植田実さんの新連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」は早くも第四回を先日掲載しましたが、それに取り組む植田さんのエネルギーたるや凄い。あれだけ書いてもまだ書き足りないとのことで、昨日またファックスが送られてきて「追記」を掲載してくれとの仰せでした。
追記
4回目を一応書き終えたつもりなのだが、まだ納得していないところがある。≪三人≫において3世代の人間を描くこと(家族のかたちであるにせよ、ひとりの生涯の表れであるにせよ)が松本竣介にとって、ほかの3作品の立てる自画像と比べたときどのように切実な画題だったのか、その見きわめがつかないのだ。
で、ひとつ牽強付会な読みとりをしてみた。≪三人≫と≪五人≫はそれぞれ独立した作品として成立しているが、あわせて1作品と見ることもできるのではないかとはさきに述べた。それをとりあえず背景の連続で説明したのだが、前景の人物群像を見ると、ひとりだけ正面を向いて、両腕両脚もはっきり描かれている男の子がほぼ中心に立つことになり、その中心をほかの人々が囲む形も強く見えてくる(ただ直接的求心ではないことはやはり前述した)。少年が未来時における「立てる像」だと思うと、画家をはじめ周りの人々の表情に、穏やかさとある気遣いが表れてくるような気持ちになる。背景にも時間の遠さが加わる。つまり2作品は合わさると別の絵になる。画家がもしひそかに意図した二重の表れのあいだを行き来しながら描いていたとしたら、ほかの画家には例のない制作になる。これは妄想か、いや案外だれかによってすでに指摘ずみなのか。
このところノイローゼ気味だ。松本竣介の絵が頭から離れない。暑い夜も眠れない。なので、とりあえずおまけとして書き足しました。
(2012.8.18 うえだまこと)

松本竣介
≪三人≫
1943
油彩・画布
162.0x113.0cm
個人蔵

松本竣介
≪五人≫
1943
油彩・画布
162.0x130.0cm
個人蔵
*「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」次回第5回は9月15日に掲載します。
*同じく既に35回を連載している植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は随時更新しますので、こちらもお楽しみください。
追記
4回目を一応書き終えたつもりなのだが、まだ納得していないところがある。≪三人≫において3世代の人間を描くこと(家族のかたちであるにせよ、ひとりの生涯の表れであるにせよ)が松本竣介にとって、ほかの3作品の立てる自画像と比べたときどのように切実な画題だったのか、その見きわめがつかないのだ。
で、ひとつ牽強付会な読みとりをしてみた。≪三人≫と≪五人≫はそれぞれ独立した作品として成立しているが、あわせて1作品と見ることもできるのではないかとはさきに述べた。それをとりあえず背景の連続で説明したのだが、前景の人物群像を見ると、ひとりだけ正面を向いて、両腕両脚もはっきり描かれている男の子がほぼ中心に立つことになり、その中心をほかの人々が囲む形も強く見えてくる(ただ直接的求心ではないことはやはり前述した)。少年が未来時における「立てる像」だと思うと、画家をはじめ周りの人々の表情に、穏やかさとある気遣いが表れてくるような気持ちになる。背景にも時間の遠さが加わる。つまり2作品は合わさると別の絵になる。画家がもしひそかに意図した二重の表れのあいだを行き来しながら描いていたとしたら、ほかの画家には例のない制作になる。これは妄想か、いや案外だれかによってすでに指摘ずみなのか。
このところノイローゼ気味だ。松本竣介の絵が頭から離れない。暑い夜も眠れない。なので、とりあえずおまけとして書き足しました。
(2012.8.18 うえだまこと)

松本竣介
≪三人≫
1943
油彩・画布
162.0x113.0cm
個人蔵

松本竣介
≪五人≫
1943
油彩・画布
162.0x130.0cm
個人蔵
*「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」次回第5回は9月15日に掲載します。
*同じく既に35回を連載している植田実さんのエッセイ「美術展のおこぼれ」は随時更新しますので、こちらもお楽しみください。
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