美術展のおこぼれ24
「メタボリズムの未来都市」展
会期:2011年9月17日~2012年1月15日
会場:森美術館

かつてない規模の回顧展である。むしろ若い世代――建築関係者もそうでない人たちにとっても必見であることは間違いない。ただ私は最小限のコメントで済ませたいと思う。メタボリズムについてあまりにも長い期間、あまりにも中途半端、いやなしくづしに得てきた自分の知識や考え方は、これほどの総体的な企画コンセプトに真正面から立ち向かっても多分更新できないからだ。
会場はなぜか常設の建築史ミュージアムのような印象である(実際、そんな施設が東京にでもあったら、とくに海外からの人たちにとってどんなに役に立つことか)。かつて確実に存在したある強烈な時代に呑みこまれてしまうような気持ちになる。いや、まるでピンとこないという反応のほうが大きいのだろうか。図録の後半では、同時代的に体験していない若い研究者たちの論考をとても新鮮な気持ちで読めたのだが、そのなかにどういうわけだか当事者のエッセイが一篇だけ組みこまれている。編集側の企みとしか思えない巧妙さなのだが、この黒川紀章「未来は完全にやってくるか?」(『デザイン批評』1967年6月No.3より再録)がとびきり新鮮なのである。
「僕の考えでは、現代は1956年から始まる。1956年という年は、丹下健三と黒川紀章が出会った年である。1956年という年はまた、世界的に言えば、CIAMが崩壊した年である」という、いかにも黒川らしい面白い断定から始まる一文だが、これ以降に出現する建築グループ――チームⅩ、GEAM、アーキグラムの動向を体験的に解説する流れはとても分かりやすく、実感できる。当然このなかに自分が属していたメタボリズム・グループにも言及しているが、けっこう客観的な位置づけになっている。上記の各グループがどういうもので、どういう活動をしたかについてここで要約するのは大変だから原文に当たってもらうしかないが、ようするにどのグループも不可避的に先鋭化していく過程を描いているのである。だから短期間に解体・再編されてもいく。黒川がロンドンでアーキグラム・グループと議論したとき、彼等の主張は、メタボリズムは自分たちに先行したことはたしかだが「もう駄目」で、なぜなら「すでにつくっているから」であり「現在実現している」ものは技術的にも社会的にも「妥協の産物」でしかないという論理だった。つまり丹下による(磯崎や黒川も協同している)「東京計画1960」のような壮大なプロジェクトもそのような先鋭の眼から見れば、リアリティのあるデータや解決によってなされていればいるほど「もう駄目」ということになる。
メタボリズムの建築はいささか乱暴に図式化すれば、インフラストラクチャーとそこから分枝するサブストラクチャー、さらにはそれに取り付くカプセルあるいはムーブネット、そのすべてが露になった、つねに非完結、つねに生成の姿が完成でもあるという、それまで建築には必ず付きまとうスタイルという宿命を払拭する成り立ちを見い出している。私自身もメタボリズムの建築を知ったとき、どのようにあれこれ考えてもこのスタイルを越えた建築以上の発見はないと、驚嘆したものだ。だが同時に、それが現実にできるものとコンセプトの境界が見えにくいことにも戸惑ったのだった。それを誰よりもいちばん自覚し、あらゆるレベルでの現実性あるいは虚構性をさらに各自の資質に添って展開していたのは当のメタボリズムの建築家たちだったはずで、いわば遅れてきた有利によってアーキグラムやチームⅩの建築家たちはその先を、現実化という負荷をより軽減した、より鮮明なイメージで描くことができたとさえ言える。
しかしもっとも重要なのは、黒川の報告にあるようにその問題をめぐる議論が、今では信じられないほど真摯に行われた時代があったという事実である。チームⅩなどはその内部での相互批判がさらに激烈で、ある会議でアルド・ファン=アイクの持参した作品は完全に否定され、その模型が破壊され火を付けられて抹殺されたことも、黒川は続けて報告している。
