今から半世紀以上前、戦前の美術雑誌を読むと「街頭展」という言葉が出てくる。
吹き曝しの道端での展覧会という意味ではありません。
戦前は帝展や春陽会、二科会などの団体展が新人の登竜門であり、発表の場でした。
それに出せない、出しても落とされる作家や、またはじめからアカデミックな団体展に反発して作品発表の場を他に求めた作家たちが、銀座などの民間ギャラリーで開催する展覧会をさしていう言葉でした。

例えば、1919年(大正8年)に創設され今日まで続く資生堂ギャラリーで開催された数千回に及ぶ個展、グループ展などはその「街頭展」の最たるものでした。
その資生堂ギャラリーがもうすぐ100年を迎えようという21世紀の今日、文字通り吹き曝しの街頭ー世田谷の街角(民家の塀が展示場所)で展覧会を開こうという人が現れた。
雨でも降ったらどうするんだと言いたくなりますが、そういう過激なことをする御仁は亭主の周辺には石山修武先生しかおりません。
「飾りのついた家」組合なるグループを結成し、その旗揚げ展「飾りのついた家第一回展示会 烏とゲーテと具体派」が10月12日、13日の二日間、開催されました。
石山修武展示
写真は初日の展示風景、
真ん中は「具体」の堀尾貞治先生の作品。
(撮影:長井美暁さん/フェイスブックから借用)

親分・石山先生からのイベントの案内はいつも直前で、こちらを慌てさせるのですが、今回も<ヘイギャラリー>のお知らせをいただいたのが数日前。
日曜のお昼、とにもかくにも出かけました。
幸いお天気に恵まれ、蕎麦屋さんの前の民家の塀を使って、早稲田の学生さんたちが石山先生の指示に従い、様々な作品を飾っている最中でした。
亭主が買ったのは「大ガラス」。
いえ、デュシャンの大ガラスではなく、石山修武先生の『大烏』というブリキのレリーフ作品です。

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10月12日、13日の「飾りのついた家」組合の展示会のテーマは烏とゲーテと具体派になった。ゲーテはドイツ、ワイマールのバウハウス・ルーフライトギャラリー、シュトゥットガルト芸術アカデミーを巡回してきた「ゲーテ・チェアー」であり、烏は画像が多く呈示されてきたので、はしょる。そして、具体派は実験工房と並び、戦後突出した日本のアヴァンギャルド達である。堀尾貞治は最近、ニューヨーク、グッゲンハイム美術館での「具体展」でも脚光を浴び、評価はうなぎ登りのアーティストだ。藤野忠利はわたくしが最も信頼する、子供を含むアウトサイダーアートの精通者でもある。これ等をON THE ROAD するのだから、実ワ大変な豪華版なのであるが、地元も道行く人もそんなことは解るまいし、知らないママであろう。

だからそれぞれに価格をつけて、明示して見せた。

何でも鑑定団の、のりである。

人間はその金、つまり値段で全てを評価するようになっている。

だから、これ見よがしにプライス表も掲示する。

ついでに言えば、11月16日、17日、つまり又も土、日曜日にも第2回のヘイ・ギャラリー展示会を行う。1回切りの試みではない。

第2回は「トタン・カーメンの見る夢」。

我々の小さな、しかし熱烈に建てたい建築のプロジェクトを道端に展示する。

期待していただきたい。

第3回は、12月14日、15日の両日。これも土、日曜日。

「街角のおもちゃとおもち」展としたい。

この日は地元の子供達ともちつき大会をここで行いたい。

今年はそこまでである。

来年のことはいずれ。
(石山修武 アルチ村日記より)

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お支払いを済ませ、さて久しぶりに親分と昼酒もいいなあ、とお蕎麦屋さんに入り酒、肴を注文して待つことしばし。
親分、なかなか現れない。
こちらはとうに酔っ払い、店を出ると、さきほどまで爽やかな風に吹かれて展示してあった堀尾作品や石山先生の椅子作品がなくなっている。
ヘンな人たちがたむろしているって通報したやつがいて」、警察がかけつけ作品撤去となったらしい。
世の中にはおせっかいというか、アホな正義漢がいるもんですね。