どうも春の陽気にあてられたのか、ホームページでのミスが続いています。
連日のお詫びと訂正です。
次回展覧会は、5月29日[火]―6月9日[土]に「光嶋裕介銅版画展―Landscape at Night」を開催しますが、次々回の「アンリ・カルティエ=ブレッソンとロベール・ドアノー写真展」の会期を間違って光嶋さんの個展と同じに記載してしまいました。
「アンリ・カルティエ=ブレッソンとロベール・ドアノー写真展」の会期は6月15日[金]―6月23日[土]です。
亭主は昨夜になって気づいたのですが、例によってホームページの更新作業はできません(ブログなら直ぐに対応できるのですが)。
本日のスタッフの出勤をまって訂正します。

さて、練馬区立美術館で「鹿島茂コレクション2 バルビエ×ラブルール アール・デコ、色彩と線描のイラストレーション」が開かれています。
会期:2012年4月8日~6月3日(日曜)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/kashima2.html
鹿島茂さんが出てきたときは、その蔵書と該博な知識に驚いたものですが、練馬区立美術館で昨年からそのコレクション展が開催されています。
第1回目は19世紀フランスを代表する挿絵画家J.J.グランヴィル(J.J.Grandville,1803-1847)でしたが、詳しくは植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ第2回」をお読みください。
そして今回の第2回展では、アール・デコ期を中心に活躍した共にフランス、ナント出身の2人の画家―ジョルジュ・バルビエ(Georges Barbier,1882-1932)ジャン=エミール・ラブルール―(Jean-Emile Laboureur,1877-1943)―が紹介されています。

練馬の展覧会の紹介は他に譲るとして、ラブルールの大ファンである亭主としては美術館でようやくこういう大規模な展示が実現したことが嬉しくてたまりません。
相変わらず昔話にお付き合い願います。
亭主がラブルールの名前を知ったのは、海野弘先生の名著『一九二〇年代の画家たち』(新潮選書、1985年)によってです。
ちょうど浪人生活で読書の時間はたっぷりあった。
紹介されていたのが、ヴァン・ドンゲン、A・M・カサンドル、ジェラルド・マーフィ、ゲオルゲ・グロッス、オットー・ディックス、フランス・マゼレール、クリスチャン・シャッド、マックス・ベックマン、ハンナ・ヘッヒ、カール・フブーフ、そしてジャン=エミール・ラブルールでした。
いずれも1920年代の光と影をまとった華やかな中にも一抹の哀愁を漂わせた作品をつくった画家たちでした。
なかでも、ロワール川河畔の街ナントの画家、ジャン=エミール・ラブルールに夢中になりました。
とはいえ、この本を読んだときにはラブルールの実作は一点も見ていません。

それから数年後、亭主は縁あってフランス人の経営する会社に勤め、頻繁にフランスに出張するようになりました。
入社のとき、フランス語はもちろん、英語すら話せない亭主にボスは優しくも語学堪能な秘書をつけてくれたのでした。
パリに行くようになって、ルドセーヌの画廊街に足を運ぶようになりました。
給料の大半は借金返済に消えていきましたが、それでも商売ではなく、好きな絵を買える喜びを噛み締めることのできた日々でした。
ボスの本業はファッション関係でしたが、あるとき経理担当者が「利益が出すぎちゃって、何でもいいから経費を遣ってボスを喜ばせて」というではありませんか。
亭主が入社する前の伝説ですが、ある年、やはり利益が出すぎちゃって経費でジャガーだかなんだか高い車を買ったはいいのですが、誰も運転免許を持っていなかったとか(????)。

いくら遣ってもいいなんて、まったく・・・・
これぞチャンス到来とナントの美術館まで出かけ、収蔵庫でラブルールの作品の数々を見せていただきました。一般には忘れかけていたラブルールのリバイバルの機運が盛り上がってきた時期にあたりますが、それでも日本からわざわざラブルールの作品を見に来る人なんかいなかった。鬚面の学芸員の喜ぶまいことか。
ナントの美術館にはラブルールとともにローランサンの油彩が飾ってありました。
生前はフランス版画界の重鎮だったラブルールがローランサンに版画の手ほどきをしたということもそのとき知ったのでした。
作品も銅版、木版など100点ほどを買い集め、青山にあったボスの小さな画廊でラブルール展をひらいたのが1989年でした。
下記の図録(日仏併記)はそのときのものですが、なにせ予算はたっぷりある。
わが国で出されたラブルールの文献としては、今回の鹿島さんのカタログ以前は唯一といってもいいものでした(エヘン)。
亭主が今まで編集したカタログの中でも会心の作、北澤敏彦さんと組んだ懐かしい仕事です。
もちろんテキストは海野弘先生にお願いしました。
ラブルール版画展
『ジャン=エミール・ラブルール版画展』図録
1989年 
ギャラリーアバンギャルド 発行
86ページ 29.7x22.0cm
制作:ピエール・ボードリ
編集:高梨智、白石理恵子、加藤協子
編集協力:中原千里(パリ)、吉岡淳子
執筆:海野弘
翻訳:ジャン・カンピニョン、内山義雄、市川飛砂
デザイン:北澤敏彦+株式会社ディス・ハウス

その後、亭主はボスの会社をやめて『資生堂ギャラリー七十五年史』の編集に携わることになるのですが、そのとき編集者に招いたのが元『三彩』の編集長Sさんでした。
海野弘先生の『一九二〇年代の画家たち』は当初雑誌『三彩』に連載されたものだったのですが、その担当がSさんだったのも何か因縁を感じます。

やがて同書も刊行となり、編集チームを解散し、社長がギャラリー「ときの忘れもの」をつくったのですが、1995年の第一回展第二回展の銅版画セレクションにつづき、第三回展の木版画セレクションででラブルールをとり上げたのでした。
(ラブルールは銅版だけでなく木版も制作していました)

先日、倉庫で大騒ぎでラブルールのコレクションを探したのですが、あれほどあったのになかなか見つからない。
ようやく見つけた代表作「カクテル」をご紹介します。

086LABOUREUR_02_cocktailジャン=エミール・ラブルール
カクテル
1931年 銅版(エングレービング)
20.0×19.2cm
Ed.51 signed 

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