芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第3回

『第3話 丘を越えて ~オーブラックからコンクまで~』


8/27(Mon) Saint-Alban-sur-limagnole ~ Aumont Aubrac (15.2km)
8/28(Tue) Aumont Aubrac ~ Nasbinals (26.3km)
8/29(Wed) Nasbinals ~ Saint-chelyd’ Aubrac (25.9km)
8/30(Thu) Saint-chelyd’ Aubrac ~ Espalion (23.7km)
8/31(Fri) Espalion ~ Golinhac (26.6km)
9/1(Sat) Golinhac ~ Conques (20.8km)

 人々はなぜ、巡礼の旅に出るのだろうか。もちろんその理由は人によってさまざまだろう。けれどもそこにはある種の普遍性があるように思う。
 世界にはさまざまな聖地がある。イスラム教にはメッカがあり(もちろん体力的、経済的に可能な者という条件は付いているが)そこを訪れることは全ての信徒が一生に一度は果たすべき義務とされている。チベット仏教にはカイラス山、日本においても富士山は信仰の対象でもある。
 日本においては四国八十八ヶ所のお遍路が有名であり、関東では秩父三十四カ所観音巡礼がある。また、最近では映画のロケ地やアニメや漫画の舞台となった場所を訪れることを聖地巡礼とも呼ぶそうだ。宗教はもちろんのこと、地域や時代、また個人によって聖地の概念も異なり、巡礼の意味も多様になる。
 キリスト教においても「聖地」とされた場所は数多くあるが、3大聖地と呼ばれているのはエルサレム、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステーラのことであった。それは今でも変わることはない。

 フランスには、スペインのアルベルゲと呼ばれる巡礼者専用の宿泊施設はない。そのため、フランスではジットと呼ばれるユースホステルと民宿を合わせたような宿を利用した。巡礼宿ではないため、バケーション(休暇)を楽しむ一般の人も宿泊している。素泊まり15ユーロ、1泊2食付き25~30ユーロが相場であった。基本的に個室ではなく、広い部屋にいくつものベッドが置かれているドミトリー形式で、各自先着順に寝床を確保していくシステムである。

01ジットの入口ジットの入り口


 起床し準備を整える。町の小さな食料品店では1.5ℓの水が0.4ユーロ、バゲット1.2ユーロという日本では信じられない値段である。巡礼者にはなによりもありがたい。朝もやがかかる森の中を歩いていく。木の間から紅の朝日が差し込む。森を抜けると広大な牧草地。朝の光を浴び輝いている。地平線が遠く彼方まで続いていた。

02朝日が差し込む森の中朝日が差し込む森の中


03朝日に輝く牧草地朝日で輝く牧草地


 お昼過ぎには今日の目的の町に着き、宿でシエスタ(昼寝)。夕方からは町を散歩し、教会を訪れる。夕方でもまだ明るい夏のフランスの太陽の光が、青いステンドグラスを透過し空間を満たす。空間は青く染まり、まるで水の中にいるようである。海の底から光が差す海面を見ると、きっとこんな景色が見えるのだろう。宿での夕食はこの地方の名物料理アリゴ。チーズとポテトを混ぜたトロトロのマッシュポテトのような料理である。おいしすぎて食べ過ぎてしまった。

04青の空間青の空間


05アリゴ郷土料理 アリゴ


 翌日、朝から強い雨。雷も轟き、歩き始める時間を遅らせる。宿の主人が朝食と温かいコーヒーをごちそうしてくれた。巡礼は人の温かさに触れる旅なのかもしれない。
 雨は止みそうに無いので、少し弱まってきたところを見計らい、歩き出す。巡礼中は常にベストなコンディションで歩けるわけではない。自然が相手なのだから、それを受け入れることも必要である。
 バックパックからレインウェアを取り出す。レインウェアは寒いときや雨などの悪天候時に着る服である。コンビニなどで売っているビニールカッパは雨を防ぐが、透湿性が無いために体から発生する蒸気や汗を外に放出することができない。雨は防げても、結局汗でびしょ濡れになってしまう。そのため、雨をはじき、蒸れを外に出すという防水透湿性はレインウェアの命とも言える大切な機能となる。この「水は透過させないが水蒸気は放出させる」という相反するような機能を備えているからこそ、過酷な環境でも快適な行動を可能にしてくれる。まさに画期的なアイテムなのである。
 レインウェアの機能の大切さをまざまざと体感することになったのはこのときである。私のバルセロナカラーのレインウェアは機能よりもデザインを優先して購入したものだ。もちろん、アウトドアメーカーのものなのでコンビニのビニールカッパよりは高性能だ。しかし、体から出る蒸気のムレを完全に解消することは出来なかった。結局、着ていたTシャツが汗でビショビショになってしまった。レインウェアというのは強い雨が降る過酷な環境において性能の違いが最も顕著に表れる。雨の少ないバルセロナに滞在した際には感じなかったレインウェア本来の機能の大切さをこの時に痛感したのであった。

