側の「ジャストサイズ」に合わせてということになるでしょう。
もっとも、「ジャストサイズ」は写真の技法やフィルムのサイズ、さらに展示空間との関係でも変わってくるものですから、考え始めるといろいろ難しいですね。写真自体がまだ新しいメディアですし、その売り買いとなればまだ半世紀にもならないわけですから、サイズの問題もこれから整理されていくのかもしれません。
最終的には「オークション」の「ハンマープライス」が決するということになるのでしょうが、ササビーズやクリスティーズのカタログを見る限りでは、サイズの違いがプライスの違いに決定的な影響を与えるような事態にはまだなっていないようです。(オークションに「最初から複数サイズのエディションのある作品」が扱われるようになっていないということなのかもしれませんが)。むしろ、希少性(ヴィンテージプリントもしくはそれに準じるプリント)とコンディション、そして来歴が決定的であるように見受けられます。
じっさい、オールドマスターと呼ばれるような偉大な写真家の作品は必ずしも大きなものではありません。八切や六切、四切程度の歴史的傑作はいくらでもあります。その意味で、「全紙サイズの作品より四つ切サイズに同じ作品でも魅力を感じます」というのは慧眼にして至言かと思わされた次第です。優れたコレクターがその美意識によってスモールサイズのプリントを敢えて選んだということが、ひいてはその写真の「ジャストサイズ」を決めていくということもあるのではないでしょうか。だれしもリセールバリューは気になるところですが、自分の眼を信じて御自身のジャストサイズに一票を投じることもまたコレクターの写真の歴史への貢献なのではないかと思う次第です。妄言多謝。
●7月21日<富田>さんからの投稿
私の戯言に多量の提言ありがとうございます。写真の「サイズ」は私にとって長らく疑問になっていました。細江さんの三島作品をある美術館で全紙サイズの作品を見たのですが、迫力はありました。ただし自分で飾るには、と思いました。あの眼光が部屋いっぱいに広がると息ぐるしさがあるのではないかと思ったのが最初でした。木村伊兵衛さんの作品などL判でもと不遜ながら考えてしまいます。今後に期待します。
●7月27日<H>さんからの投稿
私も、原さんの<ギャラリーで写真を買う醍醐味>期待します。
正統派ときの忘れものにコレクターの眼とココロが加わることがどんな写真を紹介していくのか興味深々。
と最近、過去の美術雑誌をめくると1993年インテルポにて植田さんの展覧会が開かれていたことを知りました。砂丘シリーズを中心に23点、うちヴィンテージ3点。モダンプリントは、30万から35万、ヴィンテージが80万と100万。当時池田満寿夫の新作が20万、加山のリト「夏」が150万ぐらいだったか。おそらく完売なんてことはなくひっそりとした展覧会ではなかったのでしょうか。今、植田さんのヴィンテージがどのくらいかわかりませんが、当時購入した方がいれば、その眼と度胸に尊敬。同様な時期に草間さんの油彩や版画を購入した方も。
またその雑誌に高田皆義という昭和初期前衛ヌード展覧会がNYであり、4500$から1万2500$すべてがヴィンテージだとしても高価格、当時日本人で買った人がいたのだろうか。
そして、現在でもどこかで木村伊兵衛のサイン入りのオリジナルプリントがまだ数万円で買えるという噂を聞きました。(どこだかは不明)
過去や現在を見まわしていくと、こんな状態だからこそ「写真」ではないかと思えます。
ただし版画のように数千円からは無理(だからこそときの忘れものアーカイブス五味彬は、画期的な企画です。まだ残部があるのが信じられません)です。
コレクターも、数年に一点豪華主義でいくのか、年間3、4点のコツコツ主義でいくのか、この選択もコレクターにとっても難しい。コツコツ主義も、一人の作家にするか、幅広くいくくか、これも難しい。
いろいろと書き込みましたが企画の発表を楽しみします。
●7月28日<原茂>さんからの投稿
