瑛九「フォトデッサン型紙コレクションーNo.1」 気更来のコレクション展

今日は、瑛九がフォトデッサンを制作するに際して使った(作った)型紙をご紹介します。
良く知られている通り瑛九の造語である「フォトデッサン」は、先行するマン・レイやモホリ=ナギが印画紙の上に物を置き、直接光をあてて制作した「フォトグラム(レイヨグラム)」と同じ技法です。
印画紙に直接光をあてて描くことに自らの進むべき道を見出した若き日の瑛九の自負をうかがわせる「フォトデッサン」という言葉ですが、マン・レイたち先行者と異なるのは、瑛九が自らが切り抜いた「型紙」を使って膨大な点数を制作したことでしょう。
それが絵画性の強い独創的なものであったことは遺された作品群を見れば一目瞭然です。
瑛九型紙
瑛九「フォトデッサン型紙コレクションーNo.1
59.5×32.5cm

瑛九フォトデッサン型紙6A
瑛九「フォトデッサン型紙コレクションより No.6
12.6×4.7cm

瑛九フォトデッサン型紙7A
瑛九「フォトデッサン型紙コレクションより No.7
7.4×4.3cm

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瑛九が「型紙」に使ったのは、文字通り普通の「」の場合もありましたし、「セロファン」を使ったものもあります。
驚くべきことは、一度は完成させたフォトデッサン(印画紙)を次の作品をつくるために「型紙」として切り抜いてしまったものが多数存在することです。
従来は、「フォトデッサン」の失敗作を「型紙」に転用したと言われてきましたが、ときの忘れものが入手した49点からなる「フォトデッサン型紙コレクション」の中には、ちゃんとした瑛九自筆のサインや年記が記入されているものも少なくありません。
失敗作などではなく、完成作品を惜しげもなく、切り抜いてしまったのはどういう意図だったのでしょうか。
それら型紙に鉛筆で下書きされた線や切り抜いたライン、瑛九の手の痕跡が感じられます。

今回のコレクション展では、3点を出品していますが、今春に計画している「第21回瑛九展」では、ときの忘れもの所蔵の49点の全貌を公開したいと考えています。
当初は「型紙」として使われたものが、こうして時代を経てみると、独立した作品としてチャーミングな雰囲気すら漂わせていることに驚きます。

実は、ときの忘れもので瑛九のフォトデッサン型紙を展示するのは、今回が初めてではなく、2002年2月にも「第12回瑛九展―フォトデッサン型紙展」を開催しました。

ご承知の通り今年は瑛九の生誕100年にあたり、故郷宮崎をはじめ埼玉、浦和などの美術館で大規模な瑛九回顧展が計画されています。
それに連動して、宮崎日日新聞が瑛九特集を精力的に組んでいます。
ぜひご一読ください。

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*画廊亭主敬白
今年は瑛九生誕100年、亭主もいつになく忙しくなりそうです。
同じ1911年生まれには、岡本太郎、香月泰男、堀内正和坂本善三たち現代美術の一時代を画した作家たちがいる。岡本先生、堀内先生、坂本先生には濃淡はあるもののお付き合いさせていただきました。
香月先生はお会いする寸前に亡くなられた(1974年)。
そして忘れられない1911年生まれの画家に藤牧義夫がいる。
こうして考えると、もちろん会えなかったが、瑛九は紛れもなく同時代人である。
もう40年近く作品を扱ってきたが、あきることがない。
新しい作品に出会うたびに心がふるえる。つい数日前、ある写真を見に、某画廊を初めて訪ねた。その写真もすばらしかったが、通された応接室の壁にさりげなく瑛九の水彩が飾ってあった。
そんな目的で訪ねたわけではないのに、社長に内緒でまた買ってしまった。
幸い、社長は風邪で臥せっており、当分請求書は見ないだろう(希望的観測)。

ふとした縁で知り合ったNさん(実は昔から縁はあったのだが、それを書き出すと長くなるので本日は省略)ご自分のブログ「かんからかんのかあん」でときの忘れもののことをご紹介してくださった。
ありがたいことで、この場を借りて御礼を申し上げます。

◆ときの忘れものは、2011年2月8日[火]―2月26日[土]<陽気が更に来る>ことを祈りつつ「気更来のコレクション展」を開催しています(日曜・月曜・祝日は休廊。ただし、TOKYO FRONTLINE開催中の2月20日[日]は開廊します)。
気更来のコレクション展
画廊コレクションから油彩及び写真作品の秀作を選び展示します。
出品:小野隆生(テンペラ)、宮脇愛子(油彩+ミクストメディア)、百瀬寿(油彩)、秋葉シスイ(油彩)、アンドレ・ケルテス(写真)、植田正治(写真)、エドワード・スタイケン(写真)、瑛九(フォトデッサン)、細江賢治(写真)