昨13日夕方、宮脇愛子先生が画廊に来られました。
先日のレセプションにはたくさんのお客様が見えられましたが、昨日はいつもの通りの静かな一日でした。
宮脇「ここは狭いけど天井が高くていい画廊ね」
亭主「は、それだけが採り得でして・・・・」
宮脇「誰も来ないのね、いつもこんなに静かなの」
亭主(冷や汗
、こういうとき誰が来てくれないと・・・)
というようなやりとりがありまして、その後の顛末は明日写真入りでご報告しましょう。
さて、10月11日「田中文男さんを偲ぶ会」に出席してきました。
大工棟梁田中文男さんが、去る8月9日朝亡くなられました。享年78歳でした。
心より哀悼の意を表します。葬儀は8月11日と12日に、密葬にてしめやかに執り行われましたことをここにお知らせ致します。
さて、生前の田中さんと親しく交際のあった大勢の方々からは、是非お別れの挨拶をしたいとの要望もあり、私ども発起人および世話人は、ご遺族のご了解のもと、「田中文男さんを偲ぶ会」を開催することに致しました。この会を、田中さんがされた仕事、やり残したこと等について賑やかに語り合う場にできればと思っております。(略)
日時: 平成22年10月11日(月・祝)
場所: ホテル ハイアット・リージェンシー東京
平成22年9月8日
「田中文男さんを偲ぶ会」
発起人代表 内田 祥哉
同 松田 妙子
同 鈴木 嘉吉
同 大河 直躬
同 磯崎 新
世話人代表 渡邉 定夫(偲ぶ会案内状より)

左)田中文男『関東の住まい』(1996年 INAX出版)
右)『大工・田中文男 普請研究第39号第二版』(2010年 普請帳研究会)

亭主は田中さんとは磯崎新先生の紹介で知り合い、ときの忘れものが取り組んでいる磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のパトロンのお一人になっていただきました。
第二期が未だ完成せず、田中さんのお元気なときにお届けできなかったことは、かえずがせすも残念で申し訳なく思っています。



広い会場には生前田中さんとお付き合いのあった老若男女多数が集いましたが、画商というような生業の者は亭主一人だったでしょう。
亭主も含め出席者のほとんどは礼服またはスーツ姿(女性は和服の方も多かった)だったのに頭ぼさぼさ、ラフなシャツ姿の怪しい人が一人、画家の岡崎乾二郎さんでした(中央)。右は磯崎新先生。仲の良い二人は散会後いずこともなく消えました。

会の最後は、大工の田中さんらしく江戸木遣り唄で送られました。
田中さん、お世話になりました。合掌。
先日のレセプションにはたくさんのお客様が見えられましたが、昨日はいつもの通りの静かな一日でした。
宮脇「ここは狭いけど天井が高くていい画廊ね」
亭主「は、それだけが採り得でして・・・・」
宮脇「誰も来ないのね、いつもこんなに静かなの」
亭主(冷や汗
、こういうとき誰が来てくれないと・・・)というようなやりとりがありまして、その後の顛末は明日写真入りでご報告しましょう。
さて、10月11日「田中文男さんを偲ぶ会」に出席してきました。
大工棟梁田中文男さんが、去る8月9日朝亡くなられました。享年78歳でした。
心より哀悼の意を表します。葬儀は8月11日と12日に、密葬にてしめやかに執り行われましたことをここにお知らせ致します。
さて、生前の田中さんと親しく交際のあった大勢の方々からは、是非お別れの挨拶をしたいとの要望もあり、私ども発起人および世話人は、ご遺族のご了解のもと、「田中文男さんを偲ぶ会」を開催することに致しました。この会を、田中さんがされた仕事、やり残したこと等について賑やかに語り合う場にできればと思っております。(略)
日時: 平成22年10月11日(月・祝)
場所: ホテル ハイアット・リージェンシー東京
平成22年9月8日
「田中文男さんを偲ぶ会」
発起人代表 内田 祥哉
同 松田 妙子
同 鈴木 嘉吉
同 大河 直躬
同 磯崎 新
世話人代表 渡邉 定夫(偲ぶ会案内状より)

左)田中文男『関東の住まい』(1996年 INAX出版)右)『大工・田中文男 普請研究第39号第二版』(2010年 普請帳研究会)

亭主は田中さんとは磯崎新先生の紹介で知り合い、ときの忘れものが取り組んでいる磯崎新連刊画文集『百二十の見えない都市』のパトロンのお一人になっていただきました。第二期が未だ完成せず、田中さんのお元気なときにお届けできなかったことは、かえずがせすも残念で申し訳なく思っています。



広い会場には生前田中さんとお付き合いのあった老若男女多数が集いましたが、画商というような生業の者は亭主一人だったでしょう。
亭主も含め出席者のほとんどは礼服またはスーツ姿(女性は和服の方も多かった)だったのに頭ぼさぼさ、ラフなシャツ姿の怪しい人が一人、画家の岡崎乾二郎さんでした(中央)。右は磯崎新先生。仲の良い二人は散会後いずこともなく消えました。
会の最後は、大工の田中さんらしく江戸木遣り唄で送られました。田中さん、お世話になりました。合掌。
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