尾形一郎・尾形優のエッセイ

「ナミビア」第4回 ゴーストタウン


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 砂漠の町で一番困難だったのが水の供給だった。最初ははるばるケープタウンから船でルーデリッツに運び、そこから列車で各鉱山街に配ったが、やがて内陸部のガルブやグリレンタルといった場所に井戸が掘られると、そこから各鉱山街に水が配られるようになった。1人1日20リットルまでは支給されていたが、それを超える水はビールの半分ほどの値段がしたという。
 鉱山では、砂を掘るにも、機関車を動かすにも、精選工場でベルトコンベヤーを回すにも動力が必要だったが、蒸気機関は新鮮な水を大量に消費するため砂漠の地では不都合だった。
 現在、ルーデリッツ港のかたわらに大きな火力発電所の廃墟を見つけることができるが、鉱山の動力供給のために作られたものだ。ここから電力がエリザベス・ベイやコルマンスコップに送られ、ダイヤモンドの機械化された選別方法が確立していった。
 ルーデリッツ在住の老人に見せてもらった当時の絵葉書には、自動化された選別工場の内部や、軌道式のエレクトリック・クレーンが掘り起こした砂を次々と貨車に乗せる姿が写っていた。
 さらに、ドイツから運ばれた最新鋭の大型電気機関車、ジャーマン・クロコダイルが、連なる貨車を牽引して採掘現場と精選工場を結んでいる姿もあった。
 コルマンスコップでは大型冷凍設備が作られ、毎日すべての住民が氷のブロックを手に入れることができた。ヨーロッパでもまだ蒸気機関が主流の時代に、アフリカの辺境の地にきわめて近代的な工業設備と都市が構築されていったのだ。電気の普及率の高さを示すように、ゴーストタウンの至る所で古い配電盤を見かける。
 しかし、こうした富の追求のみを優先させた町の栄枯盛衰は激しく、ボーゲンフェルの町は1910年から1913年と僅か3年、国家事業規模のエリザベス・ベイも1926年から1931年までの5年の命だった。
 地域のセンターだったコルマンスコップも、ダイヤモンドの産出地が南部のオランジェムントに移ると1930年に操業を停止した。そして、1956年に最後の住民が去ると家具や建具、床材などの略奪が進み、壊された扉や窓から砂が侵入してゴーストタウンとなっていった。
(おがた いちろう)

尾形一郎・尾形優のエッセイは毎月10日と25日の更新です。

◆2011年5月30日[月]―6月11日[土]に銀座・ギャラリーせいほうと青山・ときの忘れものの2会場で「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優 写真展」を同時開催します。