芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第5回

第5話 アルケミストとの出会い  ~モワサックからその先へ~


9/12(Wed) Moissac (0km)
9/13(Thu) Moissac ~ Auvillar (20.6km)
9/14(Fri) Auvillar ~ Lectoure (33.8km)
9/15(Sat) Lectoure ~ Comdom (26.9km)
9/16(Sun) Comdom (0km)
9/17(Mon) Comdom ~ Eauze (33.5km)
9/18(Tue) Eauze ~ Nogaro (19.2km)
9/19(Wed) Nogaro ~ Aire-sue-l’Adour (30.0km)
9/20(Thu) Aire-sue-l’Adour ~ Arzarcq-Arraziguest (32.7km)
9/21(Fri) Arzarcq-Arraziguest ~ Arthez-de-Bearn (31.0km)
9/22(Sat) Arthez-de-Bearn ~ Navarrenx (32.2km)
9/23(Sun) Navarrenx (0km)

 ブラジルワールドカップの余韻もだんだんと冷め、東京は連日暑い日々が続く。ヨーロッパにおける三大スポーツイベントといえば、オリンピック、サッカーワールドカップ、そしてツール・ド・フランスである。日本では自転車競技はメジャーなスポーツではないが、ヨーロッパでは大変な人気を誇っている。今年で101回を数えるツール・ド・フランスは毎年7月、1ヶ月かけてフランス全土を一周する。衛生放送で見たそれは、私が歩いた景色と変わらないフランスの豊かで美しい風景が映されていた。こんなにも美しい場所を歩くことができたという喜びを改めて感じた7月であった。
 
 Moissac(モワサック)の町もまた、コンクと同様に中世からサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の重要な中継地であった。今ではそれほど活気があるとは言えないこの町を世界的に有名にしているのは、ロマネスク美術の傑作中の傑作とされるサン・ピエール教会の南正面入り口のファサードの彫刻とフランスで一番美しいと言われている回廊である。

 サン・ピエール教会を訪れ、回廊に足を踏み入れる。キリスト教建築における回廊とは、修道院や教会の中庭を囲む屋根のついた廊下のことである。司祭や修道士たちは、この回廊を歩きながら瞑想したのである。そこには2本柱と1本柱が交互に立ち並ぶ116本の繊細でリズミカルな列柱と片流れの木の屋根によって生み出された見事な空間が広がっていた。朝の淡い光が入り込みなんとも幻想的である。一言でいうと繊細で女性的な回廊である。以前、訪れた南仏のル・トロネ修道院の回廊は柱が分厚く、質実で男性的であるのと対照的である。同じフランスでありながら、装飾を容認するクリュニー派と、一切の装飾を禁じて清貧を旨とするシトー派ではつくりが大きく異なる。
 細部を見ていくと、柱頭にはアカンサスやパルメット唐草をはじめとする植物、ライオンやドラゴン、グリフォンといった動物の文様が施され、またカインとアベル、ダビデとゴリアテ、ラザロの復活といった聖書の物語、聖ステファヌスの殉教などの聖人伝説が表現されている。庭には大きなもみの木が空へと伸びる。それは地上と天空を結ぶ象徴であり、永遠の命の象徴である。
 回廊をあとにして、正面入り口のファサード彫刻へ。黙示録にある「天上の礼拝」の場面が描かれている。中央に大きく描かれているのが栄光のキリスト、右手をあげて祝福を与えている。脇には4つの福音書記者を象徴する、人(マタイ)、獅子(マルコ)、牡牛(ルカ)、鷲(ヨハネ)が配され、金の冠をかぶった24人の長老たちが三層に彫り込まれている。その下の中央柱は正面に3対のライオン、側面に預言者エレミヤ、もう一方には使徒パウロの大きな彫刻がある。さらにその手前の扉の東西の壁面には、東に「キリストの降誕」、西に「罪人の運命」が三段に刻まれている。人々はこの扉をくぐるごとに、最後の審判を思い浮かべたのだろうか。

