8月24日に横須賀で開催された『第一回ジョナス・メカスfilm上映会」については8月6日と9月10日のブログでご紹介しました。
メカスさんの曾孫の世代の若い人たちが手弁当でfilm上映会を企画する。
ときの忘れものでも年に一度ほど上映会を開催していますが、いつも見知らぬ若者たちで一杯になる。中にはメカスさんをニューヨークまで訪ねていって会って来る人もいる。
卒業制作で「メカス上映会」を企画している女子大生もいる。
筋もない、ただ淡々と自分の身の回りのを写し続けるメカスさんの映画がなぜこれほど人々の心をうつのでしょうか。
大阪の国立国際美術館の島敦彦先生からもメカス上映会の案内をいただきました。
<10月18-19日の両日、メカスの上映会(「リトアニアへの旅の追想」と「営倉(The Brig)」の2作品)を国際美の講堂で行います。ちらしをお送りしましたので、関心のある方に配布いただければ幸いです。期間中の展覧会はフォートリエ展です。常設には、中西夏之の絵画を少しまとめて(韻から最新作まで7点の所蔵品)展示します。機会がありましたら是非いらしてください。>


ナチスドイツ続いてソ連の圧迫から逃れ、アメリカに亡命したジョナス・メカスさんは映像による表現に革命的変化をもたらし、フルクサスなど20世紀後半の美術運動に参加し、激動の時代を生き抜いてきました。
昨年12月24日には91歳の誕生日を迎えられました。会ってきた若い人たちによれば、ますますお元気な様子、何よりですね。
20世紀の映像文化に多大な影響を与えたメカス映画の代表作2本、関西方面の皆さん、ぜひお出かけください。
●今日のお勧め作品はメカスさんが映画人にささげたオマージュ連作より、「Pier Paolo Pasolini, Rome, 1967」です。

ジョナス・メカス
「Pier Paolo Pasolini, Rome, 1967」
1967 (Printed in 2013)
Archival inkjet prints
Image size: 34.0×22.4cm
Sheet size: 39.8×29.1cm
Ed.7 Signed
ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini(1922~1975)はイタリアの映画監督、小説家、詩人。
ユーロコミュニズムの代表的存在として積極的な政治活動も行った。作品は一般に難解とされ、特に初期の作品は複雑な台詞と暗示や比喩に満ちている。
1961年に「乞食」で監督デビュー。「アポロンの地獄」、「テオレマ」、「豚小屋」、「アラビアン・ナイト」など強烈な描写を含む問題作を連発した。「ピエル・パオロ・パゾリーニ/ソドムの市」を撮った直後、その作品にエキストラで出演していた17歳の少年に撲殺されたが真相は不明。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
■ジョナス・メカス Jonas MEKAS(1922-)

2005年10月ときの忘れものにて、版画掌誌第5号挿入の写真作品にサインを入れるジョナス・メカスさん
1922年リトアニア生まれ。ソ連次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領。強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走、難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命。16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネツィア映画祭で最優秀賞受賞。83年初来日。89年NYにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立。2005年ときの忘れものの個展のために4度目の来日。『リトアニアへの旅の追憶』『ウォルデン』の作者は映像を志す人にとって神様のような人ですが、前衛映画の蒐集保存のための美術館建設計画を進めていた頃のメカスさんは「フィルムは山ほどあるがお金がない」状態で、少しでも応援しようと83年に日本にお招きし7点の版画をつくって貰いました。それがメカスさん独自の写真作品制作のきっかけです。
メカスさんの写真と版画はときの忘れものでいつでもご覧になれます。
メカスさんの曾孫の世代の若い人たちが手弁当でfilm上映会を企画する。
ときの忘れものでも年に一度ほど上映会を開催していますが、いつも見知らぬ若者たちで一杯になる。中にはメカスさんをニューヨークまで訪ねていって会って来る人もいる。
卒業制作で「メカス上映会」を企画している女子大生もいる。
筋もない、ただ淡々と自分の身の回りのを写し続けるメカスさんの映画がなぜこれほど人々の心をうつのでしょうか。
大阪の国立国際美術館の島敦彦先生からもメカス上映会の案内をいただきました。
<10月18-19日の両日、メカスの上映会(「リトアニアへの旅の追想」と「営倉(The Brig)」の2作品)を国際美の講堂で行います。ちらしをお送りしましたので、関心のある方に配布いただければ幸いです。期間中の展覧会はフォートリエ展です。常設には、中西夏之の絵画を少しまとめて(韻から最新作まで7点の所蔵品)展示します。機会がありましたら是非いらしてください。>


ナチスドイツ続いてソ連の圧迫から逃れ、アメリカに亡命したジョナス・メカスさんは映像による表現に革命的変化をもたらし、フルクサスなど20世紀後半の美術運動に参加し、激動の時代を生き抜いてきました。
昨年12月24日には91歳の誕生日を迎えられました。会ってきた若い人たちによれば、ますますお元気な様子、何よりですね。
20世紀の映像文化に多大な影響を与えたメカス映画の代表作2本、関西方面の皆さん、ぜひお出かけください。
●今日のお勧め作品はメカスさんが映画人にささげたオマージュ連作より、「Pier Paolo Pasolini, Rome, 1967」です。

ジョナス・メカス
「Pier Paolo Pasolini, Rome, 1967」
1967 (Printed in 2013)
Archival inkjet prints
Image size: 34.0×22.4cm
Sheet size: 39.8×29.1cm
Ed.7 Signed
ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini(1922~1975)はイタリアの映画監督、小説家、詩人。
ユーロコミュニズムの代表的存在として積極的な政治活動も行った。作品は一般に難解とされ、特に初期の作品は複雑な台詞と暗示や比喩に満ちている。
1961年に「乞食」で監督デビュー。「アポロンの地獄」、「テオレマ」、「豚小屋」、「アラビアン・ナイト」など強烈な描写を含む問題作を連発した。「ピエル・パオロ・パゾリーニ/ソドムの市」を撮った直後、その作品にエキストラで出演していた17歳の少年に撲殺されたが真相は不明。
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■ジョナス・メカス Jonas MEKAS(1922-)

2005年10月ときの忘れものにて、版画掌誌第5号挿入の写真作品にサインを入れるジョナス・メカスさん
1922年リトアニア生まれ。ソ連次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領。強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走、難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命。16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネツィア映画祭で最優秀賞受賞。83年初来日。89年NYにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立。2005年ときの忘れものの個展のために4度目の来日。『リトアニアへの旅の追憶』『ウォルデン』の作者は映像を志す人にとって神様のような人ですが、前衛映画の蒐集保存のための美術館建設計画を進めていた頃のメカスさんは「フィルムは山ほどあるがお金がない」状態で、少しでも応援しようと83年に日本にお招きし7点の版画をつくって貰いました。それがメカスさん独自の写真作品制作のきっかけです。
メカスさんの写真と版画はときの忘れものでいつでもご覧になれます。
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