大竹昭子のエッセイ「レンズ通り午前零時」
1. レンズ通りはここからはじまった。

《1980年 NYイーストビレッジ》
はじめに撮ったのは歩道にいる犬の写真だった。
まわりにゴミが散乱し、背後に中古タイヤ屋があって、そのとなりは床屋らしい。ピンと立った耳がシェパードの血をうかがわせるが、しっぽの垂れた全身の様子に威嚇的なところがまったくなく、その目には慈愛のようなものすら感じとれる。
この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことが意識にのぼる。犬をど真ん中にいれて撮っているところが子供のような撮り方である。子供はひとつの対象に何度もシャッターを切ったりしないが、このときのわたしもおなじで撮ったのは一枚だけで、つぎのカットはそこからだいぶ離れたスラムのビルだ。
ニューヨークの街中にこんなふうにリードのついてない犬がぽつん立っているのはとても珍しい。歩いていたらふいに出くわし、あっ!と思ってシャッターを押したのだろう。犬のほうもじっと見つめ返しており、不思議なことにまわりに人間がひとりもいない。そのため一期一会の雰囲気がより強く迫ってくる。
ニューヨークに住んで1年目にニコンの一眼レフを買った。それで撮ったのはたしかだが、本当にこれがそのカメラでとらえた最初のカットかと考えだすとわからなくなる。ネガを見ると3番目のフレームにこれがあり、その前のふたつは黒くて何も写っていないので撮りはじめはここだが、あのカメラを使った最初のロールがこれなのかと問われると、判然としないのである。
けれども、事実がどうであれいちばん最初のカットはこれだとわたしの記憶は主張するのである。この犬でなければならないと。当時、わたしはあの街でぶらぶらと暮らしていた。何しているんですかと聞かれると言葉に詰まるほど計画性のない日々で、人生を白紙にもどして考えていたと言えば格好はいいが、白紙にもどすに足るような何事かを日本で成していたわけではなかった。三十に手が届こうというのにすること成すことが中途半端で、そんな状態に嫌気がさしてすべてをチャラにして出て来たのだった。
すべきことのない日々というのは自由すぎて重い。家にこもっていると体に錘がついてますます重苦しくなる。振り払おうとして外に出る。足を動かすうちに気持ちが上に伸びて熱くなる。躍動の歓びが底からつき上げてくる。歩いているときだけは自分の影から解放された。悩むのを忘れるのは気持ちよかった。突然、カメラが欲しくなって買いに走ったのはそんなある日だった。それからは外出はカメラ連れになった。
暗室道具もそろえて冷たい床に膝をついてプリントをした。現像液のなかに浮かび上がるこの犬を何度見つめたことだろう。歩道に投げ出されたタイヤ、路面を汚している液体、引き裂かれた段ボールの空き箱、半分開きかけのシャッター……。安全とはいいがたいエリアだった。投げやりな気配が支配し、ほんのちょっとしたことで空気がすさみ、いさかいがはじまりそうだった。そういう街路ばかりを選って歩いていた。体は危険に身構え、心は勇気づけられていた。きれいに整頓されていないことに慰撫されたのだ。犬はそんなわたしの心を知っていた。見返す目が語っていた。同胞がここにいると。共感のエネルギーが細いラインとなってわたしたちのあいだを走り抜けたのを感じた。
素人はぜんたいを眺めずに撮りたいものだけを見る。写った写真を見て、あら、タイヤもあったんだ、などと気づく。プロはそうではなく、フレームのなかの要素を一瞬のうちに把握しバランスよく構成する。写真のマニュアル本もそれを学べと指導する。だが、見る者の心に強く突き刺さってくるのはぜんたいを見ていない視線なのだ。そういう率直さにバランス感覚で太刀打ちするのはむずかしい。
もうこういうふうには撮れないだろう。人生とおなじで写真はあともどりがきかないのだ。「子供時代」は終わってしまった。レンズ通りの始点にはこの写真が道標のように立っている。
(おおたけ あきこ)
大竹昭子(おおたけ あきこ)1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。著書は他に『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)など多数。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
待望の大竹昭子さんの連載エッセイが始まります。
掲載は毎月15日、掲載される写真は来年計画しているときの忘れものでの個展に展示しますが、別の計画もあり、これからじっくりと戦略を練りたいと思います。
ともあれ、2011年ときの忘れもののブログは大変身します!
