<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第21回

(画像をクリックすると拡大します)
信号の横の表示を見れば、ここがどこであるか一目瞭然だ。
銀座四丁目の交差点。休日らしく人出が多い
晴海通りの信号が変わったとき、そこを渡りはじめた人をとらえたものだ。
歩行者の動きはいっときも止まらず、このように撮りたいと願っても思い通りにはいかないものだ。シャッターチャンスがあるんだか、ないんだか。昨今はデジカメに動画機能が入っているから、動画で撮ってあとから選んだほうがいいと思う人もいるかもしれない。
けれども、動画から選ぶのと、静止画で撮るのとでは撮り手の意識に明らかなちがいがある。静止画で撮るとき、視線はときの狭間を見いだそうとテンションをあげる。シャッターを押すための、ほかならぬこのときを求めて集中する。
その「このとき」はふつうは構図によって決まる。世間に出回っているプロの仕事はだいたいそうで、構図のよさに写真家の腕が出ている。
しかし、この写真はそうではない。フレームの隅々にまで配慮して被写体を収めるのとは異なる意志が働いている。構図を決めようとするるなら、これほど周囲は欠けないだろう。そうした考えに抵抗してこうなっているのだ。
写真家の気持ちは、構図よりは人と空間の生み出すリズムやエネルギーにむかっている。いわばビリヤード台の球を追うような感覚で人通りを撮っているのだ。
ビリヤードの名手が球をひと突きすると、別の球に当たり、それがほかの球を押して、狙ったひとつがすぽっとポケットに入る。
手前にいる水玉模様のワンピースの女性が最初のひと突きだ。アイフォンを握った左手と、くの字に曲がった右手と、欠けている脚に注目。そのために、ノースリーブの袖から出ている上腕とピンとはった背中が印象づく。
彼女は画面左手に向かって歩いている。そちらに行く人は手前側にはほかにいなくて、すぐ後の人は反対方向にむかっている。眼球はそのなかのショートカットの若い女性に当たる。正面をむいた顔のラインとすっきり通った鼻筋。左足のつま先が地面から持ち上がっている、と書いてよく見たらすね毛が生えている! どうやら男性らしい。
男性に当たった眼球は、つぎに彼の少し先を歩いている少年にぶつかる。腕を曲げてやや前のめりになって進んでいる。少年がサングラスをかけていることから、さっきの水玉模様の女性へと球はもどり、彼女が連れているポニーテールの少女へと当たる。この子もまたサングラスをかけているのだ。
球はそこからどこにいくのか。左手奥にいる首にタオルを巻いたメガネの男へと飛んでいく。彼はこちらに顔をむけているただひとりの人物だ、と思ったらもうひとり左の端に野球帽をかぶった少年がわずかに写っている。彼の顔もこちらを向いているが、口から上が帽子のつばの陰に隠れ、目はどこを見ているかわからない。
このように、挙げただけでも六個の球がある。それらがぶつかり合い、エネルギーが弾け、流動するさまを、フレームで捕獲するのではなく撮影者自身がフレームと化して踏み込んでいく。
写真を見ていると、撮られた前後の時間に気持ちがいき、いつしか自分もその流れのなかに立っている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
荒木経惟
「銀座 2014」
2014年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ: 64.6x97.0cm
シートサイズ: 72.8x103.0cm
■荒木経惟 Nobuyoshi ARAKI(1940-)
1940年東京都生まれ。写真家。
1959年千葉大学写真印刷工学科に入学。1963年カメラマンとして電通に入社(72年退社)。1964年写真集「さっちん」にて第1回太陽賞受賞。1968年同じく電通に勤務していた青木陽子と出会い、1971年結婚。1981年有限会社アラーキー設立。1988年AaR Room設立。1990年妻・陽子が他界。翌年写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』を新潮社より出版。
