忙中閑あり。12月17日、年末の資金繰りで四苦八苦の合間を縫って亭主は久しぶりに宇都宮に行ってきました(社長のお許しはもちろん得て)。
宇都宮美術館栃木県立美術館で二つの創作版画の展覧会を見るためです。

亭主が美術業界に入ってン十年、企画やら主催やら携わった展覧会は数百ではきかないと思いますが、どの展覧会が一番懐かしいかと聞かれたら、宇都宮の大谷石の巨大地下空間で開催したアンディ・ウォーホル展をあげます。
現代版画センターが「KIKU」をエディションしたのを記念して、マリリン、毛沢東、危機に瀕している種、神話シリーズなどで構成したアンディ・ウォーホル全国展の一環でした。

ANDY WARHOL図録表紙巨大地下空間とウォーホル展
会場写真(村井修撮影)
会期:1983年7月24日~8月20日
   オープニングは7月23日
会場:大谷町屏風岩アート・ポイント

建築用石材としてブロックに代わられるまで、大谷石は江戸時代から職人たちの手で掘り続けられ、その採掘杭口が当時まだ百三十も残っていました。その中でも最も巨大な穴が渡辺興平さんの所有する屏風岩石材部の地下空間でした。
他の穴が縦杭しかないのに、渡辺家の所有する穴は太平洋戦争末期に軍部がこの穴の底に大本営を移す計画をたて突貫工事で斜坑を掘ってくれたおかげで地下100Mまでトラックが入れる、実に幻想的というか、古代ローマのカタコンベを連想させる地下空間でした。
大谷屏風岩石蔵
大谷石でつくられた渡辺家の蔵

渡辺家は船田家とともに作新学院をつくり、足尾鉱毒事件の田中正造をはじめ、孫文、室生犀星らを暖かく迎え入れた地元の旧家ですが、当時のご当主の渡辺興平さんと知人の紹介で知り合った亭主が、この巨大空間を何か文化的なものに使えないかと興平さんに相談されたのがそもそものきっかけでした。
このあたりのことを書き出すときりがないので、別の機会にしますが、その後興平さんが若くしてお亡くなりなったのは残念なことでした。
このときのウォーホル展はNHKの夕方6時の全国ニュースにのり、全国から人が押し寄せ、関東バスは臨時便を出すわ、渡辺家は道路の整備はもちろん、仮設トイレの設置やら大騒ぎで、空前のイベントとなりました。この展覧会がきっかけで、大谷石の地下が俄然注目され、映画の撮影や山海塾の公演、コンサートなどと波及していきます。
大島清次先生が栃木県立美術館の館長時代と重なりますが、この時期宇都宮には良く行きました。同館の開館当初のコレクションである浜口陽三の作品などは亭主が納めたものでした。

その後、新たに宇都宮市が美術館をつくることになり、確か20年ほど前のことですが、亭主はある作家のご遺族に宇都宮市のお役人に引き合わされたことがあります。たまたま別のある展覧会の企画を担当しており、そのご遺族のもとにあった貴重な作品群を半年がかりで調査、撮影、カード化の作業をしていたときでした。
どうもご遺族はそれらの作品を一括して市の美術館に収蔵してもらうために、そのお役人に売り込んでいたらしい。
何も知らない亭主はダシに使われたようで、その役人をなぜか接待するはめに陥りました。
漫画や小説で業者にタカル小役人の存在は知ってはいましたが、実際にお目にかかると嫌なものですね。恐らく自腹でなんか飲み食いしたことないんでしょう。
他にも似たようなことがあり、以来、そんな役人がつくった美術館になんか絶対に行くものかと、すっかり宇都宮から遠ざかってしまいました。

今回、県立美術館で川上澄生展をやっていなかったら、永遠に市の宇都宮美術館に行くことはなかったでしょう。でも行って良かった。意地ははるもんじゃありませんね(笑)。
宇都宮駅からタクシーで2600円、実に遠かった(帰りはバスにしました。400円です)。
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宇都宮美術館
設計:岡田新一(岡田新一設計事務所)
栃木県宇都宮市長岡町1077
開館:1997年

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冬木立に丘の中にある宇都宮美術館

20101121日本近代の青春 創作版画の名品 表20101121日本近代の青春 創作版画の名品 裏

日本近代の青春 創作版画の名品」展
Treasures of Japanese Modern Prints
会期: 2010年11月21日(日)~2011年1月10日(月・祝)

今回の展覧会の出品作品の多くは和歌山県立近代美術館所蔵です。同館は日本でも早い時期にできた美術館です。
和歌山はご存知通り、移民を多数送り出し、また多くの画家を輩出した県で、コレクターもたくさんいらっしゃいました。亭主は行商でたびたび和歌山、田辺を訪れたものです。
同館に三木哲夫先生という創作版画の専門家がいて、恩地孝四郎、田中恭吉を核に質量ともに日本有数の創作版画コレクションをつくりあげました。

