今日は、美術評論家の東野芳明先生の命日です。
1990年に脳梗塞で倒れ、長い闘病生活ののち2005年11月19日に亡くなられました。享年75。

お元気な頃、アンディ・ウォーホル展図録などに原稿を書いていただきました。
美術界きっての悪筆で、ご自宅に伺い原稿をいただくや、その場で原稿を読み上げ、読めない字(ばかりだった)はその場で先生に確認するというのが編集者の常識でした。
ひらがななど慣れない人にはどれも同じに見えるというくらいの凄さで、その場で確認しないと先生ご自身が読めなくなる(笑)ほどでした。
チャーミングで気さくな雰囲気は多くの人に愛されました。

亡くなられた翌年2006年10月14日(土)~11月12日(日)に渋谷区松濤にあるギャラリーTOMで「東野芳明を偲ぶオマージュ展 水はつねに複数で流れる」が開催されましたが、その折、親しかった磯崎新先生が制作されたのが「極薄」という作品です(ときの忘れもののエディション)。
磯崎新・極薄

磯崎新
「極薄」 
2006年 シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:49.0×46.0cm
紙サイズ:56.0×56.0cm
Ed.35 signed

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上述のオマージュ展に寄せた磯崎先生のエッセイを再録します。

「極薄」   磯崎新
 一九六〇年頃の前衛アート・ヒーバーのもとおこしは東野芳明のニューヨーク情報に由来することは、あのとき二〇代だったアーティストの記憶に残っているはずですが、熱はさめると、ケロッとしているのが世のならい。それから四〇年すぎると、自動車の助手席にすわって素もぐりに行き、海底写真をレンズ逆むけでとっていた人となっているのではないかと、私はおそれています。あの頃、彼がもたらした情報は自分で作家のアトリエに行き、売れ先に敏感なギャラリーの主からは直接仕入れた一次情報だったこと、それだけに生(なま)で確実だったことを誰かはっきり記録してもらいたいと思うのです。多摩美にそんなことを研究する人は必ずいるでしょうから。

 私は東野芳明が「アンフラマンス」を「極薄」と日本訳したことが、どんなアート情報よりも重要な功績だと思っています。これは正確な訳ではない。意味も違うという人がいるかも知れない。デュシャンの全仕事よりも、この隠されていた一語がより重要だと考えている私には、彼がデュシャンの造語にたいしてみずから造語で答え、何といわれようと四半世紀のうちに、日本語ではもう他の訳語はないとみえることになったのが素晴らしいことだったと思います。そこで東野芳明へのオマージュとならば、何はさておき、『極薄』です。
(いそざきあらた)