現在開催中の「具体 Gコレクションより」から出品作品を順次ご紹介します。
本展のもととなったGコレクションは具体美術協会に参加した作家たちの作品が数多く収蔵されており、その中から企画監修の石山修武先生が、6作家(白髪一雄、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫)12作品を選ばれました。
さらに、具体のリーダーだった吉原治良の作品などをときの忘れもののコレクションから加えて全24点を展示しています。
石山修武先生はこの企画の経緯を石山修武研究室のホームページで綴っておられますが、亭主は実現前のことなど商売上明らかになんかできないので、少々慌てました。
先日のギャラリートークのことも翌日には「世田谷村日記」に報告されています。
この際、勝手に転載させていただきましょう。
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昨日は17時より青山の「ときの忘れものギャラリー」で具体展のトークを、芦屋から河﨑晃一さんをお迎えして行なった。河﨑さんとは会場で初めてお目にかかり、ぶっつけ本番のトークになったが、楽しくおしゃべり出来たような気もする。具体展をアメリカ、NYグッゲンハイム、ダラス、シカゴと追い駆けて見てこられた。又、それ等の企画展示も仕掛けられた具体のプロであった。綿貫さんのベストセレクションである。話しているうちに具体の白髪一雄さんの作品とアニミズムとの関連のアイデアが浮かんだが、これは話し出来なかった。もう少しあたためたい。

もう何年も前の事になるがパリのルーブル美術館で美術館に関するシンポジウムがあった。そこでルーブル美術館の所謂学芸員らしきが「日本には美術が無いのに何故美術館が多いのだ」の発言があり、オヤオヤ、これが西欧美術の正体見たり枯れ尾花かと痛感したけれど、それを想えば具体の人々は良く頑張ったし、良く現在も頑張っていると思う。
具体のリーダーの吉原治良の大きな版画が一点売却済となっていた。
トークの内容はいずれ何かの形で公表されるのだろうから記さぬが、主に今回の展覧会の絵やオブジェにつけられた値段についての話であったように思う。
一度会場に足を運んで絵も当然見ていただきたいが、それに付けられた値段もじっくり眺めてもらいたい。
綿貫、石山がケンケンゴーゴーやり合って実現した値付けである。
世界中何処に出してもおかしく無いと自負している。
トーク終了後会場で小パーティー。更に流れて近くの中華料理屋で遅い夕食を皆さんと。22時頃了。23時過ぎ世田谷村に戻る。
翌3月17日、昨夜、具体展の会場で手渡された福井市のN君の小文に目を通す。ただ遠い福井から、わざわざ手渡しに来てくれたかと思うと当然ながら読まざるを得ない。聞けば昔のA3ワークショップ、早稲田バウハウススクールの参加学生であったようだ。建築にはまだかくの如きの愛好者が居るのだなと思った。
石山修武『世田谷村日記』より
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吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
先ずは、鷲見康夫の作品をご紹介します。
NYのグッゲンハイムでの具体展は大盛況とのこと。
ときの忘れものの具体展はいたって静かですが、さすがに海外での評価高騰を反映して、ネットを通じての海外からの問合せは連日続いています。
中でも、海外から真っ先に問合せがあったのが鷲見康夫作品です。
鷲見康夫
「作品」
キャンバス、塗料
53.0x45.5cm
サインあり、印あり
鷲見康夫
「作品」
キャンバス、塗料
95.3x57.3cm
筆サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
上掲の鷲見康夫作品がどのようにして生まれたのか。
鷲見先生の2000年に刊行された自伝の71ページ73ページにかけて少し引用させてください。
出来上がった五十枚ほどを嶋本昭三さんに見せるために学校へ持って行った。見せたところ、彼は「ほう君なかなかうまいな」「なかなかやるやないか」とほめてくれた。
私には何がなんだかさっぱりわけがわからないけれど、ほめてもらったことで、もっと描こうという気持ちになり、アパートの自分の部屋に帰っては毎日毎日描いていた。その頃四時半頃に家に帰っても、誰も相手にしてもらえない私にとっては、充分楽しめるひと時であった。また、勤務先へも喜び楽しんで出勤出来た。そのうちに、テスト問題や教材の裏を利用して毎日百枚ほど描いていた。ところがある日のこと、わら半紙の上に、インクがびんからこぼれるように流れてしまった。さてどうしようかとふっと横を見ると、そろばんがおいてあった。そのそろばんで、流れたインクをかきまわしたのである。
すると、今まで見たことのないような形、すなわち人間の力では描くことのできないようなパワーのある線が、何条も一度に描くことが出来たのである。計算機のない時代、そろばんといえば必ず各家庭の机の上などにのっているものだった。そろばんで描いた作品が、たちまちのうちに百枚くらい出来た。インクや墨汁を紙の上にこぼして、そろばんの玉をころがしながらかきまわすという、何も考えない動作は自然のパワーの表現か、または喜びの表現ともなった。
