美術展のおこぼれ 20

「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展


会期:2011年10月25日―12月4日
会場:東京国立博物館 平成館

 もう会期が終わりに近いのだけれど、この夏に同じ会場で開かれた「空海と密教美術」と比較して興味深かった。そのことだけを書いておく。
 法然と親鸞二人の教えの分かりやすさ。その特性を図像化するとすれば、《山越阿弥陀図》や《阿弥陀二十五菩薩来迎図》に尽きるといってもいいのだろう。密教の曼荼羅図の精緻な迫力と比べて映像的であり、3D映画につくっても伝えるべき本質は変わらないと思う。逆にいいかえれば阿弥陀が出現するその一瞬が図像としてはすべてであり、ほかの図像が生まれてくることがないと思うくらいだ。だから現代の眼から見ても歴史上の図像として遠のくことがない。
 それ以外の展示は、法然上人親鸞聖人の行状絵図、絵伝がじつに多い。また二人をめぐる人々や門弟の彫像も少なくない。これは限られた一部の階級にだけではなく、信仰がその平明さと救いの確かさゆえにいかに広く、また厚く浸透していったかを自ずと語っている。同時にそれらをもし美術として見ようとするとき、こうした「波及」の表れにどう対応してよいのか戸惑いも残る。
 やはり書が素晴らしい。とくに親鸞の一字一字に鋭い芽が生じているような独自の筆蹟に圧倒される。国宝《教行信証》には自分の教えを伝えるための推敲のあとが生々しい。見せるための書ではないのだ。
 その書だけの解説図録、あるいは来迎図全般を徹底して論じているような専門的な図録をこの際つくってくれるといいのに、と思ったけれどもちろんそれはなくて、いつものようにA4判の分厚い総合図録か、一枚100円の絵葉書しかない。あとはTシャツやファイルなどのグッズというのも相変わらず。図録は値段はいかにもお買い得なので、これまではつい買ってしまっていたが、だんだん消化しきれず積ん読になってきている。今回は買わずに終わった。
 この日は午前中は上野の学校で講義があったのでその帰りに東博に行ったのだが、それから西洋美術館のブックショップでTASCHEN版のゴヤ作品集だけ買い、上野から地下鉄銀座線で赤坂見附に出て、ニューオータニ美術館の、最終日まであと3日の「池大雅 中国へのあこがれ」展(10月18日―11月20日)に行った。思いがけなく多くの人、それも若い人たちが熱心に見ているのに驚いたが、開館20周年記念展とはいえ、いかにもここらしくひっそりとした空気のなかにのんびり居ることができる。大雅の絵、とくに同館に保管されている《洞庭赤壁図巻》はオペラグラスで探してもなかなか見つからないディテールがたくさん隠されている。会場に置かれている図録を参照し、また作品の前に戻って見直すことが何度もあった。大雅は生涯中国に渡ることなく、その知識を満たす書物などの資料も多くはなかったという。それなのになぜ、中国の実景ではないのかも知れないが、中国の生きた景色としか呼べないもののなかに深く入りこむことができたのか。文人画とは、理想の風景を見るのではなく、そのなかに自分が棲んでいることで成り立つ絵画を意味するのかもしれない。
 図録は求龍堂発行(市販本でもある)で、2800円、2004年にやはり《洞庭赤壁図巻》展を開いたときの図録1000円とセットで購入すると少し安くなって3500円。これを買いました。東博の堂々たる図録2500円に不平はないのだけれど、この日はこうなった。
(2011.11.28 うえだまこと)
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*画廊亭主敬白
植田実先生による「美術展のおこぼれ」の連載が第20回目を迎えました。
第一回の掲載が今年の3月12日でした。
そう、311の大震災の翌日でした。
僅か9ヶ月の間に20本もの美術展評を書く、本職でも難しいのに(いや既に本職ですね)、このスピードは尋常ではありません。年間150回は美術館の展覧会を見てまわるという植田先生が自分の記憶のメモがわりに書いてみたいとおっしゃったのが連載のきっかけです。
でも実は数年前、「綿貫さんはボクに建築のことばかり書かせて、美術に関する原稿は頼んだことがないよね」と言われ、あっと思ったのが真相です。
こんなに身近にいて、ときの忘れものの最良のお客(コレクター)であるばかりでなく美術に関して造詣の深い師匠がいながら、なんと迂闊だったことか。
この原稿は手書きでファックスされてきます。
植田先生はメール、パソコンまったく使いません(使えません)。もちろん検索などというネットの便利な機能などとは無縁です。
最近は「これ以上本が増えたら困る」ので、カタログもほとんど買いません。
20回にわたるこの連載の内容は、ご本人の記憶と、会場でのメモだけをもとにして書かれています。
「伝説の編集者」といわれるゆえんです。