石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」 第8回
マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都
8-1 MAN RAY IST
コレクションが増えてくると、マン・レイの意図や制作の時代背景、作品個々の関係性について考えるようになった。直感に頼り、視覚的興味だけで求めるのではなく、理想の展覧会を想定して、ジクソーパズルのピースを埋めるような購入態度を自らに課した(資金の問題かもしれないけど)。そして、収集の楽しみを多くの人に知ってもらいたくなってリストを作った。集めた物を客観的に見たいと云うわたしの側の理由もあったと思う。オリベッティのタイプライターを使ってオリジナル15点と書籍28点、A4サイズで4枚、表紙を「アンナ」のデッサンで飾りタイトルをマン・レイ主義者の意図から「MAN RAY IST」とし、インレタで記した。これをギャラリー16の井上道子さんにお見せし画廊に置いてもらったところ、ある女性がなにげなく「マン・レイになってしまった人ですね」と声を掛けてくれたので、我が意を得たりと嬉しくなった。
ロシア系の移民の子が実際的な理由から1911年頃に改名し、みずから「マン・レイ」と名乗ったのだから、彼は元祖「マン・レイになってしまった人」になる訳で、それに続くファンの一人であるわたしも「マン・レイ」になるのが可能かと期待の持てる会話となった。
コレクションリスト(原稿)
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8-2 芸術家マン・レイへの愛情物語
一人の時間を充分に持っていた独身時代、桂のアパートでマン・レイ作品から受けた諸々の事柄をノートに書き留めていた。この連載ですでに触れた『時間光』や『マン・レイと彼の女友達』といったオマージュと違った、きちんとした研究書を上梓したいと思うようになった。所帯を持って生活の仕方も変わったし、区切りになるだろうと考え、書物の体裁としては、東野芳明氏の『アメリカ『虚像培養国誌』』(美術出版社、1968年刊)のように写真を入れる形を想定した。新妻も表紙の写真に協力してくれたし、マン・レイの未亡人ジュリエットもメッセージを寄せてくださった。タイトルを「マン・レイになってしまった人」とし、刊行日は1回目の結婚記念日である1983年6月6日、銀紙書房と名乗ったとはいえ限定1000部の自費出版本(限定番号を入れた)。本文9ポタテ組みの188頁、本作りと販売の苦労については、改めて報告したいと思っているが、真美印刷の中村宅谷さんにはお世話になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。また、同時期に全国を巡回した毎日新聞社主催の『マン・レイ展』効果で、沢山の方にお求めいただき、数年の内に完売となったのは有り難い事だった(在庫の山が部屋にあるのは心臓に悪いからね)。
古書店で見付かると思うが、念のため目次を転記しておきたい ──「マン・レイのカレイド・スコープ」「写真は芸術にあらず」「マン・レイの瞳は性器である」「日本におけるマン・レイ理解」「マン・レイと彼の女友達」「ジュリエット・マン・レイとの二日間」「コレクションリスト」── 赤ベタ白ヌキの腰巻きには「芸術家マン・レイへの愛情物語」「銀紙書房・限定版 定価1400円」と表記。改めて読み返すと、勘違いも含め客観性に欠ける部分が多いけれど、処女作故の情熱もあるかと、自己弁護したい気分になってしまった。
『マン・レイになってしまった人』
銀紙書房刊
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8-3 Rギャラリー
ギャラリー16へ通う内に、同世代の現代作家で画廊の仕事を手伝う綿谷恭治郎さんと仲良くなった。お酒が好きだし話しも面白く、一緒に写真のグループ展をしたし結婚式の司会もしてくれた。彼は奈良の旧家の出身で、しばらくして独立し三条通りの高瀬川西詰めのビルで現代美術の画廊を開いた。ここで、マン・レイのコレクション展をやろうと云う話しになったのは自然な事だった。丁度、『マン・レイになってしまった人』の刊行が具体化してきた時で、出版記念を兼ねた開廊一周年の展覧会も良いねとなって始動した。この時点での手持ちは、オリジナル18点、ポスター6点、書籍など38点。会場の空間を考慮しながら展示品を考えた。