その作品を早速嶋本昭三さんに見てもらおうと、学校に持って行った。嶋本さんは「うまいことやったなぁ。これどうして描いた? どうしたらこんなもの出来るのか?」と聞く。私は「これは息を止めて描いた」と。すると嶋本さんは本気にして「へえー、お前体大丈夫か」と。「実はそろばんで描いた」といって、嶋本さんの目の前で、わら半紙の上に机上にあったインクを流し、いきなりそろばんでインクをかきまわし、不思議な線を一度に何本も描いて見せた。そうすると嶋本さんは「うーん」とうなって、「よいことをやったな」と大へんほめてくれた。私は嬉しくて仕方がなかった。
(後略)
鷲見康夫著『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』(文芸社)より
■鷲見康夫 Yasuo SUMI(1925-)
大阪に生まれる。関西大学、立命館大学卒業。1954年嶋本昭三に勧められ第7回芦屋市展に出品。その際、吉原治良を知り、指導を受ける。1955年具体美術協会会員となり、その後、岡本太郎が代表を務めるアートクラブの会員となる。両方とも解散まで参加。1975年アーティストユニオン結成に参加。アクションペインターとして活動を続ける。
■Yasuo SUMI(1925-)
Born in Osaka. Graduated from the College of Economics, Ritsumeikan University. Encouraged by Shozo SHIMAMOTO, exhibited work at the 7th Ashiya Municipal Exhibition in 1954. In this exhibition gained acquaintance with Jiro YOSHIHARA, and received guidance from him. Became a member of Gutai in 1955 and later also became a member of the Artist Club which Taro OKAMOTO acted as the representative. Remained a member in both groups until their dissolution. Helped form the Artists’ Union in 1975. Continues to act as an action painter.
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子
『具体 Gコレクションより』展図録
2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
本展のもととなったGコレクションは具体美術協会に参加した作家たちの作品が数多く収蔵されており、その中から企画監修の石山修武先生が、6作家(白髪一雄、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫)12作品を選ばれました。
さらに、具体のリーダーだった吉原治良の作品などをときの忘れもののコレクションから加えて全24点を展示しています。
石山修武先生はこの企画の経緯を石山修武研究室のホームページで綴っておられますが、亭主は実現前のことなど商売上明らかになんかできないので、少々慌てました。
先日のギャラリートークのことも翌日には「世田谷村日記」に報告されています。
この際、勝手に転載させていただきましょう。
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昨日は17時より青山の「ときの忘れものギャラリー」で具体展のトークを、芦屋から河﨑晃一さんをお迎えして行なった。河﨑さんとは会場で初めてお目にかかり、ぶっつけ本番のトークになったが、楽しくおしゃべり出来たような気もする。具体展をアメリカ、NYグッゲンハイム、ダラス、シカゴと追い駆けて見てこられた。又、それ等の企画展示も仕掛けられた具体のプロであった。綿貫さんのベストセレクションである。話しているうちに具体の白髪一雄さんの作品とアニミズムとの関連のアイデアが浮かんだが、これは話し出来なかった。もう少しあたためたい。

もう何年も前の事になるがパリのルーブル美術館で美術館に関するシンポジウムがあった。そこでルーブル美術館の所謂学芸員らしきが「日本には美術が無いのに何故美術館が多いのだ」の発言があり、オヤオヤ、これが西欧美術の正体見たり枯れ尾花かと痛感したけれど、それを想えば具体の人々は良く頑張ったし、良く現在も頑張っていると思う。
具体のリーダーの吉原治良の大きな版画が一点売却済となっていた。
トークの内容はいずれ何かの形で公表されるのだろうから記さぬが、主に今回の展覧会の絵やオブジェにつけられた値段についての話であったように思う。
一度会場に足を運んで絵も当然見ていただきたいが、それに付けられた値段もじっくり眺めてもらいたい。
綿貫、石山がケンケンゴーゴーやり合って実現した値付けである。
世界中何処に出してもおかしく無いと自負している。
トーク終了後会場で小パーティー。更に流れて近くの中華料理屋で遅い夕食を皆さんと。22時頃了。23時過ぎ世田谷村に戻る。
翌3月17日、昨夜、具体展の会場で手渡された福井市のN君の小文に目を通す。ただ遠い福井から、わざわざ手渡しに来てくれたかと思うと当然ながら読まざるを得ない。聞けば昔のA3ワークショップ、早稲田バウハウススクールの参加学生であったようだ。建築にはまだかくの如きの愛好者が居るのだなと思った。
