年末になると喪中のはがきをいただく、年々その数は増えてくるようです。
お世話になった方の訃報や、画廊の閉店のお知らせなど悲しく、切ない。
◆2013年3月
建築写真家で雑誌『GA』で知られる二川幸夫さんが亡くなりました。
虫が知らせたのでしょうか。回顧展などしないと言っていた二川さんですが、女性学芸員の情熱によって実現した「二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家 一九五五年」の会期中の訃報でした。
「二川幸夫・建築写真の原点
日本の民家 一九五五年」
2013年1月12日(土)~3月24日(日)
パナソニック汐溜ミュージアム

1983年二川さんはわが国初の本格的建築ギャラリーとしてGAギャラリーをつくりました。
オープン記念展は盟友・磯崎新先生の版画展でした。
そのお手伝いをできたことを亭主は誇りにしています。11月4日盛大なオープニングの夜、磯崎先生夫妻と私たちをバー・ラヂオ(最初の)に連れてってくれたのが二川さんでした。
◆2013年4月
福井県池田町のKさんが亡くなりました。瑛九の晩年を支えた頒布会のメンバーで、私たちにとっても大切なお客様でした。いつも野菜を送ってくれたり、お訪ねすると美味しいお蕎麦をご馳走してくださる方でした。
2008年6月Kさんと社長。
飾られているのは磯崎新「影2」。
◆2013年10月
大阪・番画廊の松原光江さんが亡くなりました。
コレクター層がそうは厚くはない関西にあって現代美術のギャラリーとして貴重な存在でした。
亭主とほぼ同じ歳で、入院されてから長かったのですが、ときには病院からお電話をいただくこともありました。
以前このブログで亭主がお世話になった女性ギャラリストのことをちょっと書きましたが、神戸の平田和子さんと大阪の松原さんにはことのほかお世話になりました。
現代版画センターが倒産し、いっせいに皆さんが背を向けたとき(当然ですね)、破産業務に必要な大金をつくってくれたのが松原さんでした。あのときのご厚意は忘れることができません。
34年の歴史に幕を閉じた最後の展覧会「サ・ヨ・ナ・ラbangarow」(12月25日で終了)には、ここを発表場所とした300人もの作家たちが出品したとのこと、お人柄が偲ばれます。
二川さん、Kさん、松原さん、お世話になりました。
ご恩は忘れません。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
先日も書きましたが、亭主が画商になって来年でちょうど40年となります。
短気で、おっちょこちょいで、いい歳して思慮分別のない亭主でありますが、美術品を商うことで、評価の時間差というか、ほんとうのことは「時間」を経なければわからいということを身にしみて学んできました。
出てきたときには、「なんだこんなもの」と馬鹿にしていた(無視していた)作家や作品が10年、20年するうちにあれよあれよというまに光り輝くようになる。
「あのとき買っていれば」と幾度くやし涙を流したことでしょうか。
もちろん、その逆も少なくありません。
みかけに騙されてはいけない、と頭ではわかっているのに、同じ過ちを幾度も繰り返すはめになる。
私が美術品の売買から学んだのは、評価に多数決は機能せず、美は少数者にあり、ということでした。
ぶれない軸をもち、徹底的に己を信じられる者こそが生き残れる。
画廊の営業は既に終了していますが、このブログは年中無休、年末年始も休まず更新し続けます。
いえ、亭主が更新するんじゃあありません。
最近は何から何までスタッフに丸投げです。年末、スタッフたちは多くのブログ執筆者にお正月用の原稿をいただくのに大童でした。
では明日もまたブログをお読みいただければ幸いです。
お世話になった方の訃報や、画廊の閉店のお知らせなど悲しく、切ない。
◆2013年3月
建築写真家で雑誌『GA』で知られる二川幸夫さんが亡くなりました。
虫が知らせたのでしょうか。回顧展などしないと言っていた二川さんですが、女性学芸員の情熱によって実現した「二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家 一九五五年」の会期中の訃報でした。
「二川幸夫・建築写真の原点日本の民家 一九五五年」
2013年1月12日(土)~3月24日(日)
パナソニック汐溜ミュージアム

1983年二川さんはわが国初の本格的建築ギャラリーとしてGAギャラリーをつくりました。
オープン記念展は盟友・磯崎新先生の版画展でした。
そのお手伝いをできたことを亭主は誇りにしています。11月4日盛大なオープニングの夜、磯崎先生夫妻と私たちをバー・ラヂオ(最初の)に連れてってくれたのが二川さんでした。
◆2013年4月
福井県池田町のKさんが亡くなりました。瑛九の晩年を支えた頒布会のメンバーで、私たちにとっても大切なお客様でした。いつも野菜を送ってくれたり、お訪ねすると美味しいお蕎麦をご馳走してくださる方でした。
飾られているのは磯崎新「影2」。
◆2013年10月
大阪・番画廊の松原光江さんが亡くなりました。
コレクター層がそうは厚くはない関西にあって現代美術のギャラリーとして貴重な存在でした。
亭主とほぼ同じ歳で、入院されてから長かったのですが、ときには病院からお電話をいただくこともありました。
以前このブログで亭主がお世話になった女性ギャラリストのことをちょっと書きましたが、神戸の平田和子さんと大阪の松原さんにはことのほかお世話になりました。
現代版画センターが倒産し、いっせいに皆さんが背を向けたとき(当然ですね)、破産業務に必要な大金をつくってくれたのが松原さんでした。あのときのご厚意は忘れることができません。
34年の歴史に幕を閉じた最後の展覧会「サ・ヨ・ナ・ラbangarow」(12月25日で終了)には、ここを発表場所とした300人もの作家たちが出品したとのこと、お人柄が偲ばれます。
二川さん、Kさん、松原さん、お世話になりました。
ご恩は忘れません。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
先日も書きましたが、亭主が画商になって来年でちょうど40年となります。
短気で、おっちょこちょいで、いい歳して思慮分別のない亭主でありますが、美術品を商うことで、評価の時間差というか、ほんとうのことは「時間」を経なければわからいということを身にしみて学んできました。
出てきたときには、「なんだこんなもの」と馬鹿にしていた(無視していた)作家や作品が10年、20年するうちにあれよあれよというまに光り輝くようになる。
「あのとき買っていれば」と幾度くやし涙を流したことでしょうか。
もちろん、その逆も少なくありません。
みかけに騙されてはいけない、と頭ではわかっているのに、同じ過ちを幾度も繰り返すはめになる。
私が美術品の売買から学んだのは、評価に多数決は機能せず、美は少数者にあり、ということでした。
ぶれない軸をもち、徹底的に己を信じられる者こそが生き残れる。
画廊の営業は既に終了していますが、このブログは年中無休、年末年始も休まず更新し続けます。
いえ、亭主が更新するんじゃあありません。
最近は何から何までスタッフに丸投げです。年末、スタッフたちは多くのブログ執筆者にお正月用の原稿をいただくのに大童でした。
では明日もまたブログをお読みいただければ幸いです。
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