鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第1回
マザー・テレサを撮った男
気がつくともう30年以上も一緒にいる夫のことを、こうして紹介するのは面映い気がしないでもないのだけれども、そのぶん百瀬恒彦という写真家を身近で知っているのは確かであり、親しくしているギャラリストで今回の企画にも深くたずさわる荒川陽子さんからその点を押して頼まれれば、断ることができるはずもありません。引き受けた以上はできるだけわかりやすく、面白く、かつ第三者的にお伝えしていきたいと思っている。
第一回目はやはりこれでいきたい。写真を生業(なりわい)にして45年近く、商業写真よりは、女性雑誌を中心にポートレートを撮り続けてきた百瀬が、数えきれないほどたくさん撮った人のなかで、いちばん「特別な人」の写真です。
マザー・テレサの写真は世界じゅうに無数にあるとは思うけれど、私の知るかぎり、百瀬が撮ったマザーの晩年の姿、ミサのときの一瞬の表情などは、ほかのどこでも見られない貴重なものだと思う。
百瀬がこの特別な人と出会えたのは、彼女が亡くなる2年前の1995年2月、インドのコルカタ(*カルカッタ)にあるマザーの教会「神の愛の宣教者教会」でだった。前もって施設などの写真を撮る許可は得ていたものの、当日、マザーがそこにいるとはかぎらず、しかも彼女は写真嫌いで有名だった。
しかし、運よくその日、マザーがふっとあらわれ、世界じゅうから集まった人々に声をかけながら近づいてきたとき、マザーの姿を間近で撮りたいと思った百瀬は無謀にも「ミサのときの写真を撮らせてください!」とお願いした。一瞬、マザーの鋭い眼差しに睨まれたような、一秒が永遠に思われたような時間が過ぎたあと、マザーの口から出たのは「よいでしょう」という言葉だった。
こうして朝と夕の2回のミサの写真を撮ることができたのだが、撮影が終わって機材をしまっていると、一人のアメリカ人が近づいてきて「2年もここでボランティアをしているけれど、ミサの写真を撮っているのを見たのは初めてだ、凄いことだよ」と言われたそうだ。確かに、よく目にするマザー・テレサの写真のなかに、貧しい人々のために神に一心に祈る姿などはないのではないだろうか。すべてを見抜くような鋭い眼光の写真もある。
* ミサで一心に祈るマザー・テレサ
(1995年撮影
和紙にプリント
58.0x39.0cm
Ed.1
サイン入り
* すべてを見抜くような鋭い眼光のマザー・テレサ
(1995年撮影
バライタ紙にプリント
45.7cmx56.0cm
Ed.15
サイン入り
けれども実際の礼拝堂での撮影条件はかなり厳しく、照明は薄暗い蛍光灯の光のみ、床に座ったシスターたちが賛美歌を歌うなか、荘厳な雰囲気を壊す無粋なシャッター音もはばかられ、最後は祈りの手をあわせたままふり向いたマザーに、無言で「どうぞここまでにしてください」と合図された瞬間を撮って終えている。しかもそのときのカメラは、現在のような光の具合に万能なデジタルではなく、フィルムカメラだった。「それまでの撮影で体験してきたことがすべて、この一瞬に体現できた」と、百瀬はのちに語っている。
* 礼拝堂で賛美歌を歌うシスターたち。澄んだ歌声が聞こえてきそうだ
(1995年撮影
バライタ紙にプリント
45.7cmx56.0cm
Ed.15
サイン入り
(とっとりきぬこ)
*画廊亭主敬白
新たに鳥取絹子さんにエッセイの連載をお願いしました。
テーマはずばりご主人の百瀬恒彦さんの写真世界。
先日このブログでもご紹介した荒川陽子さんとのコラボレーションで来年、写真家百瀬恒彦さんの個展の開催とポートフォリオの出版を計画しています。皆さんに百瀬さんを広く知っていただくために誰がいいか、文筆家の奥様にしくはないと荒川さんの提案で連載をお願いする運びとなりました。約1年、毎月16日の更新です。ご愛読をお願いいたします。
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
マザー・テレサを撮った男