06バルセロナカラーのレインウェアバルセロナカラーのレインウェア


 途中、イギリスのバーミンガムからやってきたスティーブという男と一緒になった。年齢は45~50歳ぐらいだろうか。彼の不思議なところはなぜか日本語が話せるということだ。これには驚いた。昔、日本の大学教授をホームステイさせたことがあり、そのときに覚えたそうだ。フランスの田舎道で日本語の会話で盛り上がる日本人とイギリス人。なんとも奇妙な光景だったに違いない。

07雨の巡礼路雨の巡礼路


08雨あがりの巡礼路雨上がりの巡礼路


 夕食をスティーブとフランスから来た学生のジャック、ドイツ人オリバーと共に食べる。ジャックは夏休みを利用して2週間の予定で巡礼路を歩いている。オリバーはドイツの自宅から2ヶ月かけてここまで歩いてきたという猛者。いろいろな人が巡礼路を歩いている。昨日に引き続きアリゴを食す。食後はジャックにパスティスというフランスのお酒を勧めてもらう。香草系のリキュールで独特の風味がある。現地で飲むご当地のお酒ほどうまいものはない。同じ酒を日本で飲んでもこれ以上に美味しくはないだろう。パスティスを片手に4人の会話は盛り上がり、宿の門限にギリギリ間に合ったのであった。

 次の日、道を歩いているとポーと再会。共に歩く。ここ、オーブラック(Aubrac)はかつて難所と呼ばれた丘陵地帯であった。飢えや寒さで亡くなる人もまれではなく、見通しの悪い山道で巡礼者を狙う盗賊も少なくなかった。そのため、12世紀の初めにはすでに巡礼者のために救護所が設けられていたという。現在ではかつての森林は切り開かれ、広々とした牧場が広がっている。巡礼路は牧場を横切るかたちで続いており、何十頭もの牛が草を食んでいる中を歩くことになる。

09Aubracの丘オーブラックの丘


10牛たち牛たち


 Aubracの町に着いた。町にはかつての救護所跡に、付属の礼拝堂だけが残っていた。がらんとした内部だが、そこにはかつて病気になったり、怪我をした数えきれないほどの巡礼者たちが神に救いを求め、祈りを捧げた空間があった。やはり空間の質が他の多くの礼拝堂とは異なる感じを受ける。黒く粗い石。素材が生み出す空間の力を強く感じた。

11Aubracの礼拝堂 外観オーブラックの礼拝堂 外観


12Aubracの礼拝堂 入口jpgオーブラックの礼拝堂 入口


13Aubracの礼拝堂 内観1オーブラックの礼拝堂 内観1


14Aubracの礼拝堂 内観2オーブラックの礼拝堂 内観2


Saint-come-d’oltの町の中心には大きな教会があった。そこで一休み。天井まで届きそうな大きなステンドグラスはカラフルなモザイク模様が施してある。そのステンドグラスを通した光が空間を赤く染める。

15輝くステンドグラス赤く輝くステンドグラス


Espalionの町に入る前に小さな教会に立ち寄る。周りには墓地。外壁は風化によってくすんでいて、決してきれいとは言えない寂れた教会。内部に入ると赤く粗い石による分厚い壁、そしてわずかな開口。典型的なロマネスクの建築である。正面の繊細なキリストの磔刑像が、ここが教会であることを表している。死者を葬る際、この教会で永遠の安らぎのための祈りが捧げられてきたことだろう。時間が止まっているかのような場所。時を超越しているかのような空間がここにあった。

墓地の礼拝堂墓地の礼拝堂


16墓地の礼拝堂 内部墓地の礼拝堂内部


 コンクへの道の途中、老婦人が手招きしている。少し休んでいけということだろうか。その好意に甘え、冷たいハーブティーを頂く。私は巡礼に行くことはできないけど、その代わりに巡礼者のために奉仕をしているのだと話してくれた。その後、小さな小屋に案内された。不思議に思って中に入ると、そこには手作りの小さなチャペルがあった。いや、チャペルとも言えないだろう。絨毯を敷き、正面の壁に十字架がかけてあるただの部屋なのだから。しかし、この小屋は老婦人が自分と巡礼者のためにつくり上げたチャペルである。何も立派な礼拝堂など無くても良い。祈るための空間はこれだけでも十分である。信仰とは祈ること。ここには老婦人の祈りを信仰に昇華させるために十分な空間があった。