Hさま、投稿ありがとうございます。<ギャラリーで写真を買う醍醐味>、ご期待に添えるかどうか、はなはだ心許ない限りですが、皆様に支えて頂きながらなんとか務めを果たしたいと思っております。
あわせて貴重な情報ありがとうございます。小生が伝説(!)の写真ギャラリー「イル・テンポ」に伺うようになったのは、1998年に東京に転勤になってからですので、1993年の植田正治展には伺えませんでしたが、今ならミュージアムクラスの展示ということになるでしょう。足を運ばれた方々が羨ましい限りです。
私が拝見したのは1999年1月の「植田正治写真展-未公開ヴィンテージ作品」展で、植田さんが1974年の「アサヒカメラ」に連載した作品の展示でした。「偶然発見された」写真原稿そのものの展示で、当時植田さんが試みておられたRCペーパーでのプリントであったことや印刷原稿としてのサイズであったためか、ヴィンテージにもかかわらず20万円(税込21万円)というプライスがついていました。同じものが2008年11月「ときの忘れもの」の「植田正治写真展-砂丘劇場」では1.050.000円(税込)となっていたのは皆様もご存じの通りです。
10年で5倍というとんでもない「高騰」ですが、現在作品のほとんどが個人コレクションやミュージアムといった納まるべき所に納まってしまったしまった一方、国内外(特に海外)でますます評価が高くなっている植田さんの作品ですから、10年後には「10年前なら無理をすれば手の届く価格だった」ということになるのも間違いのないところです。
現在植田作品を一番多くお持ちなのは、(恐らく)わが「ときの忘れもの」ですので、この夏(+冬の、多分来年の夏冬くらいまでなら、ひょっとすると再来年の夏冬までOKかも)のボーナスをつぎ込むのは決して無謀な振る舞いではないどころか、10年後の自慢の種ともと思うのですが。
むしろ私にとっての後悔は、当時「イル・テンポ」のストレージボックスの中に売るほど(!)あって、「原さん、良い作品だと思うんだけど」とオーナーの石原和子さんに勧められたり、「私お金があったら絶対買います」とまでスタッフ(当時)の大河原良子さんに言っていただきながら、「絶対非演出の絶対スナップ」にこだわって、オノデラユキの作品を買い逃したことです。「白と玉」シリーズを含む初期作品や出世作の一つ「古着のポートレイト」が数万円で手に入ったのですから、「逃した魚は大きい」というのはこういうことなのかとほぞをかむ思いです。
今週から東京都写真美術館で「オノデラユキ 写真の迷宮へ」展、これに合わせた「ツァイト・フォト・サロン」の「オノデラユキ 写真の迷宮へ Part 2. -プライベートルーム- 」展が始まりますが、あんまり悔しいので見に行けるかどうか分かりません(泣)。
むしろ、すでに評価の定まった作家を追いかけるよりも、未来の「ポンピドゥーセンター」作品収蔵作家を発見する方がよほど生産的かもしれません。その意味では、現在「ときの忘れもの」で展示中の君島彩子、若宮綾子、渡辺貴子、そしてご亭主をして「『気味が悪い』、何という名誉な言葉でしょう。亭主の画商生活30数年でこの言葉を投げかけられたのは草間彌生だけでした」と言わしめた井桁裕子といった未来の草間彌生に一票を投じるのが「コレクター」の使命ではないかと思うこの頃です。
私サマージャンボの3等でも当たったら「錬金術 Ryoko-doll」絶対買います、です。
◆ときの忘れものは、2010年8月27日[金]―9月4日[土]に「銀塩写真の魅力II―Noir et Blanc」を開催します(会期中無休)。
マン・レイやアンドレ・ケルテス、篠山紀信、荒木経惟、植田正治らによるゼラチン・シルバー・プリント作品を展示する予定です。
会期中の9月3日(金)19時より、原茂さんをホストに、大河原良子さんをゲストにお招きして
「第一回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」を開催します(要予約、参加費1000円)。
詳細は後日発表します。
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