気がつくともう30年以上も一緒にいる夫のことを、こうして紹介するのは面映い気がしないでもないのだけれども、そのぶん百瀬恒彦という写真家を身近で知っているのは確かであり、親しくしているギャラリストで今回の企画にも深くたずさわる荒川陽子さんからその点を押して頼まれれば、断ることができるはずもありません。引き受けた以上はできるだけわかりやすく、面白く、かつ第三者的にお伝えしていきたいと思っている。
第一回目はやはりこれでいきたい。写真を生業(なりわい)にして45年近く、商業写真よりは、女性雑誌を中心にポートレートを撮り続けてきた百瀬が、数えきれないほどたくさん撮った人のなかで、いちばん「特別な人」の写真です。
マザー・テレサの写真は世界じゅうに無数にあるとは思うけれど、私の知るかぎり、百瀬が撮ったマザーの晩年の姿、ミサのときの一瞬の表情などは、ほかのどこでも見られない貴重なものだと思う。
百瀬がこの特別な人と出会えたのは、彼女が亡くなる2年前の1995年2月、インドのコルカタ(*カルカッタ)にあるマザーの教会「神の愛の宣教者教会」でだった。前もって施設などの写真を撮る許可は得ていたものの、当日、マザーがそこにいるとはかぎらず、しかも彼女は写真嫌いで有名だった。
しかし、運よくその日、マザーがふっとあらわれ、世界じゅうから集まった人々に声をかけながら近づいてきたとき、マザーの姿を間近で撮りたいと思った百瀬は無謀にも「ミサのときの写真を撮らせてください!」とお願いした。一瞬、マザーの鋭い眼差しに睨まれたような、一秒が永遠に思われたような時間が過ぎたあと、マザーの口から出たのは「よいでしょう」という言葉だった。
こうして朝と夕の2回のミサの写真を撮ることができたのだが、撮影が終わって機材をしまっていると、一人のアメリカ人が近づいてきて「2年もここでボランティアをしているけれど、ミサの写真を撮っているのを見たのは初めてだ、凄いことだよ」と言われたそうだ。確かに、よく目にするマザー・テレサの写真のなかに、貧しい人々のために神に一心に祈る姿などはないのではないだろうか。すべてを見抜くような鋭い眼光の写真もある。
* ミサで一心に祈るマザー・テレサ(1995年撮影
和紙にプリント
58.0x39.0cm
Ed.1
サイン入り
* すべてを見抜くような鋭い眼光のマザー・テレサ(1995年撮影
バライタ紙にプリント
45.7cmx56.0cm
Ed.15
サイン入り
けれども実際の礼拝堂での撮影条件はかなり厳しく、照明は薄暗い蛍光灯の光のみ、床に座ったシスターたちが賛美歌を歌うなか、荘厳な雰囲気を壊す無粋なシャッター音もはばかられ、最後は祈りの手をあわせたままふり向いたマザーに、無言で「どうぞここまでにしてください」と合図された瞬間を撮って終えている。しかもそのときのカメラは、現在のような光の具合に万能なデジタルではなく、フィルムカメラだった。「それまでの撮影で体験してきたことがすべて、この一瞬に体現できた」と、百瀬はのちに語っている。
* 礼拝堂で賛美歌を歌うシスターたち。澄んだ歌声が聞こえてきそうだ(1995年撮影
バライタ紙にプリント
45.7cmx56.0cm
Ed.15
サイン入り
(とっとりきぬこ)
*画廊亭主敬白
新たに鳥取絹子さんにエッセイの連載をお願いしました。
テーマはずばりご主人の百瀬恒彦さんの写真世界。
先日このブログでもご紹介した荒川陽子さんとのコラボレーションで来年、写真家百瀬恒彦さんの個展の開催とポートフォリオの出版を計画しています。皆さんに百瀬さんを広く知っていただくために誰がいいか、文筆家の奥様にしくはないと荒川さんの提案で連載をお願いする運びとなりました。約1年、毎月16日の更新です。ご愛読をお願いいたします。
■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。
■百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。
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