その魁が大竹さんの連載開始というわけです。次回は2月15日です。
1. レンズ通りはここからはじまった。

《1980年 NYイーストビレッジ》
はじめに撮ったのは歩道にいる犬の写真だった。
まわりにゴミが散乱し、背後に中古タイヤ屋があって、そのとなりは床屋らしい。ピンと立った耳がシェパードの血をうかがわせるが、しっぽの垂れた全身の様子に威嚇的なところがまったくなく、その目には慈愛のようなものすら感じとれる。
この写真を見返すとき、かならずフレーミングのことが意識にのぼる。犬をど真ん中にいれて撮っているところが子供のような撮り方である。子供はひとつの対象に何度もシャッターを切ったりしないが、このときのわたしもおなじで撮ったのは一枚だけで、つぎのカットはそこからだいぶ離れたスラムのビルだ。
ニューヨークの街中にこんなふうにリードのついてない犬がぽつん立っているのはとても珍しい。歩いていたらふいに出くわし、あっ!と思ってシャッターを押したのだろう。犬のほうもじっと見つめ返しており、不思議なことにまわりに人間がひとりもいない。そのため一期一会の雰囲気がより強く迫ってくる。
ニューヨークに住んで1年目にニコンの一眼レフを買った。それで撮ったのはたしかだが、本当にこれがそのカメラでとらえた最初のカットかと考えだすとわからなくなる。ネガを見ると3番目のフレームにこれがあり、その前のふたつは黒くて何も写っていないので撮りはじめはここだが、あのカメラを使った最初のロールがこれなのかと問われると、判然としないのである。
けれども、事実がどうであれいちばん最初のカットはこれだとわたしの記憶は主張するのである。この犬でなければならないと。当時、わたしはあの街でぶらぶらと暮らしていた。何しているんですかと聞かれると言葉に詰まるほど計画性のない日々で、人生を白紙にもどして考えていたと言えば格好はいいが、白紙にもどすに足るような何事かを日本で成していたわけではなかった。三十に手が届こうというのにすること成すことが中途半端で、そんな状態に嫌気がさしてすべてをチャラにして出て来たのだった。
すべきことのない日々というのは自由すぎて重い。家にこもっていると体に錘がついてますます重苦しくなる。振り払おうとして外に出る。足を動かすうちに気持ちが上に伸びて熱くなる。躍動の歓びが底からつき上げてくる。歩いているときだけは自分の影から解放された。悩むのを忘れるのは気持ちよかった。突然、カメラが欲しくなって買いに走ったのはそんなある日だった。それからは外出はカメラ連れになった。
暗室道具もそろえて冷たい床に膝をついてプリントをした。現像液のなかに浮かび上がるこの犬を何度見つめたことだろう。歩道に投げ出されたタイヤ、路面を汚している液体、引き裂かれた段ボールの空き箱、半分開きかけのシャッター……。安全とはいいがたいエリアだった。投げやりな気配が支配し、ほんのちょっとしたことで空気がすさみ、いさかいがはじまりそうだった。そういう街路ばかりを選って歩いていた。体は危険に身構え、心は勇気づけられていた。きれいに整頓されていないことに慰撫されたのだ。犬はそんなわたしの心を知っていた。見返す目が語っていた。同胞がここにいると。共感のエネルギーが細いラインとなってわたしたちのあいだを走り抜けたのを感じた。
素人はぜんたいを眺めずに撮りたいものだけを見る。写った写真を見て、あら、タイヤもあったんだ、などと気づく。プロはそうではなく、フレームのなかの要素を一瞬のうちに把握しバランスよく構成する。写真のマニュアル本もそれを学べと指導する。だが、見る者の心に強く突き刺さってくるのはぜんたいを見ていない視線なのだ。そういう率直さにバランス感覚で太刀打ちするのはむずかしい。
もうこういうふうには撮れないだろう。人生とおなじで写真はあともどりがきかないのだ。「子供時代」は終わってしまった。レンズ通りの始点にはこの写真が道標のように立っている。
(おおたけ あきこ)
大竹昭子(おおたけ あきこ)1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。著書は他に『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)など多数。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。自らも写真を撮るが、小説、エッセイ、朗読、批評、ルポルタージュなど、特定のジャンルを軽々と飛び越えていく、その言葉のフットワークが多くの人をひきつけている。現在、トークと朗読の会「カタリココ」を多彩なゲストを招いて開催中。
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*画廊亭主敬白
待望の大竹昭子さんの連載エッセイが始まります。
掲載は毎月15日、掲載される写真は来年計画しているときの忘れものでの個展に展示しますが、別の計画もあり、これからじっくりと戦略を練りたいと思います。
ともあれ、2011年ときの忘れもののブログは大変身します!
その魁が大竹さんの連載開始というわけです。次回は2月15日です。
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