今回は個人蔵もふくめ、1900年代から1940年代までの400点を網羅した展覧会で、創作版画で育てられた亭主としてはいてもたってもいられない。
社長に睨まれながら新幹線に飛び乗った次第です。

山本鼎(1882-1946)たち「方寸」の同人たちを創作版画の第一世代とするならば(版画で生涯を全うしたのは織田一磨ただひとり)、「月映」の恩地孝四郎(1891-1955)、田中恭吉(1892-1915)、藤森静雄(1891-1943)たち第二世代で既に創作版画はピークを迎え、あとは下り坂だったことが、今回の展示であらためて確認できました。
亭主の好きな戸張孤雁、平川清蔵、諏訪兼紀らの作品に再会できたのも嬉しいことでした。
最後のコーナーを加藤太郎と駒井哲郎でまとめたのも、企画者の見識というべきでしょう。
この二人は創作版画から育ち、やがて現代美術への展開を予感させる見事な作品をつくりました。
随分ばっさりと斬った感想ですが、それは400点もの作品を一堂で見られたことによりますし、たった一人のイギリス人コレクターに7000点もの創作版画を売った亭主の自負でもあります。
実際、展示してあった作品の中で亭主の未見のものは1割にも満たなかった。
久しぶりに興奮しました。
とともに、もうこういう作品を大量に売り買いする時代はもう来ないのだと、感傷的にもなりました。

日本近代の青春 創作版画の名品
『日本近代の青春 創作版画の名品』図録
編集;和歌山県立近代美術館(井上芳子、寺口淳治)
制作:コギト
発行:和歌山県立近代美術館、宇都宮美術館
発行日:2010年9月18日
22.1×18.0cm 316頁
テキスト:雪山行二、寺口淳治、井上芳子、伊藤伸子、坂本雅美、三木哲夫(年表編集)

このカタログ(2500円)、版画ファンなら必読。お薦めです。(ときの忘れものでは扱っていません、宇都宮美術館、または和歌山県立近代美術館に直接ご注文ください)


客はほとんどいませんでした。
バスが一時間に一本くらいしかないので、ランチを美術館でいただきました。これもなかなか素晴らしいレストランで、なぜか家族連れや女性たちで賑わっていました。ワインをいただきながらゆっくり食事を楽しむことができました。

バスでいったんJR宇都宮駅まで戻り、また別のバス(200円)で今度は栃木県立美術館へ。
もともとの目的である川上澄生展を見ました。
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栃木県立美術館
設計:川崎清 + 環境・建築研究所
開館:1972年
栃木県宇都宮市桜4-2-7

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美術館の前にあった大谷石の蔵


川上澄生展 表川上澄生展 裏
栃木県立美術館では「川上澄生 木版画の世界展」が12月23日まで開催されており、ぎりぎり間に合いました。
世田谷美術館で3月に開催されたものとほとんど同じ構成なのですが、一部世田谷に出品されなかった油彩、水彩などが展示されていてとても勉強になりました。

川上澄生は版画の人で、油彩は色も濁って見え、感心できません。
澄生だけに限らず、日本の近代画家たちが油絵具にいかにてこずったかが逆にわかり、対照的に水彩の『主婦之友』表紙案などの透明感が好ましく思えました。

川上澄生は、私の初期を支えてくれたコレクターFさんが好きで、病床の枕元には亭主が差し上げた澄生の蔵書票とイブ・クラインのトルソが置かれていたことは彷書月刊に書きました。

川上澄生―絵画
『栃木県立美術館所蔵 川上澄生ー絵画(補遺編)』
編集;木村理恵子(栃木県立美術館)
発行:栃木県立美術館
25.0×18.5cm 46頁


担当の木村理恵子先生に伺うと、同館では18年ぶりの個展(常設展示にはたびたび出品している)だったとのこと。
栃木の宝みたいな(澄生は横浜生まれだが、宇都宮中学や女学校の教師をしていて、生涯の多くを宇都宮で過ごした)作家なのに、来館者は少ないと嘆いていらっしゃいました。

澄生、創作版画についてはいくらでも書きたいのだけれど、お読みなる方もあきるでしょうからこのへんで。
ながながとお読みくださりありがとうございました。

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◆「エドワード・スタイケン写真展」は終了しました。
スタイケン案内状600
20世紀のアメリカの写真にもっとも大きな影響を与えた写真家であるだけでなく、キュレーターとして数々の写真展を企画したエドワード・スタイケンの今回の展示では、1920年代か30年代の作品を中心に、ヌード、ファッション、風景、ポートレートなど17点を出品しました。
他にもコレクションがありますので、スタイケンに興味のある方はどうぞお問合せください。