君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」 第12回

「花を描きながら」


最近、本格的に仏像に関係する調査を行うようになってきたので、以前よりも寺院を訪れる機会が増えてきた。2月は珍しく東京で大雪が降ったが、多くの寺院で美しい梅の花を見ることができた。

せっかく梅を愛でたので、梅を描こうと思い真っ白い紙に向かった。しかし、尾形光琳をはじめとした先人が描いた梅のモチーフが次々と思い出され、なかなか自分らしい梅の花を描くことができない。そうやって悩んでいたら、だんだん本物の梅の感動が薄れてきてしまい、筆を置いてしまった。

描画材料に墨を用いると、所謂「日本画」のイメージに引きずられることを常に心配してしまう。もちろん長い年月、描かれ続けるモチーフにはそれだけの魅力があるのだが、形式化が進むと、時として非常に陳腐なイメージになってしまう。特に花は陳腐なイメージになってしまう可能性が、強いように感じられる。

しかし、今年は花というテーマで制作を続けるつもりである。今の時代だからこそ描ける花のイメージがあるのではないかと模索している。梅を描くのは止めたが、代わりに以前から何度かテーマにしている蓮の花を描いてみた。

墨は少し紫がかった色を使用し、普段使用している青墨よりもまったりとした印象になってしまったのが残念だが、私のイメージする蓮の花が描けたと思う。蓮の花は、今後も描き続けたいテーマである。

Lotus_600君島彩子
「Lotus」
2014年
紙、墨
19.0x28.0cm


蓮の花は、寺院で最もよく見かける花の意匠である。仏像の持物や蓮華座だけでなく、様々な場所に蓮華のデザインが使用されている。また仏前には、常花と呼ばれる金色の蓮華が置かれていることが多く、他の生花とは異なり一年を通して蓮の花は見ることができる。

どんな泥水の中でも美しい花を咲かせる蓮の花は、仏教において智慧や慈悲の象徴とされてきた。また死後に極楽浄土に往生し、蓮の花の上に生まれ変わって身を託すという思想もあり、蓮の花は非常に重要なモチーフとされてきた。

実際の蓮の花が咲くのは6月くらい。まだまだ早いけれども仏像について研究しているのだから、蓮華を描くのは奥深いかもしれないなどと考えつつ制作を行った。しかし、蓮の花もまた多くの先人によって描かれており、自分のスタイルを確立するにはまだ時間がかかりそうである。

花のシリーズが完成した時には、まとまった形で発表することができればと考えて制作を続けている。また、研究を進めている仏像についても、数年後にはきちんと論文として発表できればと考えている。二足のわらじがどのように影響しあうか、まだ分からないけれども、蓮の花の表現はひとつの結果かもしれない。
(きみじまあやこ)

◆君島彩子のエッセイ「墨と仏像と私」は毎月8日の更新です。
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本日のウォーホル語録

「撃たれる前、ぼくは、自分がトータルにその場にいないで、半分だけ存在しているようにいつも思っていた。もしかして、人生を生きているかわりにテレビを見ているんじゃないかと思っていた。ときどき、人々は、映画で起こることは現実じゃないと言うけれども、明らかに、あなたの人生で起こることも、非現実的なんだ。映画は、本当のことのように強烈に感情をわきたたせるけれども、あなたの身に本当に起こることは、まるでテレビを見ているみたいで――あなたは何も感じない。ぼくが撃たれてしばらくは、テレビを見ているようだった。チャンネルは変わってもテレビには変わりなかった。本当に何かに巻き込まれているときには、いつも人は何か別のことを考えている。ことが起こったとき――人は他の空想にふけっている。
―アンディ・ウォーホル」


ときの忘れものでは4月19日~5月6日の会期で「わが友ウォーホル」展を開催しますが、それに向けて、1988年に全国を巡回した『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録から“ウォーホル語録”をご紹介して行きます。

アンディ・ウォーホル『ポップ・アートの神話 アンディ・ウォーホル展』図録
1988年
30.0x30.0cm
56ページ
図版:114点収録
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