このはなしは当時、黒川から直接聞いてショックを受けた記憶があるが、その後まもなく、私が属していた雑誌で黒川を監修者としてチームⅩの特集を企画し、関係建築家たちに企画への同意と資料の送付を依頼した手紙を出したことがある。そのひとりから早ばやに届いた返事は、こんどは黒川にたいする情け容赦のない批判だった。この手紙は黒川にも編集部の上司にも見せられなかったし、企画そのものもうやむやのうちに流れてしまった。いくら何でもここまでひどく言われるのは分かんない、ついて行けないという気持ちだったが、グローヴァルな場を命がけで垣間見た気持ちでもあった。だがその殴り書きのような筆跡の英語の文面は、黒川への陰口ではなかった。そしてすっかり忘れていたこのことを俄かに思い出したのは、それがメタボリズムが誘発した時代だったからではないか。現在はグローヴァル・シーンそのものも変わっているかも知れないが、陰口なんかではない、正面切っての批判だけが建築を語る言葉として通用する状況は同じであるはずだ。
さて会場に戻ると、今回新しく製作された模型やCGも充実していて、これまでの知識を改める手助けにもなっている。とはいえ冒頭に触れたようにかつてない規模であるために、展示の様相を一新するまでには至らず、いわば最小限の、どちらかといえば建築関係者向きのリトロスペクティブとなっている。やはりさきに理想として書いたけれど、これを常設展示室として追い追い補完的なテーマ企画展示を行っていけば、一般の人々にも身近に理解される建築・都市問題の啓蒙になるにちがいない。でも今回は数度にわたる講演とシンポジウムがその役割を果たしたのではないかと思う。私が参加したのは「空間から環境へ」を語るシンポジウムだけだったが、メタボリズムの枠の外に当時の時代状況が一気にひろがって見えてくるような素晴らしい会だった。
(2012.1.7 うえだまこと)
*画廊亭主敬白
昨日お知らせした通り、植田実さんの原稿を書くスピードがこのブログ掲載予定を大幅に上回ってしまい、本日2本、明日も1本と、連続3本を一挙に掲載します。この下に第23回「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展を掲載していますので、ご注意ください。
植田さんは昨日は千葉市美術館へ、今日も汐留ミュージアムへと美術館行脚、その健脚と展覧会を見る(楽しむ)独特の姿勢(視線)には脱帽です。
ご一緒に見ることも多いのですが、「あ~こういう風に見るのね」と蒙を啓かれる思いがしばしばであります。
「メタボリズムの未来都市」展
会期:2011年9月17日~2012年1月15日
会場:森美術館

かつてない規模の回顧展である。むしろ若い世代――建築関係者もそうでない人たちにとっても必見であることは間違いない。ただ私は最小限のコメントで済ませたいと思う。メタボリズムについてあまりにも長い期間、あまりにも中途半端、いやなしくづしに得てきた自分の知識や考え方は、これほどの総体的な企画コンセプトに真正面から立ち向かっても多分更新できないからだ。
会場はなぜか常設の建築史ミュージアムのような印象である(実際、そんな施設が東京にでもあったら、とくに海外からの人たちにとってどんなに役に立つことか)。かつて確実に存在したある強烈な時代に呑みこまれてしまうような気持ちになる。いや、まるでピンとこないという反応のほうが大きいのだろうか。図録の後半では、同時代的に体験していない若い研究者たちの論考をとても新鮮な気持ちで読めたのだが、そのなかにどういうわけだか当事者のエッセイが一篇だけ組みこまれている。編集側の企みとしか思えない巧妙さなのだが、この黒川紀章「未来は完全にやってくるか?」(『デザイン批評』1967年6月No.3より再録)がとびきり新鮮なのである。
「僕の考えでは、現代は1956年から始まる。1956年という年は、丹下健三と黒川紀章が出会った年である。1956年という年はまた、世界的に言えば、CIAMが崩壊した年である」という、いかにも黒川らしい面白い断定から始まる一文だが、これ以降に出現する建築グループ――チームⅩ、GEAM、アーキグラムの動向を体験的に解説する流れはとても分かりやすく、実感できる。当然このなかに自分が属していたメタボリズム・グループにも言及しているが、けっこう客観的な位置づけになっている。上記の各グループがどういうもので、どういう活動をしたかについてここで要約するのは大変だから原文に当たってもらうしかないが、ようするにどのグループも不可避的に先鋭化していく過程を描いているのである。だから短期間に解体・再編されてもいく。黒川がロンドンでアーキグラム・グループと議論したとき、彼等の主張は、メタボリズムは自分たちに先行したことはたしかだが「もう駄目」で、なぜなら「すでにつくっているから」であり「現在実現している」ものは技術的にも社会的にも「妥協の産物」でしかないという論理だった。つまり丹下による(磯崎や黒川も協同している)「東京計画1960」のような壮大なプロジェクトもそのような先鋭の眼から見れば、リアリティのあるデータや解決によってなされていればいるほど「もう駄目」ということになる。
メタボリズムの建築はいささか乱暴に図式化すれば、インフラストラクチャーとそこから分枝するサブストラクチャー、さらにはそれに取り付くカプセルあるいはムーブネット、そのすべてが露になった、つねに非完結、つねに生成の姿が完成でもあるという、それまで建築には必ず付きまとうスタイルという宿命を払拭する成り立ちを見い出している。私自身もメタボリズムの建築を知ったとき、どのようにあれこれ考えてもこのスタイルを越えた建築以上の発見はないと、驚嘆したものだ。だが同時に、それが現実にできるものとコンセプトの境界が見えにくいことにも戸惑ったのだった。それを誰よりもいちばん自覚し、あらゆるレベルでの現実性あるいは虚構性をさらに各自の資質に添って展開していたのは当のメタボリズムの建築家たちだったはずで、いわば遅れてきた有利によってアーキグラムやチームⅩの建築家たちはその先を、現実化という負荷をより軽減した、より鮮明なイメージで描くことができたとさえ言える。
しかしもっとも重要なのは、黒川の報告にあるようにその問題をめぐる議論が、今では信じられないほど真摯に行われた時代があったという事実である。チームⅩなどはその内部での相互批判がさらに激烈で、ある会議でアルド・ファン=アイクの持参した作品は完全に否定され、その模型が破壊され火を付けられて抹殺されたことも、黒川は続けて報告している。
このはなしは当時、黒川から直接聞いてショックを受けた記憶があるが、その後まもなく、私が属していた雑誌で黒川を監修者としてチームⅩの特集を企画し、関係建築家たちに企画への同意と資料の送付を依頼した手紙を出したことがある。そのひとりから早ばやに届いた返事は、こんどは黒川にたいする情け容赦のない批判だった。この手紙は黒川にも編集部の上司にも見せられなかったし、企画そのものもうやむやのうちに流れてしまった。いくら何でもここまでひどく言われるのは分かんない、ついて行けないという気持ちだったが、グローヴァルな場を命がけで垣間見た気持ちでもあった。だがその殴り書きのような筆跡の英語の文面は、黒川への陰口ではなかった。そしてすっかり忘れていたこのことを俄かに思い出したのは、それがメタボリズムが誘発した時代だったからではないか。現在はグローヴァル・シーンそのものも変わっているかも知れないが、陰口なんかではない、正面切っての批判だけが建築を語る言葉として通用する状況は同じであるはずだ。
さて会場に戻ると、今回新しく製作された模型やCGも充実していて、これまでの知識を改める手助けにもなっている。とはいえ冒頭に触れたようにかつてない規模であるために、展示の様相を一新するまでには至らず、いわば最小限の、どちらかといえば建築関係者向きのリトロスペクティブとなっている。やはりさきに理想として書いたけれど、これを常設展示室として追い追い補完的なテーマ企画展示を行っていけば、一般の人々にも身近に理解される建築・都市問題の啓蒙になるにちがいない。でも今回は数度にわたる講演とシンポジウムがその役割を果たしたのではないかと思う。私が参加したのは「空間から環境へ」を語るシンポジウムだけだったが、メタボリズムの枠の外に当時の時代状況が一気にひろがって見えてくるような素晴らしい会だった。
(2012.1.7 うえだまこと)
*画廊亭主敬白
昨日お知らせした通り、植田実さんの原稿を書くスピードがこのブログ掲載予定を大幅に上回ってしまい、本日2本、明日も1本と、連続3本を一挙に掲載します。この下に第23回「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展を掲載していますので、ご注意ください。
植田さんは昨日は千葉市美術館へ、今日も汐留ミュージアムへと美術館行脚、その健脚と展覧会を見る(楽しむ)独特の姿勢(視線)には脱帽です。
ご一緒に見ることも多いのですが、「あ~こういう風に見るのね」と蒙を啓かれる思いがしばしばであります。
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