「アラーキー」の愛称とともに多彩な活躍を続け、多数の著作を刊行。海外での評価も高く、90年代以降世界で最も注目を集めるアーティストの一人となる。
主な受賞歴:1994年日本文化デザイン大賞、1999年織部賞、2008年オーストリア科学・芸術勲章を受章、2011年第6回安吾賞、2013年「荒木経惟写真集展 アラーキー」で毎日芸術賞特別賞
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●展覧会のお知らせ
資生堂ギャラリーで「荒木経惟 往生写集-東ノ空・PARADISE」が開催されます。上掲の作品も出品されます。
会期:2014年10月22日[水]~12月25日[木]
会場:資生堂ギャラリー
時間:平日11:00~19:00、日・祝日11:00~18:00
月曜休廊
アラーキーの愛称で知られる荒木経惟は、60年代から幅広い被写体にカメラを向け、常にセンセーショナルな話題を振りまき、社会の注目を集め続けてきた写真家です。1964年に下町の子ども達を撮った写真集『さっちん』で、第1回太陽賞を受賞。1971年の愛妻・陽子との新婚旅行を記録した『センチメンタルな旅』では、自らの日常を日記のように記録した「私写真」という独自の世界を切り開きました。以降、今日に至るまで膨大な数の作品を発表しています。
展覧会タイトルの「往生写集」は、平安時代の僧侶・源信が著した仏教書『往生要集』(985年)から想を得た荒木の造語です。源信は多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する要文を集め、死後に極楽往生するためには一心に仏を想い、念仏を唱えることが大切と説きました。のちにその教えは、我が国の浄土思想の基礎となったと言われています。
今回の「往生写集」展は、豊田市美術館(4/22-6/29)、新潟市美術館(8/9-10/5)、そして資生堂ギャラリーの3館合同で開催する企画展で、それぞれに異なるサブタイトルと出品作で構成されています。2009年の前立腺癌の発症と摘出手術、その後の愛猫チロの死や東日本大震災の経験などが荒木に自らの「死=往生」を意識させ、それを機にこの合同企画展が実現しました。
最終開催地の資生堂ギャラリーでは、「死=往生」から「再生」に向かっていく、荒木の現在の心境を捉えた作品を中心に展示する予定です。「東ノ空」は、東日本大震災後、亡くなった方への鎮魂を願うと同時に、被災地の復活を祈りながら、彼が毎朝自宅の屋上から撮り続けている最新作です。これから新しい時を刻む東ノ空は、静かに生命の力が湧いてくる、まさに再生・復活のシンボルといえるでしょう。一方の「PARADISE」は、一見暗闇の中に色鮮やかな花が咲き誇っているかのようですが、実は、朽ちかけた花と人形を写した生と死の物語です。「花は死の一歩手前が最も官能的」と語る荒木が、移ろいゆく花の姿を人の生命にたとえ、はかなさゆえの愛しさや、かけがえのなさを捉えた作品です。また、本展のためにこの夏撮り下ろした「銀座」もご覧いただけます。
「死」を意識し往生の準備を始めた荒木が、人生を振り返りながら豊田、新潟と旅を続け、資生堂ギャラリーから「再生」という新たな旅に出かけようとしています。荒木の旅立ちにご期待ください。(同展HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・去る8月20日亡くなられた宮脇愛子先生のエッセイ「私が出逢った作家たち」はコチラです
・去る5月17日死去した木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り(再録)」は毎月17日の更新です。
●今日のお勧め作品はオノサト・トシノブの「べた丸」の絶頂期1958年の水彩作品です。

