鳥取絹子のエッセイ「百瀬恒彦の百夜一夜」 第6回

“太陽は一つです”


 あるとき、美輪明宏さんを撮影するために美輪さんの自宅に行ったことがあった。その前にも何度か撮影していたので、美輪さんも百瀬に対しては親近感を抱いていたのだろうか。家の中で撮影場所を決めてストロボをセットし終わると、
「あら、あなたライト一つだけなの?」 
 と、やや非難めいて言われてしまった。おそらくほかの多くのカメラマンは何個ものストロボをセットしていたに違いない。それに対して、百瀬が、
「ええ、太陽は一つですから」 と答えると、美輪さんはしてやられたとばかりに「ふん!」
 咄嗟に出た言葉とはいえ、我ながらいまでも名言だと思っている。
 そう、百瀬は写真の仕事を始めた当初から光源としての人工光は一個しか使わない。撮影用の人工光として発明されたストロボは、光を昼間の太陽光に近づけたものであり、タングステンライトは夕方の赤っぽい太陽光に近いといえるだろう。
「太陽の偉大さを感じる。太陽一個で、これだけ地球の隅々まで見せてくれるのは大変なことだと思う。刻々と変わる光で、濃淡のある光と影、順光の美、逆光の美を作ってくれる。その美しさをどう撮り込むか。それが僕らの仕事だと思う」
 できれば人でも物でもすべてを自然の太陽光で撮影したいのだが、実際の仕事では撮影場所が屋内であることが多く、だから、人工光を使って偉大な太陽が織りなす光の綾をいかにつくりだすかが、いちばんのポイントになる。
「人や物を見るときの光と影に関しては、普通の人よりは注意深く、興味を持って見ていると思う。太陽の位置や雲の状態によって光と影が変わるように、光源の位置や角度、強くするか弱くするかで、光と影のバランスが微妙に変わってくる。太陽の光が地上を回るように、光源の光も回す。そうして、撮影する人や物がいちばん美しく見える光にする」
 フィルムカメラを使っていた頃は、デジタルと違ってその場で画像を確認することができないうえ、再撮影などもってのほか、光に関してはとくに緻密な計算をしなければならなかった。おかげで撮影するときの光と影についてはずいぶんと訓練された。
 当たり前のことだが、写真は“光”がないと写らない。そして、その光がつくり出すえもいえぬ影が美しいのである。
(とっとりきぬこ)

miwa百瀬恒彦
「美輪明宏」
2001
和紙にモノクロプリント
32.0x24.0cm
サイン入り


■鳥取絹子 Kinuko TOTTORI(1947-)
1947年、富山県生まれ。
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。
著書に「大人のための星の王子さま」、「フランス流 美味の探求」、「フランスのブランド美学」など。
訳書に「サン=テグジュペリ 伝説の愛」、「移民と現代フランス」、「地図で読む世界情勢」第1弾、第2弾、第3弾、「バルテュス、自身を語る」など多数。

百瀬恒彦 Tsunehiko MOMOSE(1947-)
1947 年9 月、長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。
在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。
1991年 東京「青山フォト・ギャラリー」にて、写真展『無色有情』を開催。モロッコの古都フェズの人間像をモノクロで撮った写真展 。
タイトルの『無色有情』は、一緒にモロッコを旅した詩人・谷川俊太郎氏がつける。
1993年 紀伊国屋書店より詩・写真集『子どもの肖像』出版(共著・谷川俊太郎)。作品として、モノクロのプリントで独創的な世界を追及、「和紙」にモノクロプリントする作品作りに取り組む。この頃のテーマとして「入れ墨」を数年がかりで撮影。
1994年11月 フランス、パリ「ギャラリー・クキ」にて、写真展『TATOUAGES-PORTRAITS』を開催。入れ墨のモノクロ写真を和紙にプリント、日本画の技法で着色。
1995年2月 インド・カルカッタでマザー・テレサを撮影。
1995年6月 東京・銀座「愛宕山画廊」にて『ポートレート・タトゥー』写真展。
1995年9月-11月 山梨県北巨摩郡白州町「淺川画廊」にて『ポートレート フェズ』写真展。
1996年4月 フランスでHIV感染を告白して感動を与えた女性、バルバラ・サムソン氏を撮影。
1997年8月 横浜相鉄ジョイナスにて『ポートレート バルバラ・サムソン』展。
1998年3月 東京・渋谷パルコ・パート「ロゴス・ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1998年8月 石川県金沢市「四緑園ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
9月 東京・銀座「銀座協会ギャラリー」にて『愛と祈り マザー・テレサ』写真展。
1999年 文化勲章を授章した女流画家、秋野不矩氏をインド、オリッサ州で撮影。
2002年10月 フランス、パリ「エスパス・キュルチュレル・ベルタン・ポワレ」にて『マザー・テレサ』写真展。
2003年-2004年 家庭画報『そして海老蔵』連載のため、市川新之助が海老蔵に襲名する前後の一年間撮影。
2005年2月 世界文化社より『そして海老蔵』出版(文・村松友視)。
2005年11月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『パリ・ポートレート・ヌードの3部作』写真展。
2007年6月-7月 「メリディアン・ホテル ギャラリー21」にて『グラウンド・ゼロ+ マザー・テレサ展』開催。
2007年6月-12月 読売新聞の沢木耕太郎の連載小説『声をたずねて君に』にて、写真掲載。
2008年6月 東京・青山「ギャラリー・ワッツ」にて『マザー・テレサ展』。
2010年4月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『絵葉書的巴里』写真展。
8月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」、田園調布「器・ギャラリ-たち花」にて同時開催。マザー・テレサ生誕100 周年『マザー・テレサ 祈り』展。
2011年7月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『しあわせってなんだっけ?』写真展。
2012年3月 青山 表参道「 プロモ・アルテギャラリー」にて『花は花はどこいった?』写真展。