今秋11月6日(日)に閉館することになっているメルシャン軽井沢美術館では、20世紀前半にモダニズム写真の先駆者として活躍した写真家で、ブラッサイやアンリ・カルティエ=ブレッソンなどその後に続く著名な写真家に大きな影響を与えたアンドレ・ケルテスの写真展が開催されています。
「ジュー・ド・ポーム国立ギャラリー『アンドレ・ケルテス写真展』~日常が芸術にかわる瞬間(とき)~」
会期=2011年4月16日(土)~7月17日(日)*火曜日休館
長野県御代田に1955年からウイスキーをつくり続けてきたウイスキー蒸留所の樽貯蔵庫群を改修し、1995年に開館したメルシャン軽井沢美術館は、他の多くの美術館とは異なり「株式会社」組織の美術館としてそのスタートが注目されました(正式名称は株式会社メルシャン軽井沢美術館)。
“アートと自然と食が融合したミュージアムパーク”として情報発信を続けるとともに、地域社会の文化・教育の振興と発展に寄与することを目的に開催した展覧会は29企画、累計で約87万人が来館したといいます。
ワインショップ、ミュージアムショップ、レストラン、カフェなども併設され、展覧会を見た後は、高原の爽やかな空気の中でウィスキーをいただいたことを懐かしく思い出します。
アンドレ・ケルテス展の後は、「アンリ・ル・シダネル」展(仮称)が7月23日(土)から11月6日(日)まで開催されます。
アンドレ・ケルテスは私たちも敬愛する写真家として今まで何度も展示紹介してきました。
ときの忘れもののコレクションからいくつかご紹介しましょう。
ハンガリー生まれのアンドレ・ケルテスは、1925年、21歳のときにパリへ移り住みました。時あたかもシュルレアリスムや、キュビスムが大きな潮流としてあり、また、後にエコール・ド・パリと呼ばれることになったフランス国外からの芸術家たちが活躍していた時代でした。そのような中にあって、ケルテスはどのグループにも属することなく、自分のスタイルで写真を撮り続けました。
ケルテスの作品からは、巧まずしてにじみ出る叙情性が感じられ、その完璧な構図とともにブレッソンやブラッサイらに多大な影響を与えました。卓越した画面構成の直観と被写体への人間的共感に、モダンの精神が集約されている作品は高い評価を獲得しています。
最初にご紹介する「おどけた踊り子」は、パリに移って間もなくの作品で、同じハンガリー人の踊り子マグダ・フェルストネルをケルテスの自宅で撮影したものです。ケルテスはフランス語は得意ではなかった(1936年にパリを離れるまであまり上達はしなかったようです)ので、同国人であるというリラックスした雰囲気で撮影されたのでしょう。
代表作の誉れ高い名作ですが、状態も良く、裏面にケルテス自筆の鉛筆サインがされています。
アンドレ・ケルテス
「"Paris,Magda,The satiric dancer,1926"
おどけた踊り子、パリ1926年」
1926年撮影(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
24.7×19.9cm サインあり
1936年にニューヨークに渡ったケルテスは、商業主義的な要求に応えることを拒否し、自分のスタイルを貫こうとしたが受け入れられず、長い間不遇のときを過ごさなければなりませんでした。それでもアレクセイ・ブロドヴィッチのように擁護してくれる人物に支えられて仕事を続けることはできました。この「舗道」が撮影された1962年、ケルテスはそれまで17年間続いたコンデ・ナスト社との契約を打ち切り、自分の写真を撮ることに専念することを決めます。そういった気持ちの感じられる、また、シュルレアリスムと構成主義が見て取れるひじょうにケルテスらしい作品です。
アンドレ・ケルテス Andre KERTESZ
「舗道、ニューヨーク、1962年10月17日」
"Promenade, October 17, 1962, New York"
舗道、ニューヨーク、1962年10月17日
1962年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.4cm
Ed.50 サインあり
「換気扇」は1937年にニューヨークで撮影された作品ですが、私たちにとっては思わず岡本太郎の「傷ましき腕」を想起させるイメージです。
岡本の作品はパリで1936年に制作されたもので、ケルテスより一年前、偶然でしょうが何か時代の因縁を感じます。もっとも岡本の作品は戦災により焼失し、私たちが見ているのは戦後1949年に再制作されたものです。
アンドレ・ケルテス
「"Fan, December, 1937"
換気扇、1937年12月」
1937年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
23.0×19.6cm Ed.50 サインあり
■アンドレ・ケルテス Andre KERTESZ
1894年、ハンガリーのブダペスト生まれ。独学で写真を学びフリーランスで活動。1925年パリに移住し、フランス、ドイツの多くの雑誌,新聞の写真を撮る。1920年代から30年代のパリの前衛芸術家の多くと交流し、その肖像を手がける。1925年発売のライカを積極的に使い,手持ちカメラの分野でもパイオニア的存在。1930年頃から凹面鏡上の反射映像を写した《ディストーション(歪曲)》のシリーズを撮る。1936年アメリカに移住。1964年ニューヨーク近代美術館で個展。卓越した画面構成の直観と被写体への人間的共感に、モダンの精神が集約されている。1985年歿。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
