ただいま開催中の「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」は30日(土)までの短い会期で恐縮ですが、ぜひお出かけください。
パウル・クレー( Paul Klee : 1879 - 1940 )のリトグラフ3点をご紹介しましょう。
パウル・クレー
「髭のある男」
1925年 リトグラフ
22.3x15.3cm
Ed.232
鉛筆サイン
※コンフェルドのレゾネNo.98
(クレーによる作品No.84)
クレーが、バウハウスで教えていた時期の作品ですが、この作品に良く似た油彩がデュッセルドルフ美術館にあります。
「髭のドイツ人」(1920年 32.5x28.5cm 油彩・厚紙)

パウル・クレー
「恐ろしい夢」
1919年 リトグラフ
20.1x13.6cm 版上サイン
※コンフェルドのレゾネNo.76
(クレーによる作品No.212)
パウル・クレー
「Riesenblattlaus(大きなアブラムシ)」
1920年
リトグラフ
32.9×24.1cm
※コンフェルドのレゾネNo.77
(クレーによる作品No.45)
■パウル・クレー
1879年スイスで音楽家の両親のもとに生まれる。幼い頃からヴァイオリンの才能を発揮し、11歳で市の管弦楽団の非常勤団員となる。音楽家への道を望む両親とは異なり、クレーは文学や絵画に興味を抱くようになる。1898年高校を卒業と同時にドイツへと移り、ミュンヘン美術学校で学ぶ。1906年結婚。ピアノ教師の妻の主夫として家事と育児をこなすかたわら独自の表現と芸術論を磨いていく。1914年友人らとチュニジアを旅行。この時期を境にクレーの絵画は「線描」から「色彩」へと大きな発展を遂げる。同年に始まった第一次大戦に従軍しながらも、兵舎で絵を描き続け、各地で展覧会を開き次第に名が知られるようになる。
大戦に敗れたドイツで1919年、芸術と産業(職人技術)を統合した美術工芸学校であるバウハウスが設立され、クレーは友人のカンディンスキーと共に教師に任命される。1933年ヒトラーがドイツ政権を掌握。画家志望であったヒトラーはドイツの前衛画家たちに弾圧を加える。同年クレー夫妻はスイスへ亡命。生まれ故郷へ逃れたあとは、不便な暮らしと晩年に発症した皮膚硬化症との闘いの間も創作に専念し、ドイツ時代には描かれなかった大作やたくさんのデッサンを遺した。1940年没。
東京国立近代美術館で開催中のクレー展については、 植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 11」をぜひお読みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。
◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
パウル・クレー( Paul Klee : 1879 - 1940 )のリトグラフ3点をご紹介しましょう。
パウル・クレー「髭のある男」
1925年 リトグラフ
22.3x15.3cm
Ed.232
鉛筆サイン
※コンフェルドのレゾネNo.98
(クレーによる作品No.84)
クレーが、バウハウスで教えていた時期の作品ですが、この作品に良く似た油彩がデュッセルドルフ美術館にあります。
「髭のドイツ人」(1920年 32.5x28.5cm 油彩・厚紙)

パウル・クレー
「恐ろしい夢」
1919年 リトグラフ
20.1x13.6cm 版上サイン
※コンフェルドのレゾネNo.76
(クレーによる作品No.212)
パウル・クレー「Riesenblattlaus(大きなアブラムシ)」
1920年
リトグラフ
32.9×24.1cm
※コンフェルドのレゾネNo.77
(クレーによる作品No.45)
■パウル・クレー
1879年スイスで音楽家の両親のもとに生まれる。幼い頃からヴァイオリンの才能を発揮し、11歳で市の管弦楽団の非常勤団員となる。音楽家への道を望む両親とは異なり、クレーは文学や絵画に興味を抱くようになる。1898年高校を卒業と同時にドイツへと移り、ミュンヘン美術学校で学ぶ。1906年結婚。ピアノ教師の妻の主夫として家事と育児をこなすかたわら独自の表現と芸術論を磨いていく。1914年友人らとチュニジアを旅行。この時期を境にクレーの絵画は「線描」から「色彩」へと大きな発展を遂げる。同年に始まった第一次大戦に従軍しながらも、兵舎で絵を描き続け、各地で展覧会を開き次第に名が知られるようになる。
大戦に敗れたドイツで1919年、芸術と産業(職人技術)を統合した美術工芸学校であるバウハウスが設立され、クレーは友人のカンディンスキーと共に教師に任命される。1933年ヒトラーがドイツ政権を掌握。画家志望であったヒトラーはドイツの前衛画家たちに弾圧を加える。同年クレー夫妻はスイスへ亡命。生まれ故郷へ逃れたあとは、不便な暮らしと晩年に発症した皮膚硬化症との闘いの間も創作に専念し、ドイツ時代には描かれなかった大作やたくさんのデッサンを遺した。1940年没。
東京国立近代美術館で開催中のクレー展については、 植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ 11」をぜひお読みください。
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◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
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