石山修武『世田谷村日記』より
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吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
先ずは、鷲見康夫の作品をご紹介します。
NYのグッゲンハイムでの具体展は大盛況とのこと。
ときの忘れものの具体展はいたって静かですが、さすがに海外での評価高騰を反映して、ネットを通じての海外からの問合せは連日続いています。
中でも、海外から真っ先に問合せがあったのが鷲見康夫作品です。
鷲見康夫「作品」
キャンバス、塗料
53.0x45.5cm
サインあり、印あり
鷲見康夫「作品」
キャンバス、塗料
95.3x57.3cm
筆サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
上掲の鷲見康夫作品がどのようにして生まれたのか。
鷲見先生の2000年に刊行された自伝の71ページ73ページにかけて少し引用させてください。
出来上がった五十枚ほどを嶋本昭三さんに見せるために学校へ持って行った。見せたところ、彼は「ほう君なかなかうまいな」「なかなかやるやないか」とほめてくれた。
私には何がなんだかさっぱりわけがわからないけれど、ほめてもらったことで、もっと描こうという気持ちになり、アパートの自分の部屋に帰っては毎日毎日描いていた。その頃四時半頃に家に帰っても、誰も相手にしてもらえない私にとっては、充分楽しめるひと時であった。また、勤務先へも喜び楽しんで出勤出来た。そのうちに、テスト問題や教材の裏を利用して毎日百枚ほど描いていた。ところがある日のこと、わら半紙の上に、インクがびんからこぼれるように流れてしまった。さてどうしようかとふっと横を見ると、そろばんがおいてあった。そのそろばんで、流れたインクをかきまわしたのである。
すると、今まで見たことのないような形、すなわち人間の力では描くことのできないようなパワーのある線が、何条も一度に描くことが出来たのである。計算機のない時代、そろばんといえば必ず各家庭の机の上などにのっているものだった。そろばんで描いた作品が、たちまちのうちに百枚くらい出来た。インクや墨汁を紙の上にこぼして、そろばんの玉をころがしながらかきまわすという、何も考えない動作は自然のパワーの表現か、または喜びの表現ともなった。
その作品を早速嶋本昭三さんに見てもらおうと、学校に持って行った。嶋本さんは「うまいことやったなぁ。これどうして描いた? どうしたらこんなもの出来るのか?」と聞く。私は「これは息を止めて描いた」と。すると嶋本さんは本気にして「へえー、お前体大丈夫か」と。「実はそろばんで描いた」といって、嶋本さんの目の前で、わら半紙の上に机上にあったインクを流し、いきなりそろばんでインクをかきまわし、不思議な線を一度に何本も描いて見せた。そうすると嶋本さんは「うーん」とうなって、「よいことをやったな」と大へんほめてくれた。私は嬉しくて仕方がなかった。
(後略)
鷲見康夫著『やけくそ・ふまじめ・ちゃらんぽらん』(文芸社)より
■鷲見康夫 Yasuo SUMI(1925-)
大阪に生まれる。関西大学、立命館大学卒業。1954年嶋本昭三に勧められ第7回芦屋市展に出品。その際、吉原治良を知り、指導を受ける。1955年具体美術協会会員となり、その後、岡本太郎が代表を務めるアートクラブの会員となる。両方とも解散まで参加。1975年アーティストユニオン結成に参加。アクションペインターとして活動を続ける。
■Yasuo SUMI(1925-)
Born in Osaka. Graduated from the College of Economics, Ritsumeikan University. Encouraged by Shozo SHIMAMOTO, exhibited work at the 7th Ashiya Municipal Exhibition in 1954. In this exhibition gained acquaintance with Jiro YOSHIHARA, and received guidance from him. Became a member of Gutai in 1955 and later also became a member of the Artist Club which Taro OKAMOTO acted as the representative. Remained a member in both groups until their dissolution. Helped form the Artists’ Union in 1975. Continues to act as an action painter.
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子
『具体 Gコレクションより』展図録2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高崎元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
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