今日はヒロシマの鎮魂の日。

<山口県の海辺に住む殿敷侃は、神秘と深い情熱をデッサンにたたきこみ、いちずに求めてやまぬ若者で、ぼくはかれの将来に嘱目する。
           1978年8月20日 久保貞次郎>


久保エディションについては、この連載第1回桂ゆきの項で詳しく述べましたが、久保貞次郎先生が直接版元となってエディションしたもの、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ったものなど、久保先生の支援がなければ誕生しなかったであろう版画作品のことをここではいいます。
第2回は瀧口修造の詩による版画集『スフィンクス』を、第3回吉田克朗を紹介しました。

第4回の今日は、3歳のときに原爆投下直後の広島に入り二次被爆し、1992年50歳で死んだ殿敷侃をご紹介します。
近年再評価の機運の高まるこの作家の才能に初めて注目し惜しみない支援をしたのが久保先生でした。

01_kai_4《貝(4)》
銅版
9.8x9.8cm
Ed.40 サインあり

05_kani《カニ》
銅版
12.3x16.0cm
Ed.30 サインあり

08_block《ドームのレンガ》(1)
1977年 銅版、雁皮刷り
23.2×32.3cm
Ed.50 サインあり

14_insect《地中の虫》
リトグラフ
21.2×35.9cm
Ed.30 サインあり

18_saw3《ノコ》(3)
銅版
23.3×32.0cm
Ed.30 サインあり

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亭主は、同時代に生き3歳しか違わないこの作家に会おうと思えば会えたのに、その機会を失ってしまいました。わが身の不明を恥じるばかりです。
版画はもとより美術に関して何の素養もなかった亭主は、ある偶然から1974年に久保先生を顧問に現代版画センターを創立しました。以来、市谷佐土原町にあった久保邸に毎週のように、それも早朝にお伺いして版画のイロハから教えを乞い、エディションの相談をし、つくった作品を買っていただき、しばしば金策のお願いまでしました。
1977年のある日、いつものように伺うと、興奮した口調で《飯田画廊で面白い作家に会った》と言って、石(今思うとそれは原爆ドームの煉瓦だった)を鉛筆で精緻に描いた何枚ものドローイングを見せてくれました。
久保先生はいつものやり方で、銅版プレス機と版画道具一式を買い揃え、山口県の殿敷さんのアトリエに送りつけ、版画の制作を勧めたのでした。上掲の銅版、リトグラフはその成果です。
当時、久保先生から殿敷作品の購入を勧められても買いませんでした。久保先生企画の飯田画廊での個展にも行きませんでした。
久保先生没後、遅まきながら殿敷さんの仕事の重要性を気づいた亭主ですが、いつか顕彰の展覧会をとずっと考えていました。
ようやく準備も整い、久保先生旧蔵の作品による「殿敷侃 遺作展」を8月21日~31日の会期で開催します。
遺作展を開催するにあたりカタログを制作し、下関市立美術館の濱本聰先生に執筆をお願いしました。
またこのブログでは、友利香さん、山田博規さん、土屋公雄さん、西田考作さん、池上ちかこさんらに寄稿(再録も含む)をお願いしています。

久保先生が殿敷侃さんの個展(1978年)に寄せた文章を再録します。
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殿敷侃くんの仕事
久保貞次郎


 ぼくは殿敷くんに偶然の機会で知りあいになったが、最初かれが包みからとりだした「煉瓦」のペン・デッサンに注目した。それは、ひとつの執念がたたみこまれていた。情熱のほかに何か別のものが加わっていた。その別のものは、作者の祈るような神秘の心であった。それはかれの意識のなかにはなく、心の奥深くにうずくまる情熱であった。
 かれは自分がどこから来たか、そしてどこへ行くのかの問いを、父や母の思い出に沈潜して、何ものかをつかもうと試みる。それは後ろ向きで、ぼくはそれほど好きでない。しかし、ひとが創造の作業に入ることを、自己の混沌のうちに没することだ、という思考からみれば、かれのいまの制作も、ひとつの出口を発見する手だてとなるだろう。
 銅版画はかれの神秘を求める心がよく出ていて魅力に富む。原版は作者自身が腐蝕し、刷りは小浦昇くんがやってくれた。
   (1978年 殿敷侃個展 飯田画廊別館)

*久保貞次郎・美術の世界第5巻『日本の版画作家たち』248ページより
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殿敷侃
1942年広島市生まれ。3歳のときに被爆。父親は原爆で亡くなり、母親も五年後に病死。26歳で画家を志す。77年久保貞次郎の勧めにより銅版画の制作を始める。
作家自身の被爆体験にもとづいた作品で注目され、79、80年に安井賞連続入選。82年ヨーロッパ旅行で[ドクメンタ7]のボイスの作品に大きな衝撃を受け、翌年の山口県展に約4トンのタイヤなどの廃品をぶちまけたインスタレーションを発表。92年永逝(享年50)。

●『殿敷侃 遺作展』カタログのご案内
Tonoshiki表紙600『殿敷侃 遺作展』カタログ
2013年
ときの忘れもの 発行
15ページ
25.6x18.1cm
執筆:濱本聰
図版:21点
価格:800円(税込)
※送料別途250円

2013年8月に開催した「殿敷侃 遺作展」のカタログです。
広島で生まれた殿敷侃は、被爆体験をもとにヒロシマにまつわる遺品や記憶を細密極まる点描で描き、後に古タイヤなどの廃品で会場を埋めつくすというインスタレーションで現代社会の不条理に対して批判的・挑発的なメッセージを発信し、1992年50歳で亡くなりました。
このブログでは「殿敷侃の遺したもの」を記録するため「久保エディション第4回~殿敷侃」はじめ、濱本聰(下関市立美術館)さん、山田博規さん(広島県はつかいち美術ギャラリー)、友利香さん、土屋公雄さん、西田考作さん、池上ちかこさんらに寄稿(再録も含む)していただきました。

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