オノサト・トシノブ
《二つの丸》
1958年
水彩
28.2x37.8cm
サインあり

オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
《四つの丸》
1958年
水彩
14.0x18.8cm
サインあり

オノサト・トシノブ VS ピエト・モンドリアン
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2014年9月24日(水)~10月4日(土)「モンドリアン版画展」を開催しています(日・月休廊)。
モンドリアン死後の1957年、パリのギャラリー・ドゥニズ・ルネからシルクスクリーン版画集『mondrian』が発行されました。
本展では、幾何学抽象に移行する前の「青い木」、フォルムの生成過程そのものを抽象画のテーマに取り入れようと試みていた頃のコンポジション、モンドリアン・スタイルと称される三原色と水平・垂直によるコンポジション、そしてそれまでの基本要素である黒い線が消えた晩年の作品「ブロードウェイブギウギ」など、版画集に収められたシルクスクリーン全12点をご覧いただきます。

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信号の横の表示を見れば、ここがどこであるか一目瞭然だ。
銀座四丁目の交差点。休日らしく人出が多い
晴海通りの信号が変わったとき、そこを渡りはじめた人をとらえたものだ。
歩行者の動きはいっときも止まらず、このように撮りたいと願っても思い通りにはいかないものだ。シャッターチャンスがあるんだか、ないんだか。昨今はデジカメに動画機能が入っているから、動画で撮ってあとから選んだほうがいいと思う人もいるかもしれない。
けれども、動画から選ぶのと、静止画で撮るのとでは撮り手の意識に明らかなちがいがある。静止画で撮るとき、視線はときの狭間を見いだそうとテンションをあげる。シャッターを押すための、ほかならぬこのときを求めて集中する。
その「このとき」はふつうは構図によって決まる。世間に出回っているプロの仕事はだいたいそうで、構図のよさに写真家の腕が出ている。
しかし、この写真はそうではない。フレームの隅々にまで配慮して被写体を収めるのとは異なる意志が働いている。構図を決めようとするるなら、これほど周囲は欠けないだろう。そうした考えに抵抗してこうなっているのだ。
写真家の気持ちは、構図よりは人と空間の生み出すリズムやエネルギーにむかっている。いわばビリヤード台の球を追うような感覚で人通りを撮っているのだ。
ビリヤードの名手が球をひと突きすると、別の球に当たり、それがほかの球を押して、狙ったひとつがすぽっとポケットに入る。
手前にいる水玉模様のワンピースの女性が最初のひと突きだ。アイフォンを握った左手と、くの字に曲がった右手と、欠けている脚に注目。そのために、ノースリーブの袖から出ている上腕とピンとはった背中が印象づく。
彼女は画面左手に向かって歩いている。そちらに行く人は手前側にはほかにいなくて、すぐ後の人は反対方向にむかっている。眼球はそのなかのショートカットの若い女性に当たる。正面をむいた顔のラインとすっきり通った鼻筋。左足のつま先が地面から持ち上がっている、と書いてよく見たらすね毛が生えている! どうやら男性らしい。
男性に当たった眼球は、つぎに彼の少し先を歩いている少年にぶつかる。腕を曲げてやや前のめりになって進んでいる。少年がサングラスをかけていることから、さっきの水玉模様の女性へと球はもどり、彼女が連れているポニーテールの少女へと当たる。この子もまたサングラスをかけているのだ。
球はそこからどこにいくのか。左手奥にいる首にタオルを巻いたメガネの男へと飛んでいく。彼はこちらに顔をむけているただひとりの人物だ、と思ったらもうひとり左の端に野球帽をかぶった少年がわずかに写っている。彼の顔もこちらを向いているが、口から上が帽子のつばの陰に隠れ、目はどこを見ているかわからない。
このように、挙げただけでも六個の球がある。それらがぶつかり合い、エネルギーが弾け、流動するさまを、フレームで捕獲するのではなく撮影者自身がフレームと化して踏み込んでいく。
写真を見ていると、撮られた前後の時間に気持ちがいき、いつしか自分もその流れのなかに立っている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
荒木経惟
「銀座 2014」
2014年
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ: 64.6x97.0cm
シートサイズ: 72.8x103.0cm
■荒木経惟 Nobuyoshi ARAKI(1940-)
1940年東京都生まれ。写真家。
1959年千葉大学写真印刷工学科に入学。1963年カメラマンとして電通に入社(72年退社)。1964年写真集「さっちん」にて第1回太陽賞受賞。1968年同じく電通に勤務していた青木陽子と出会い、1971年結婚。1981年有限会社アラーキー設立。1988年AaR Room設立。1990年妻・陽子が他界。翌年写真集『センチメンタルな旅・冬の旅』を新潮社より出版。
