難波田龍起「絵画への道(3)」
(1978年執筆)

 「中野風景」を初めとして、国画会に出品した作品は風景が多かった。そして絵画で充たされない内部のものが疼いて詩になった。詩の方もやはり高村光太郎に紹介された宮崎丈二の「河」に発表して同人になった。
 前号にフォルム展結成のことはふれたが、昭和十年前後には上野の山を離れた、前衛的な街頭展の進出が目立った。ところで、芸術運動をもっと活発化するには、新人の大同団結が必要だった。そこで新しい時代精神による団体づくりを意図したのが、自由美術家協会の創立であった。
かくて上野の山に復帰したのだが、既成団体展が占めていた都美術館ではなく、日本美術協会で、昭和十二年七月に第一回展がもたれた。翌々年の美術文化協会の旗上げも同協会であったと思う。その古風な教会の建物の内部には鉄骨があらわで、床はかたい石畳だった。戦後その建物はこわされて、今では上野の森美術館に変貌している。当時自由美術の創立会員は、長谷川三郎、村井正誠山口薫、矢橋六郎、瑛九、荒井龍男等であった。それにフォルム展や黒色展の一部の作家が加わった。
自由美術の創立は、私達に新しい現代美術の創造を夢見させた。だが第一回展の私自身の作品は、新しさを意識しすぎて無理があった。そこで第二回展には熱を入れて制作した「アクロポリスの空」を出品した。それには、フォルム展のころ連作として制作していた、ギリシャ彫刻をモチーフにした内面的絵画の志向が結実したような気がした。「古代的幻想には殆んど信仰に近いものがあるらしい」という瀧口修造の批評が「アトリエ」に掲載されたが、そうした幻想はあとまで続いている。その年、会員に推挙された。私は会の事務的な仕事にも積極的であった。またその相棒は画期的な抽象形体を作っていた彫刻家の植木茂であった。彼も同じ年、会員に推挙された。私に事務的才能が特にあったのではないが、新しい美術運動に力をいれていたから、面倒な会の事務も苦にならなかった。
 新聞などの展評はおおむね「非常に近代的生活感情に触れる親しみ」があると好評だったが、実験的な制作は、一般の鑑賞には難解であったらしく、入場者は少なかった。しかし抽象美術の公募展は自由美術が最初であったから、若い作家達の注目を浴びたのはいうまでもない。今日でも戦前の自由美術の印象を鮮明に持ち続けている人も少なくない。だが、会員達の制作が熟してきて、これからというところで、外部の力により挫折させられたのは遺憾だった。昭和十九年には悉く団体展開催は禁止された。また「自由」という名を冠したものが弾圧の対象となるので、皇記二千六百年の記念展が開かれた昭和十五年には「美術創作」と改名した。そして「日本民族の営の美しさ」というテーマを掲げて公募するという自体も起った。新制作協会では、「大東亜建設に捧ぐ」という企画で企画展を催した。それは漫然と作品を陳列するのでは、決戦下の展覧会の意味に欠けるという思潮が美術界に流れていたためだと思う。従って体制に合った戦争画の制作が盛んになったのも止むを得なかったのだろう。私は昭和十七年、十八年に銀座・青樹社画廊で個展を開いた。
(つづく)

『版画センターニュース』(No.39)1978年6月1日号より
現代版画センター刊


nambata_26_hushigi難波田龍起
「不思議な国の物語」
1978年 ドライポイント
18.3×30.1cm Ed.20
サインあり
※レゾネNo.110

42
難波田龍起
夜 B
1965年 蝋画
53.8x38.1cm
Signed

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会期=2014年9月24日[水]―9月29日[月]
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