「美術展のおこぼれ 1」

包む―日本の伝統パッケージ展 TSUTSUMU-Traditional Japanese Packaging
会期:2011年2月10日(木)―4月3日(日)
会場:目黒区美術館

目黒区美術館「包む」山形「卵つと」

 会場はパッケージの素材によって基本的にグルーピングされている。すなわち、木、竹、笹、土、藁、紙。菓子の容器や酒瓶などが多く、かつて手にしたもの(もちろん食べるため飲むため)にも次々と出会うので、パッケージの美しさを愛でる以上に生唾が出てきた。
 卵5つを縦に重ねて藁で固定する山形の「卵つと」に代表されるように、自然材による用の美という印象が前面に出てくるのは当然だが、それは構造的解決をきわめたものの姿である。薦(こも)被(かぶ)りの四斗入り酒樽など、これまで何の気なしに眺めていたが、正面性を出すための藁縄の微妙に不均衡なかけかたなどは、もはや建築的であるといってもいい。
 どれもが野生のパッケージである。中味を半ば露出させても「包み」であり、容器をさらに紐で縛りあげたり束ねたりしている表情が強い。それは「包み」の最終目的である解かれるのを待つ表情なのだ。そのように中味が迫ってくる。食品であれば「うまそう」が直接伝わってくる。それは現代のスーパーその他に満ち満ちているビニールなどで小分けにされたり二重三重にパッケージされたりしている食品のあわれな様子といかに隔絶していることか。伝統パッケージは今の世の中ではアンチ・パッケージとして私たちの商品環境を全否定している。
 会場入口でもらえる代表出品物のリスト(展示配置の案内も兼ねた)はとてもありがたい。カタログそのものもよくできている。とはいえ写真の入っていないもの(たとえば稲田の風景を彷彿させる茨城の一人娘「いなほ」が30本林立する壮観)や写真ではその雄大さが分かりにくい文明堂かすてらの一辺50センチをこえる木箱などは、カタログと会場とを何度も往き来したくなる。もうひとつ、包みを飾る文字の現代性にも瞠目した。「文字で包む」グルーピングもありえただろう。(うえだ まこと

*画廊亭主敬白
建築の編集者・植田実さんに専門外の美術について好き勝手に書いていただく「美術展のおこぼれ」が始まりました。
伝説の建築雑誌の創刊編集長として植田実さんの名を知る人も多いでしょう。今も「住まいの図書館出版局」の編集長として活躍する傍ら、大学で教え、絵本やコミックにはやたら詳しく、コレクターでもあり、昨年は写真家としても個展デビューを飾りました。
その合間を縫って年間150回くらいは美術展(美術館)に行くといいますからその記録をぜひ書いてくださいとお願いした次第です。どうぞお楽しみください。