01サン・ピエール教会 回廊


02ル・トロネ修道院 回廊


03柱頭彫刻


04回廊 中庭


05正面ファサード 天上の礼拝


 午後、モワサックの町を散歩する。運河に沿ってポプラ並木が続く。爽快な景色である。とりあえず歩くことにしたが、果てしなく続く道の途中で折り返す。往復約1時間の散歩である。ロードバイクで走り抜けたら最高に気持ちがいいだろう。あいにくの曇りなのが唯一の不満である。オフのはずなのだが、結構な距離を歩いてしまった。

06運河


 翌日、30km以上の長丁場である。休息日明けとあって意気揚々と出発したのだが、思わぬ落とし穴があった。モワサックには2本の大きな運河があり、それぞれ別方向に流れている。巡礼路は運河沿いにあるのだが、なんと巡礼路とは別の方の道を歩いてしまっていた。普通なら途中でおかしいと気がつくのだろうが昨日の夜に地図を確認したとき、巡礼路は運河添いという固定観念が強く意識されていたのだろう。運河沿いの道は単調で、延々と運河とポプラ並木が続いているため、気付くのが遅れてしまったのだ。目的地とはまったく別方向にせっせと2時間以上、約10kmも歩いてしまった。さすがに2時間も歩いて町に着かないのはおかしいと思い、犬の散歩をしていたご夫人にガイドブックを見せて確認し、やっと自分の愚かな間違いに気付いたのだった。同じ道を戻るしか方法はなかった。今まで歩いてきた2時間はなんだったのだろうか。戻るために歩くことは精神的に大きな苦痛であり、足も重くなる。だが、腹をくくり懸命に歩いた結果、帰りは1時間半でモワサックに戻ってくることができた。運河沿いの道は単調だが、だからこそ平坦で歩きやすい。そのことが不幸中の幸いだったと今では思える。結果的に30km以上歩いたのだが、実際に進んだ距離はたったの20.6kmに過ぎなかった。身体的な疲労以上に精神的に疲れた一日だった。

07運河の道


 3日後、Condom(コンドン)に着いた。この町のジットは前日に宿泊したジットのマダムから教えてもらった。手入れの行き届いた庭に暖炉のある落ち着いたリビング、そして白い壁が美しいダイニング。清潔で快適なジットである。セルフの夕食を食べ、夜には自転車で巡礼路をツーリングしているというドイツ人青年と一緒にブルゴーニュのワインを飲んで就寝した。

08コンドンのジット


09コンドンのジット リビング


 翌日、日曜日の今日はオフである。ゆっくり朝食を取り、紅茶を片手に読書。ゆったりとした時間の流れる最高に贅沢な日曜日の朝である。11:00からのカテドラルのミサに出席し、その後Paulと共にカフェに向かいビールで乾杯。そこで飲んだHeineken(ハイネケン)はオランダのビールで、世界で一番売れているのだとPaulは教えてくれた。UEFAチャンピオンズリーグの公式スポンサーでもあるハイネケンはヨーロッパサッカー好きならば誰しもが知っている。昼間からビールというのもなんだか乙である。夕食前にジットのオーナーから明日の朝のベッドメーキングを頼まれ、引き受ける。なんでも、明日は朝から用事が入ってしまい、留守にするとのことだ。どんなことであれ、人の役に立てることは嬉しいことである。おまけに一日分の宿代が無料になった。

10コンドンのカテドラル


11カテドラル 回廊でのバザー


 このあたりは鴨が多い。このオーベルニュ地方はグース、フォアグラの産地として有名らしい。さすがに、巡礼者の身分でフォアグラを食べるのは贅沢すぎるのでパテを買いパンに塗って食べた。このパテを巡礼者の自分にとってのフォアグラとする。もちろん美味であった。
 この先は長丁場で30kmを越える日が5日もあり、水曜日からはそれが4日も続く一週間である。その過酷な週にも素晴らしいジットがあった。Aire-sue-l’Adourの町のジットSaint Jacquesのオーナーはサンティアゴへ巡礼をしたことのあるご夫婦で、そのときに宿で親切にされた経験が心に残り、巡礼後、巡礼者のために奉仕がしたいと思い、このジットを始めたと話してくれた。壁には巡礼路の地図が飾られ、杖などの巡礼アイテムが置かれている。ホスピタリティの精神に溢れ、巡礼者への奉仕の心と優しさを受けた。この先の道と宿についてアドバイスをもらい出発する。どんなガイドブックもネットもかなわない有益で確実な情報である。