「ジュー・ド・ポーム国立ギャラリー『アンドレ・ケルテス写真展』~日常が芸術にかわる瞬間(とき)~」
会期=2011年4月16日(土)~7月17日(日)*火曜日休館
長野県御代田に1955年からウイスキーをつくり続けてきたウイスキー蒸留所の樽貯蔵庫群を改修し、1995年に開館したメルシャン軽井沢美術館は、他の多くの美術館とは異なり「株式会社」組織の美術館としてそのスタートが注目されました(正式名称は株式会社メルシャン軽井沢美術館)。
“アートと自然と食が融合したミュージアムパーク”として情報発信を続けるとともに、地域社会の文化・教育の振興と発展に寄与することを目的に開催した展覧会は29企画、累計で約87万人が来館したといいます。
ワインショップ、ミュージアムショップ、レストラン、カフェなども併設され、展覧会を見た後は、高原の爽やかな空気の中でウィスキーをいただいたことを懐かしく思い出します。
アンドレ・ケルテス展の後は、「アンリ・ル・シダネル」展(仮称)が7月23日(土)から11月6日(日)まで開催されます。
アンドレ・ケルテスは私たちも敬愛する写真家として今まで何度も展示紹介してきました。
ときの忘れもののコレクションからいくつかご紹介しましょう。
ハンガリー生まれのアンドレ・ケルテスは、1925年、21歳のときにパリへ移り住みました。時あたかもシュルレアリスムや、キュビスムが大きな潮流としてあり、また、後にエコール・ド・パリと呼ばれることになったフランス国外からの芸術家たちが活躍していた時代でした。そのような中にあって、ケルテスはどのグループにも属することなく、自分のスタイルで写真を撮り続けました。
ケルテスの作品からは、巧まずしてにじみ出る叙情性が感じられ、その完璧な構図とともにブレッソンやブラッサイらに多大な影響を与えました。卓越した画面構成の直観と被写体への人間的共感に、モダンの精神が集約されている作品は高い評価を獲得しています。
最初にご紹介する「おどけた踊り子」は、パリに移って間もなくの作品で、同じハンガリー人の踊り子マグダ・フェルストネルをケルテスの自宅で撮影したものです。ケルテスはフランス語は得意ではなかった(1936年にパリを離れるまであまり上達はしなかったようです)ので、同国人であるというリラックスした雰囲気で撮影されたのでしょう。
代表作の誉れ高い名作ですが、状態も良く、裏面にケルテス自筆の鉛筆サインがされています。
アンドレ・ケルテス「"Paris,Magda,The satiric dancer,1926"
おどけた踊り子、パリ1926年」
1926年撮影(Printed later)
ゼラチンシルバープリント
24.7×19.9cm サインあり
1936年にニューヨークに渡ったケルテスは、商業主義的な要求に応えることを拒否し、自分のスタイルを貫こうとしたが受け入れられず、長い間不遇のときを過ごさなければなりませんでした。それでもアレクセイ・ブロドヴィッチのように擁護してくれる人物に支えられて仕事を続けることはできました。この「舗道」が撮影された1962年、ケルテスはそれまで17年間続いたコンデ・ナスト社との契約を打ち切り、自分の写真を撮ることに専念することを決めます。そういった気持ちの感じられる、また、シュルレアリスムと構成主義が見て取れるひじょうにケルテスらしい作品です。
アンドレ・ケルテス Andre KERTESZ「舗道、ニューヨーク、1962年10月17日」
"Promenade, October 17, 1962, New York"
舗道、ニューヨーク、1962年10月17日
1962年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.4cm
Ed.50 サインあり
「換気扇」は1937年にニューヨークで撮影された作品ですが、私たちにとっては思わず岡本太郎の「傷ましき腕」を想起させるイメージです。
岡本の作品はパリで1936年に制作されたもので、ケルテスより一年前、偶然でしょうが何か時代の因縁を感じます。もっとも岡本の作品は戦災により焼失し、私たちが見ているのは戦後1949年に再制作されたものです。
アンドレ・ケルテス「"Fan, December, 1937"
換気扇、1937年12月」
1937年撮影(1973年プリント)
ゼラチンシルバープリント
23.0×19.6cm Ed.50 サインあり
■アンドレ・ケルテス Andre KERTESZ
1894年、ハンガリーのブダペスト生まれ。独学で写真を学びフリーランスで活動。1925年パリに移住し、フランス、ドイツの多くの雑誌,新聞の写真を撮る。1920年代から30年代のパリの前衛芸術家の多くと交流し、その肖像を手がける。1925年発売のライカを積極的に使い,手持ちカメラの分野でもパイオニア的存在。1930年頃から凹面鏡上の反射映像を写した《ディストーション(歪曲)》のシリーズを撮る。1936年アメリカに移住。1964年ニューヨーク近代美術館で個展。卓越した画面構成の直観と被写体への人間的共感に、モダンの精神が集約されている。1985年歿。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント