昨日も大坂寛展にたくさんのお客様においでいただきました。
亭主は社長の荷物もちで、先日写真作品をお買い上げいただいたお客様に納品に伺い、久しぶりに赤坂のアジア会館のあたりを歩きました。
今から20数年前、アジア会館の真ん前のマンションにいたことがあり、打合せにはアジア会館のロビーやレストランを使っていました。
最寄駅は青山一丁目ですが、赤坂にも歩いていける距離で、住んでいる方も多く暮らし易い街でした。昔を懐かしみながらお尋ねしたお客様の事務所には素晴らしい写真コレクションが飾られており、感激しました。
きけば海外から直接お買いになっているとのこと、さすがでした。

夕方、建築家の松本さんが来廊、4月14日から岩手県立美術館からスタートするお父上の「生誕百年 松本竣介展」の招待状をわざわざ届けてくださいました。
1948年(昭和23)6月、36歳の若さで逝った松本竣介ですが、いまもたくさんの人たちに愛され、今回の記念展も岩手、神奈川県立近代美術館葉山、宮城県美術館、島根県立美術館、そして世田谷美術館と5会場を巡回します。
のちほど詳しくご紹介しますが、4月14日には松本さんと寺田農さん(俳優、寺田政明のご子息)との対談も予定されており、今度は亭主も社長ともども盛岡に伺います。

カメラが手軽なものとなり、デジカメが驚異的な進化を遂げたいま、街の写真館はめっきり減ってきてしまいました。
ときの忘れものの近くにあった写真館も数年前に廃業し、いまはネールサロンか何かになっている。
今では正装をして「記念写真」をとる機会は結婚式くらいでしょうか。
私たちのように歳をとると、おめでたい席にはとんとお呼びがかからなくなり、呼ばれるのはお葬式や偲ぶ会ばかり・・・・。
そういう席でも、「では皆さん、並んでください」といわれて記念写真をとることもない。
写真を撮らないわけではなく、むしろスナップ写真などは昔に比べたら多いくらいですが、「記念写真」というフォーマルな形式が敬遠されてきたのでしょうか。
かねてから細江英公先生は「記念写真」の重要性を力説されていますが、なかでも今回ご紹介するのは極め付きの記念写真です。
今から32年前の今日、撮影された作品です。
細江英公鎌鼬受賞記念
細江英公「1970年3月30日」
1970年 23.6×29.5cm
ゼラチン・シルバー・プリント
サインあり

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この年、細江先生は東北を舞台に舞踏家の土方巽を撮った『鎌鼬』で芸術選奨文部大臣賞を受賞されました。
細江先生は、ん十万だったかの賞金をはたいて土方巽はじめ関係者を招いて赤坂プリンスホテルのレストランでお礼の宴を開きます。
そのときの記念写真です。
写っているのは11人。凄いメンバーです。
細江先生の指示で、全員あらぬ方を見ていますが、ただひとり瀧口修造だけは指示に逆らって(というか無視して)カメラのレンズを見つめています。
後列左から、加藤郁乎横尾忠則高橋睦郎田中一光川仁宏種村季弘
前列左から、澁澤龍彦土方巽瀧口修造細江英公三好豊一郎

撮影場所は赤坂プリンスホテル旧館の中庭ですが、建物は李氏朝鮮最後の王世子(皇太子)である李垠(い・うん 1897-1970)の東京邸だったもので、戦後西武の堤康次郎が買取りホテルにしたもの。
1928年竣工のこの建物は、隣の新館(丹下健三設計、1983年)が解体が決まったのに対して今も瀟洒な佇まいを見せています。