12ジット サン・ジャック


13巡礼アイテム


 30kmオーバーが続いた一週間も今日で終わる。連日の長い巡礼は体力を奪った。炎天下の中、ワイン畑で2時間近くさまよったりもした。発熱したときには、ジットのオーナーにタジン鍋を振る舞ってもらい、長時間の睡眠とビタミン剤によってなんとか回復させ、なんとかここまで歩いてきた。このハードな一週間の最後に着いた町がNavarrenxである。そして、私はこの町で一人のアルケミストと出会うことになる。

 アルケミストとは日本語で「錬金術師」を意味する。錬金術とは文字通り金を造り出そうとする試みのことである。大人気小説「ハリーポッター」シリーズの一作目のタイトルにもなった「賢者の石」もこの錬金術と深く関わっている。これは、中世ヨーロッパで発展を遂げた錬金術のなかで、鉛などの卑金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができるという、いつしか語り継がれはじめた伝説の物質である。
 錬金術師はこの賢者の石の製造法を見つけ出し、それを作りだすことを至上の命題としていた。 もちろん、そのような物質は実際には生み出されはしなかった。しかし、この錬金術師たちの研究は、硫酸・硝酸・塩酸などの化学薬品の発見につながり、その成果は現在の化学の基礎になっている。とはいえ、科学が発展した現代において錬金術師を名乗る人間などほとんどいないだろう。

 その一方、この巡礼の旅に出る前に読んだ同じ名前の小説も思い出される。
小説「アルケミスト 夢を旅した少年」はブラジルの小説家であるパウロ・コエーリョの代表作。羊飼いの少年サンチャゴは、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出る。少年は、錬金術師の導きとさまざまな出会いと別れのなかで人生の知恵を学んでいくという世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語である。
 私は巡礼の旅に出る前にこの「アルケミスト」を読み、大変感銘を受けていた。錬金術師が出てくるのは、あくまでも小説の中である。しかし、巡礼とはなんとも不思議である。私はアルケミストと出会ったのである。

 別にアルケミストを探していたわけではない。私が探していたのは、ジットSaint Jacquesのオーナー夫妻が、 Navarrenxに泊まるならここにしなさいと教えてくれたジットの住所である。町に着くなり村人にこの場所を聞いてまわった。町のメイン通りから離れたところにあり、外見はいたって普通のアパートメントなので、初見ではほとんど気付くことはないだろう。ただ、正面の立て札にL’ archimisteと書かれ、巡礼の象徴の杖と靴が置かれていた。扉を空け、一歩足を踏み入れたエントランスにはクリスタルの原石と巡礼者を映したモノクロの写真が飾られていた。
 錬金術師は自分のことをJeanと名乗った。ひげを蓄えたいかにも世俗離れした仙人のような人物というわけではなく、落ち着いた優しい目をした男だった。彼の口数は決して多くはなく、よく来たね、ゆっくりしていきなさいと言葉をかけ、宿についての説明は青年に任せて庭に戻っていった。この錬金術師の家に住み着いている青年は私をベッドルームに案内しながら、宿について一通りの説明をした。ベッドの脇にバックパックを置き、とりあえずシャワーに向かった。
 洗濯物を乾かしに中庭に行くと、錬金術師は椅子に座り本を読んでいた。どんな本を読んでいるのかはわからないが錬金術師が読んでいる本というだけでなんだか難しい内容の書物のように思えてしまう。ベンチに座っていた青年はハンモックを指差して、シエスタしておいでと私に言った。ゆらゆらと私の体を揺らすハンモックはふかふかのベッドに横になるときや、やわらかいクッションのソファに座るのとも異なり、ふわふわと宙に浮いているようだった。木の間から柔らかい光が注ぎ、なんとも贅沢な時間だった。
 シエスタも終わり、リビングでくつろぐ。流木に薄いガラスをはめ込み、後ろに仕込んだ豆電球の光によって太陽や月を表現する作品には不思議なエネルギーがあり、感性を刺激する。そこにはまさに錬金術師の世界が広がっていた。
 夕食はオーナー自身の手料理でたっぷりの野菜サラダと牛肉の煮込み料理、パンとチーズにワインであった。他の巡礼者たちともテーブルを囲み、食事を共にする。青年の奏でるギターが響き、みんなが楽しく饒舌に語らい宴が続く中、錬金術師はどこか遠くを見つめていた。幸せな夜の時間が流れていった。 