「アラーキー」の愛称とともに多彩な活躍を続け、多数の著作を刊行。海外での評価も高く、90年代以降世界で最も注目を集めるアーティストの一人となる。
主な受賞歴:1994年日本文化デザイン大賞、1999年織部賞、2008年オーストリア科学・芸術勲章を受章、2011年第6回安吾賞、2013年「荒木経惟写真集展 アラーキー」で毎日芸術賞特別賞
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●展覧会のお知らせ
資生堂ギャラリーで「荒木経惟 往生写集-東ノ空・PARADISE」が開催されます。上掲の作品も出品されます。
会期:2014年10月22日[水]~12月25日[木]
会場:資生堂ギャラリー
時間:平日11:00~19:00、日・祝日11:00~18:00
月曜休廊
アラーキーの愛称で知られる荒木経惟は、60年代から幅広い被写体にカメラを向け、常にセンセーショナルな話題を振りまき、社会の注目を集め続けてきた写真家です。1964年に下町の子ども達を撮った写真集『さっちん』で、第1回太陽賞を受賞。1971年の愛妻・陽子との新婚旅行を記録した『センチメンタルな旅』では、自らの日常を日記のように記録した「私写真」という独自の世界を切り開きました。以降、今日に至るまで膨大な数の作品を発表しています。
展覧会タイトルの「往生写集」は、平安時代の僧侶・源信が著した仏教書『往生要集』(985年)から想を得た荒木の造語です。源信は多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する要文を集め、死後に極楽往生するためには一心に仏を想い、念仏を唱えることが大切と説きました。のちにその教えは、我が国の浄土思想の基礎となったと言われています。
今回の「往生写集」展は、豊田市美術館(4/22-6/29)、新潟市美術館(8/9-10/5)、そして資生堂ギャラリーの3館合同で開催する企画展で、それぞれに異なるサブタイトルと出品作で構成されています。2009年の前立腺癌の発症と摘出手術、その後の愛猫チロの死や東日本大震災の経験などが荒木に自らの「死=往生」を意識させ、それを機にこの合同企画展が実現しました。
最終開催地の資生堂ギャラリーでは、「死=往生」から「再生」に向かっていく、荒木の現在の心境を捉えた作品を中心に展示する予定です。「東ノ空」は、東日本大震災後、亡くなった方への鎮魂を願うと同時に、被災地の復活を祈りながら、彼が毎朝自宅の屋上から撮り続けている最新作です。これから新しい時を刻む東ノ空は、静かに生命の力が湧いてくる、まさに再生・復活のシンボルといえるでしょう。一方の「PARADISE」は、一見暗闇の中に色鮮やかな花が咲き誇っているかのようですが、実は、朽ちかけた花と人形を写した生と死の物語です。「花は死の一歩手前が最も官能的」と語る荒木が、移ろいゆく花の姿を人の生命にたとえ、はかなさゆえの愛しさや、かけがえのなさを捉えた作品です。また、本展のためにこの夏撮り下ろした「銀座」もご覧いただけます。
「死」を意識し往生の準備を始めた荒木が、人生を振り返りながら豊田、新潟と旅を続け、資生堂ギャラリーから「再生」という新たな旅に出かけようとしています。荒木の旅立ちにご期待ください。(同展HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
・去る8月20日亡くなられた宮脇愛子先生のエッセイ「私が出逢った作家たち」はコチラです
・去る5月17日死去した木村利三郎のエッセイ、70年代NYのアートシーンを活写した「ニューヨーク便り(再録)」は毎月17日の更新です。
●今日のお勧め作品はオノサト・トシノブの「べた丸」の絶頂期1958年の水彩作品です。

オノサト・トシノブ
《二つの丸》
1958年
水彩
28.2x37.8cm
サインあり

オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
《四つの丸》
1958年
水彩
14.0x18.8cm
サインあり

オノサト・トシノブ VS ピエト・モンドリアン
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2014年9月24日(水)~10月4日(土)「モンドリアン版画展」を開催しています(日・月休廊)。
モンドリアン死後の1957年、パリのギャラリー・ドゥニズ・ルネからシルクスクリーン版画集『mondrian』が発行されました。本展では、幾何学抽象に移行する前の「青い木」、フォルムの生成過程そのものを抽象画のテーマに取り入れようと試みていた頃のコンポジション、モンドリアン・スタイルと称される三原色と水平・垂直によるコンポジション、そしてそれまでの基本要素である黒い線が消えた晩年の作品「ブロードウェイブギウギ」など、版画集に収められたシルクスクリーン全12点をご覧いただきます。
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