2007年パリのジュ・ド・ポームを皮切りに世界各地を巡回してきた「エドワード・スタイケン展」が世田谷美術館で開催されています。
26日のオープニングは井桁裕子さんの「舞踏とひとがたの日」パフォーマンスを重なり、今週はいかなくちゃと思っていたら、遂に亭主もインフルエンザに感染してしまった。
熱は出る、天井はぐるぐる回る、体中の関節は痛む、いやさんざんです。
はやく治して復帰しなければ・・・・

20130126エドワード・スタイケン展 表「エドワード・スタイケン写真展
モダン・エイジの光と影1923-1937」

会期: 2013年1月26日(土)~4月7日(日)
会場:世田谷美術館 1階展示室
休館日:月曜日
(ただし2月11日(月・祝)は開館、12日(火)は休館)
開館時間:午前10時~午後6時(入場は閉館の30分前まで)

20130126エドワード・スタイケン展 裏


アメリカを代表する写真家であるだけでなく、キューレーターとしても数々の写真展を企画し、写真界の発展に多大な影響を及ぼしたエドワード・スタイケン

スタイケンは始めヨーロッパ美術の影響を受けたピクトリアル(絵画的)写真を発表し、若くしてその存在を知られるようになります。
その後第一次世界大戦中は陸軍の航空写真班として従軍し、空中写真の撮影や兵士達へ撮影の技術指導も行っていました。しかし戦後、それまでの絵画的だった作品の傾向は大きく変化し、シャープな表現を追及したり、カメラの機能を駆使した実験的な作品にも取り組むようになります。
1923年コンデナスト社と契約し、『ヴォーグ』や『バニティ・フェア』でのライティングを駆使したファッション写真や著名人のポートレートは、高い評価を得て広告写真界でも第一人者となります。スタイケンの表現方法は後進の写真家の手本となり、また当時もっともギャラの高い写真家といわれました。
1947年にニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターに就任し、1955年に開催された写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」展は日本を含む世界38ヵ国を巡回し、冷戦期の世界で900万人を動員しました。

このようにスタイケンは約70年にわたり、写真作品、広告写真、展覧会の企画など多岐にわたる活動を通して写真の可能性を追究し続けました。
本展では、スタイケンが商業写真界に飛び込んでモダニズムの旋風を巻き起こした1920年~30年代の約200点に及ぶファッションとポートレート作品が一堂に紹介されます。

ときの忘れものコレクションからエドワード・スタイケンの作品をご紹介します。
Merle_Oberonエドワード・スタイケン
「Merle Oberon, Hollywood」
1935年(1986年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.5×27.0cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり


瞼を軽く閉じてこちらを見つめる女性は女優マール・オベロン(1911-1979)です。1939年の映画「嵐が丘」でローレンス・オリビエ扮するヒースクリフの相手役キャサリンを演じました。顔のコントラストが照明によって強調され、自分の顎や彫像の首元に添えた手つきと相まって魅惑的な雰囲気を漂わせています。

E_Gordon_Craigエドワード・スタイケン
「E. Gordon Craig, Paris」
1920年(1987年プリント)
ゼラチンシルバープリント
33.6×26.4cm
Ed.100
裏にプリンターと遺族のサインあり


こちらは舞台演出家のエドワード・ゴードン・クレイグ(1872-1966)のポートレートです。俳優であり、プロデューサーでもあった彼は、『劇場の芸術』(1905)という舞台演出についてのエッセイで大きな反響を呼びました。それまで足元から照らしていた照明を天井から当てる手法に変えるなど様々な改革を行いました。
太陽の方を見上げるクレイグの姿は自信に満ちていて、セーヌ川のほとりの背景と合わさり、まるで舞台のワンシーンのようです。

WEB展」でもスタイケンの写真を紹介していますので、ぜひご覧ください。
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エドワード・スタイケン Edward STEICHEN(1879-1973)
1879年ルクセンブルグに生まれる。1881年アメリカに移住。1900年ニューヨークでアルフレッド・スティーグリッツに会い、活動を支援する。1902年季刊誌『カメラ・ワーク』を創刊に参加。1905年スティーグリッツと共にニューヨーク五番街291に「リトル・ギャラリー・オブ・フォトセクション」設立し、ピクトリアリズムからストレート写真へのムーブメントを起こす。1906年フランスへ。ロダン、マティス、ブランクーシらヨーロッパの芸術家たちとも交流をもち、彼らのポートレイトを撮影。1923年スタジオをニューヨークのボークス・アーツ・ビルディングに置く。
同年ヴォーグ誌などを発行しているコンデ・ナスト社のチーフフォトグラファーになり、 アート性を持った斬新なファッション写真のスタイルを確立する。1929年『スタイケン・ザ・フォトグラフィー』を出版。1947年ニューヨーク近代美術館(MoMA)写真部門のディレクターに就任。1955年「ザ・ファミリー・オブ・マン」開催。1961年回顧展「スタイケン・ザ・フォトグラファー」開催。1962年ニューヨーク近代美術館名誉ディレクターとなる。1964年MoMAにエドワード・スタイケン・フォトグラフィー・センター開設。1973年死去。


◆ときの忘れものは、2013年2月8日[金]―2月16日[土]「銀塩写真の魅力 IV展」を開催します。
魔方陣
銀塩写真のモノクロームプリントの持つ豊かな表現力と創造性をご覧いただくシリーズも4回目を迎えました。
本展では、北井一夫、五味彬、植田正治、大竹昭子、細江英公、佐藤理、エドワード・スタイケン、ジョック・スタージス、ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ロバート・メープルソープ、ウィン・バロックらのモノクローム作品約20点をご覧いただきます。