14アルケミスト Jean


15Jeanと青年


 翌日は日曜日、ミサのあとアルケミストの家に戻り、青年に案内され屋根裏のアトリエを見せてもらう。そこにはJeanの世界が広がっていた。数々の作品がこの場所にパワーを与えている。それが空間の質を劇的に変え、素晴らしいインスピレーションを与えるのだろう。ここは宇宙だ。そして彼はその世界の創造者なのだ。そう思った。
 現代において錬金術師を名乗る人間などほとんどいないだろう。実際、Jeanは金を錬成しているわけではないし、まして科学者ではない。しかし、彼は錬金術師である。本来、「アルケミスト」たちは単にお金を得るために金を生成しようとしたのではなかった。万物の基本原理を理解し、それによって不完全な物質から完全な物質を造り出し、不完全な人間を完全な人間にしようとしたのである。彼にとっての錬金術とは芸術をつくり出すことである。そして、彼の作品で埋め尽くされた空間は多くの巡礼者の魂を震わせる。創造とは尊い行為である。アルケミストとは何もないところに価値のあるものをつくりだす人間のことであるとするならば、彼は紛れもない現代のアルケミストである。
 出発の朝、Jeanに宿代を払おうとすると、彼は首を振り、言った。「宿泊代はいらない。私が巡礼者に対して善意でやっていることなのだから。もし、感謝の気持ちというなら、あの机の上にある箱の中にいくらかの寄付をしてくれればいい」と。
いつか必ずここへ帰ってこよう。ここで過ごしたアルケミストとの時間は一生忘れることはないだろう。

16アルケミストのアトリエ


17アルケミストのリビング


18デスクライト


L'Alchimiste sur le chemin de Compostelle
http://www.alchimistesurlechemin.com/host-on-the-way-of-saint-james

歩いた総距離674.5km

(はがげんたろう)

コラム 僕の愛用品
UNIQLO ユニクロ AIRism エアリズム ¥990


 梅雨が明け、夏の日差しが強く照りつける日々が続く。うだるような暑さの中、高校球児たちは熱戦を繰り広げている。私自身も高校時代は野球部に所属し、数年前までは彼らと同じことをしていたのかと思うとなんだか不思議な気分になる。今はエアコンの効いたリビングで試合を眺めるだけの自分がなんだか情けなくなってくる。
 ユニクロは日本を代表するアパレルブランドであり日本で知らない人はおそらくいないだろう。このユニクロの夏の定番商品といえるのがエアリズムである。「肌着の概念を変える究極の心地よさ」をテーマに毎年、品質を改良し高性能の下着を生み出している。メンズ用のエアリズムには東レとの共同開発によって生まれた繊維を使用し、確かな品質を保証している。極小繊維によりなめらかな肌触りと汗をかいてもすぐに乾く速乾性、そして価格の安さ。日常的に身につけるものにおいてコストパフォーマンスは大事な要素である。
 巡礼に際して、ジャケットなどのアウトドア用のウェアを着ることは当然である。しかし、下着を考慮せずに、日常生活で身につけているコットンの下着のままでは準備が出来ているとはいえない。むしろ、一番肌に接するウェアであるからこそ、速乾性のある、快適なものにしなければならない。私の巡礼中は3着のエアリズムの下着をローテーションした。速乾性があるので、夏のフランスの天気ではその日のうちに洗濯し、外に干せば2~3時間で乾いてしまう。そのため、洗濯の煩わしさをあまり感じることもなかった。
 ユニクロの製品は安くて高品質。消費者にとってはこれほど素晴らしいことはない。しかし、こればかりを追い求めるとどこかで破綻が起きる。高品質の服を低価格で享受できていることについては感謝しつつも、なぜこのクオリティの製品がこれほどまでに低価格で買えるのかということについて意識することも時には必要である。答えは必ずしも一つではないだろうが、商品を買う私たち消費者のリテラシーが求められていると私は思う。

19エアリズム


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。

◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。