17老婦人のチャペル老婦人のチャペル


 コンクにだんだんと近づいていく。あとは坂を下るだけという場所に小さな教会があった。内部は薄くスライスした石がミルフィーユのように重なり、それが午後の穏やかな光を反射してキラキラと輝いている。正面の白い大理石の祭壇に開口から光が当たる。光の祭壇!ずっとこのまま座って光輝く祭壇を見ていたい。そう願ったが、雲が光を遮る。しばらくしてまた光が入ってきたが、もうその光の先に祭壇はない。あの輝きを今日はもう見ることができないだろう。あの時のあの一瞬の輝きに出会えたことを感謝し、ゆっくりと腰を上げ、コンクへ続く坂を下り始めた。

18スライスされた石の教会キラキラ輝く教会


19光輝く祭壇光輝く祭壇


20椅子と光光と椅子


21コンクへの道コンクへの道


 コンク(Conques) はとても美しい町である。周りを緑の山々に囲まれ、深い谷の底にひっそりと佇んでいる。町の中心にあるロマネスクの修道院付属教会がこの町のシンボルである。教会はこの近くで産出される白みがかった石によって建てられており、内部は中世の白い空間が時空を超えて現代に現れたようだ。

22コンクコンク


 夜、パイプオルガンのコンサートが開かれた。オルガンが天使の歌声のように響き渡り、空間を満たす。ライトが内部のアーチを照らし、幻想的な世界をつくり出す。天国とはこんな場所なのかも知れないとふと思った。この日のことはいつまでも忘れることはないだろう。

23パイプオルガンのコンサートパイプオルガン


コンサートコンサート


歩いた総距離201.8km

(はがげんたろう)

コラム 僕の愛用品 ~巡礼編~ 
第3回 Tシャツ
HOGLOFS(ホグロフス) B Tee 5,775 Tempo LS Zip Tee 9,450


 巡礼においてTシャツに最も必要な機能は吸湿速乾性である。体から出る汗や蒸気を吸い上げ、外に排出し、水分が早く乾くことがなによりも大切なのである。
 このホグロフスのTシャツは肌触りの良いリサイクルポリエステルを使用しており、吸水性と速乾性に優れている。そのため、汗で濡れても歩いているうちに乾いてしまうのでとても快適だった。消臭加工も施してあり、2~3日ぐらいであれば洗濯しなくても問題はなかった。リサイクル素材を使用しているため、環境負荷も最小限である。縫製にまでこだわっており、バックパックを背負ったときに縫い目が肌に当たらないように裁断が工夫されている。そうした細部にまでのこだわりを文字通り肌で体感したのであった。
 Tシャツはとてもシンプルな服である。だからこそ、細部の違いが直接的に現れてしまう。余分なものを無くし、無駄を省くことを追求した結果として生まれるシンプルなデザインと機能は美しくさえあり、Tシャツでありながら、一つの芸術にまで昇華されているように思う。このホグロフスという北欧生まれのブランドはTシャツで「Less is More」を体現しているのである。
 実を言うと、他にもう一枚だけTシャツを持っていった。それは国産メーカーの正面に富士山の絵がプリントされているものであった。私はこの巡礼の前にトレーニングを兼ねて富士山に登っていた。無事に登頂を果たし、ご来光までしっかりと仰いできたのである。そこで、ほかの巡礼者との話の種になると考え、そのTシャツを巡礼中に着ようと思っていた。なにより、その富士山Tシャツを着ていれば、私が日本人であることを一発で伝えることが出来るからだ。しかしながら、前回のコラムで靴下を干したまま宿に忘れた話を書いたが、そのときに一緒に忘れたTシャツとは他でもないこの富士山Tシャツなのだ。私の日本からの計画は、巡礼4日目にあっけなく終了したのであった。
 巡礼を終えて思うことは、すべて無駄を削ぎ落として軽量化し、機能だけを考えた装備にすることが、唯一の正解なのだろうかということである。心の健康のためには適度のお酒が必要なように、多少の無駄や遊びも心の豊かさには必要だと思う。あの富士山Tシャツは、フランスの「野生」という名の大地に残した(忘れた)日本人の足跡である。はたして、今でもル・ソヴァージュの小屋にあるのだろうか。今も片隅に保管されていることを遠い異国の地から願っている。

24ホグロフス Tシャツホグロフス 半袖Tシャツ


25ホグロフス 長袖Tシャツホグロフス 長袖Tシャツ


■芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。