亭主と社長は長岡と新潟に向かい先日のブログでご紹介した酒井実通男さんが開いた新しいギャラリー(長岡 gallery artbookchair)と、料治幸子さんの個展(新潟絵屋)に行ってきます。
今日、コレクターの澤登丈夫さんが新宿区四谷3丁目に「TS4312」というギャラリーをオープンされます。
開廊記念展は<サラリーマンコレクターが見た「‘70年代或る画廊の記憶」(1)>、案内状の写真は安齊重男さん撮影の南画廊主・志水楠男さんのポートレート。
「70年代収集作品を中心に展示しました。これから年に一度程度この世代以降の時代の香を漂わせた展示を行い現代作家との間を繋ぎたいと思っています。」とその抱負を述べておられます。お祝いにかけつけたいのですが、上述の通り、新潟行なので帰京後に伺いましょう。
ときの忘れものの「五月の画廊コレクション~ベン・ニコルソン他」は本日が最終日です。産休から復帰した尾立はじめスタッフがお待ちしていますので、どうぞ皆さんお出かけください。
出品作から難波田龍起の作品をご紹介しましょう。
難波田龍起
「曲線の構成 B」
1991年
水彩、ペン
22.0x27.0cm
サインあり
難波田作品特有の線と色彩の交錯が、画面に生命感を生み出しています。
1905年、難波田龍起は北海道旭川に生まれました。
1923年に早稲田第一高等学院に入学。偶然にも高村光太郎のアトリエの裏隣に転居したことで交流が始まり、やがて美術に関心を抱くようになります。高村に紹介された川島理一郎に師事し、画家として歩み出した当初は具象絵画を制作しますが、第二次世界大戦後は一貫して抽象絵画の探求に転じ、純粋に線と色彩が喚起させるイメージの構築を追求しました。1950年代半ばから60年代初めにかけて「アンフォルメル」と呼ばれる抽象画風が紹介され日本の画壇に大きな衝撃を与えましたが、難波田はそれ以前にいち早く具象から抽象へ志向したといえるでしょう。
戦前戦後の前衛美術運動の中で誠実に己の道を歩み、形象の詩人に相応しい澄んだ色彩、連続したモチーフと曲線による生命感あふれる独自の画風を築いてゆきました。
1974年と75年に相次いで二人の息子に先立たれるという不幸に見舞われますが、その悲しみと苦悩を乗り越えた後には、魂の結晶とでも呼ぶべき、深い精神性を湛えた心象風景という独自の画境に到達したのでした。
詩魂に溢れた清冽な作品群は、見るものの心を温かく包んでくれます。
■難波田龍起 Tatsuoki NAMBATA(1905-1997)
1905年北海道旭川生まれ。23年高村光太郎を知り生涯私淑する。27年早稲田大学中退。太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ。川島理一郎主宰の金曜会に入り、仲間と[フォルム]を結成。37年自由美術家協会の創立に参加。78年現代版画センターより銅版画集『街と人』『海辺の詩』を刊行。87年東京国立近代美術館で回顧展を開催。88年毎日芸術賞を受賞。96年文化功労者。97年永逝(享年92)。
◆ときの忘れものは、2013年5月1日[水]―5月11日[土] 「五月のコレクション展~ベン・ニコルソン他」を開催しています。※日・月・祝日休廊
「五月のコレクション展~ベン・ニコルソン他」
出品:ベン・ニコルソン、阿部金剛、オノサト・トシノブ、馬場彬、鷲見康夫、斎藤義重、難波田龍起、セルジュ・ポリアコフ、草間彌生
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
今日、コレクターの澤登丈夫さんが新宿区四谷3丁目に「TS4312」というギャラリーをオープンされます。
開廊記念展は<サラリーマンコレクターが見た「‘70年代或る画廊の記憶」(1)>、案内状の写真は安齊重男さん撮影の南画廊主・志水楠男さんのポートレート。
「70年代収集作品を中心に展示しました。これから年に一度程度この世代以降の時代の香を漂わせた展示を行い現代作家との間を繋ぎたいと思っています。」とその抱負を述べておられます。お祝いにかけつけたいのですが、上述の通り、新潟行なので帰京後に伺いましょう。
ときの忘れものの「五月の画廊コレクション~ベン・ニコルソン他」は本日が最終日です。産休から復帰した尾立はじめスタッフがお待ちしていますので、どうぞ皆さんお出かけください。
出品作から難波田龍起の作品をご紹介しましょう。
難波田龍起「曲線の構成 B」
1991年
水彩、ペン
22.0x27.0cm
サインあり
難波田作品特有の線と色彩の交錯が、画面に生命感を生み出しています。
1905年、難波田龍起は北海道旭川に生まれました。
1923年に早稲田第一高等学院に入学。偶然にも高村光太郎のアトリエの裏隣に転居したことで交流が始まり、やがて美術に関心を抱くようになります。高村に紹介された川島理一郎に師事し、画家として歩み出した当初は具象絵画を制作しますが、第二次世界大戦後は一貫して抽象絵画の探求に転じ、純粋に線と色彩が喚起させるイメージの構築を追求しました。1950年代半ばから60年代初めにかけて「アンフォルメル」と呼ばれる抽象画風が紹介され日本の画壇に大きな衝撃を与えましたが、難波田はそれ以前にいち早く具象から抽象へ志向したといえるでしょう。
戦前戦後の前衛美術運動の中で誠実に己の道を歩み、形象の詩人に相応しい澄んだ色彩、連続したモチーフと曲線による生命感あふれる独自の画風を築いてゆきました。
1974年と75年に相次いで二人の息子に先立たれるという不幸に見舞われますが、その悲しみと苦悩を乗り越えた後には、魂の結晶とでも呼ぶべき、深い精神性を湛えた心象風景という独自の画境に到達したのでした。
詩魂に溢れた清冽な作品群は、見るものの心を温かく包んでくれます。
■難波田龍起 Tatsuoki NAMBATA(1905-1997)
1905年北海道旭川生まれ。23年高村光太郎を知り生涯私淑する。27年早稲田大学中退。太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ。川島理一郎主宰の金曜会に入り、仲間と[フォルム]を結成。37年自由美術家協会の創立に参加。78年現代版画センターより銅版画集『街と人』『海辺の詩』を刊行。87年東京国立近代美術館で回顧展を開催。88年毎日芸術賞を受賞。96年文化功労者。97年永逝(享年92)。
◆ときの忘れものは、2013年5月1日[水]―5月11日[土] 「五月のコレクション展~ベン・ニコルソン他」を開催しています。※日・月・祝日休廊
「五月のコレクション展~ベン・ニコルソン他」出品:ベン・ニコルソン、阿部金剛、オノサト・トシノブ、馬場彬、鷲見康夫、斎藤義重、難波田龍起、セルジュ・ポリアコフ、草間彌生
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
コメント