昨年12月14日から始まった「松本竣介展(後期)」も明日がいよいよ最終日です。
寒空ですが暖かいお茶を用意してお待ちしています、どうぞお出かけください。

今回の松本竣介展で嬉しかったのは、唯一と思われる竣介の版画作品を展示できたことです。
11
11) 松本竣介
《作品》
孔版画
イメージサイズ:17.4x13.0cm
シートサイズ:25.3x18.0cm

この竣介の版画ができあがるところに居合わせた中野淳さんによれば、まさに自画・自刻・自刷の創作版画でした。

ご承知の通り、亭主は画商としては版画育ちです。
1974年ひょんなことから「現代版画センター」を創立し、画商としてのスタートを切りました。
法学部出身で画廊勤務の経験もなく、全くの素人から入ったのですが、恩師久保貞次郎先生が「ワタヌキさんはシロートですね」とあきれるほど何も知らなかった。
辛うじて好きな本の世界に連動する「版画」が美術の世界とつないでくれました。

バブル崩壊後の版画の市況はどん底ですが、それでもときどき、むらむらっと「版画魂」が目を覚ます。
今回、竣介の版画を展示できた嬉しさついでに、昔話をさせてください。

竣介作品に鎌倉の神奈川県立近代美術館・松本竣介記念室で出会ったのは、大学を卒業して新聞社に入社、販売局で鬱々とした日々を過ごしていた頃でした。竹橋の近代美術館の喫茶コーナーで時間を潰し、近くの神田の古本屋街の端から端までハシゴして月給の大半を本代に費やしていました(髪結いの亭主だったんです)。
あるとき若気の至りで退社騒ぎを起こしました。
勝手に辞表を出し、神田の某出版社に押しかけ入社しました。悲惨というか滑稽というか、入社一ヶ月でその出版社は突然倒産してしまった。
立ち往生した亭主ですが、まあいろいろありまして結局新聞社に戻ることになりました。
あの頃はおおらかというか、のん気というか、温情だったに違いありませんが上司が辞表を握りつぶして長期欠勤の扱いをしてくれていたらしい。
恥を忍んで本社に戻ったのですが、当然、前の部署にいられるはずもない。
身柄を拾ってくれたのが、Mさんという調査課長でした。
編集や広告ではなく、販売局の調査課なんてご想像の通り、窓際族に近い。
しかし、このM課長、とんでもなく有能かつ人格者だった。
呆然自失、同僚たちの冷たい視線に身の置き所もなく、毎日出勤しても仕事はない。
半年間、業界紙を読んでいました。M課長はその間、一言も文句を言わなかった。亭主がやがて業界紙を読むのに飽きるだろうと見抜いていたのでしょう。折に触れ新聞産業の過去、現在、未来について、実に説得力ある語り口で歴史と展望を語ってくれたのでした。

そして亭主は突然、猛烈社員に変身しました。
「この課長のために仕事をしよう」
愛社精神というよりは、M課長への忠誠心とでもいうべき自分でも信じられない心境の変化でした。
課長の指示する統計の作成に徹夜で取り組み、統計数字に裏づけされた重役たちの演説の草稿を書き、新聞産業独特の業態を逆手にとった新企画の立案に邁進しました。
いくつか思い出すままに書いてみましょう。

●DM配送企画
当時既に郵便物の大半は企業の宣伝物、DMでした。国営事業ですから民間が郵便事業に関与することは当時は不可能でした。ならば宛名の無いDMを新聞の宅配網を使って全戸配達すればいい。新聞社は北海道から沖縄まで夜刷り上げた新聞を朝には各家庭に配達する全国的な販売網を持っている。宛名がなければ「信書」にはならない。M課長の非凡なる目のつけどころは、しかし時代がちょっと早すぎました。その後の郵政民営化やフリーペーパー隆盛は皆さんご承知の通り。

●産地直送野菜販売企画
東京本社管内の新聞は東京で印刷し、東北など遠距離地域は鉄道で運びます。
関東や、都内などは本社から数百台のトラックが各販売店まで直接運ぶのですが、行きは新聞を積んでますが、帰りは空です。空のトラックに毎朝新鮮な野菜を茨城や栃木の農家から積んできて東京で販売したらどうか。

●国連大学誘致・社会人大学の設立計画
国連大学を誘致し、同じビル(高層)内に社会人を対象にした大学をつくり、今でいう生涯教育よりもっと高度な教育機関を目指した企画。当時注目を集めた「朝日カルチャーセンター」の向こうを張って立案したものですが、渋谷の東邦生命ビル内に国連大学の事務局がおかれ、一部が実現しました。

●小学生新聞・中学生新聞の読者獲得企画
戦前は「小国民新聞」といっていましたが、毎日の小学生新聞・中学生新聞は、実は抜群の利益率でした。M課長の指示で初めて新聞の原価計算に取り組んだのですが(明治5年創刊、最も古い新聞である毎日新聞ですが、驚くべきことにそれまで「原価」という概念が存在しなかった)、編集の人件費は僅か数人分、記事は本紙の使いまわし、配達も本紙と一緒だから経費はほとんどかからない。購読料の90%以上が利益になる、これをほっておく手はない。それに子供達は未来の本紙読者でもある、ということで「全国の小中学校にオリジナルな絵(版画)を贈ることによって小学生新聞・中学生新聞の読者を飛躍的に増やそう、それは未来の毎日新聞の読者獲得にもつながる」という愛社精神あふれる企画書をでっち上げたのでした。

販売担当重役から嫌がられるほど、次から次ぎへと企画書を連発し、提出しました。ほとんどは却下されましたが、M課長や当時子会社の役員だったNさんの後押しもあって「小学生新聞・中学生新聞の読者獲得企画」に予算がついて実際に動き出したのが1973年秋頃でした。
それからのことは、このブログでも書いたとおり、井上房一郎 → 土方定一 → 久保貞次郎というルートで美術業界に迷い込み、当初は小学生新聞・中学生新聞の読者獲得企画だったものが、久保先生にオルグされてしまい、版画の普及啓蒙運動が前面に出て、あれよあれよという間に「現代版画センター」創立となったのでした。

新聞というマスメディアから、極く少部数のマルチプルマートへ。
亭主の版画人生のスタートでした。

ながながと亭主の駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

下にご紹介するのは前期出品作品です。
竣介1717) 松本竣介
《人物》
1946年頃
紙にインク、墨
イメージサイズ:31.6x23.1cm
シートサイズ:32.6x23.8cm

松本1919) 松本竣介
《人物》
※「松本竣介素描」(1977年 株式会社綜合工房)121ページ所収
1947年
紙にインク、筆、ペン
イメージサイズ:34.5x25.6cm
シートサイズ:39.0x27.6cm

竣介2222) 松本竣介
《建物》
※「没後50年 松本竣介展」(1998年 練馬区立美術館、他)図録142ページ所収
1937年 紙にインク
イメージサイズ:25.5x35.4cm
シートサイズ:26.8x36.5cm
サインあり

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◆ときの忘れものは、1月9日(水)~1月19日まで素描による「松本竣介展(後期)」を開催しています。
DMの代わり(後期)
後期:2013年1月9日[水]―1月19日[土]
※会期中無休
『松本竣介展』図録
価格:800円(税込、送料無料)

執筆:植田実、16頁、図版30点、略歴
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