額装で購入したオリジナルについては、問題なかったが、書籍の見せ方にはアイデアが必要だった。ガラスケースに入れて上から覗くと云ったスタイルは、現物との会話に支障があり、壁面に掛けて厚みを演出するべきだとの結論となった。勤務先で整版用フィルムを手配してもらい木製パネルのサイズを合わせラッピングしてホッチキス固定。傷むかもしれないが訴求力を考慮すればいたしかたない。
『マン・レイ展』 at R ギャラリー
綿谷恭治郎さん
Rギャラリー(名前は息子さんからとったとお聞きした)は三条鴨川ビルの4階、エレベーターを降りると展示壁が眼に飛び込むので、マン・レイの有名なイメージである『天文台の時刻に──恋人たち』を使ったロサンジェルス郡立美術館での大判ポスター(1966年)を掛け、横にジュリエットにサインを入れて頂いたギャラリー・マリオン・メイエのカタログ・シートを飾った(連載第6回『プリアポスの文鎮』参照)。会場にはオリジナルの版画と写真などの他に書籍を6点並べた。それは、シュルレアリスムの先達である山本悍右先生と山中散生氏のお宅で手に取った貴重書4冊『マン・レイ写真集 1920-1934 巴里』『ファシール』『写真は芸術に非ず』『自由な手』に『肖像集』と『自伝』を加えたラインナップで、集めた本人にしてみれば、自分を賞めてあげたいと思うほどの魅力に満ちていた。
マン・レイ関連書 6点
展覧会の会期は1983年9月20日から10月2日。初めてのコレクション展でもあったので、記念のポスター(限定300枚)を作った。絵柄には版画の『自画像』を借用し、「MAN RAY IST」のタイポグラフィでは「R」の文字にこだわって、職場の先輩にアールのレタリングを付けて頂いた。これを、ジュリエットに送ったところ、彼女も喜んで下さったが、オレンジがかった赤色の指定も先輩のアドバイスだった。このようにして準備した展覧会は、日本で珍しかったのか地元のミニコミ誌である『プレイガイドジャーナル』『PELICAN CLUB』『K-ITE LAND』の他に全国誌である『アサヒカメラ』や『ブルータス』などに写真入りで紹介され、期待をもって初日を向かえた。
(故)中村敬治さん他
安東菜々さんと(故)中路則夫さん
左から筆者、山内十三男、(故)川端祥治の各氏
レセプションは17時からで、当時のノートを確認すると64名の参加(12日間で604名)となる大盛況。ビールを飲みながら多くの美術関係者とお話をする事ができた──若い友人の高嶋清俊さんに写真を撮ってもらったので、幾枚かを紹介しておきたい。改めて見直すとジュリエットにサインをしてもらったTシャツを着たわたしのうれしそうな顔にあきれる、来て頂いた方々もみなさん笑顔で、良い時代だと懐かしい。会期中には、名古屋時代にテレビ番組の『土曜日の虎』を観て以来の憧れの人、女優の江波杏子さんがおいでになられ、「わたしも好きなんです」と言われたときには、嬉しかった。
写真5点を掛けた壁面
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江波杏子さんを囲んで
展覧会が好意的に受け入れられたのには、幾つかの要素があると思うが、可処分所得の乏しいサラリーマンによるコレクション展が少なかった時代、まして、コレクター行為を前面に出すような「人」はいなかったのではないだろうか。そのために、多くの人が、「わたしも集めてみたい」と共感されたのだろう。東京から職場まで取材に来られたアサヒカメラ編集部の江幡定夫さんが「マン・レイに狂っちゃった人がいます。もう、ほとんど病気、当人もそういっているのですから、これはまちがいありません。」(『アサヒカメラ』1983年10月号)と上手く書いてくれた。覚えていないが、お金や新しい生活についても答えたようで「「年収の三分の一はコレクションに使っていました。ボーナスが出ると、そのままポケットに入れて東京へ買いにいったことも何度かあります」でも、それはむずかしくなりました。昨年、奥さんをもらったからです。「コレクションというのは、ひどく淋しいもので、手に入れてしまうと、つめたくしてしまう。男と女の関係に似ていますね」と、不穏当なこともいっていました。」とレポートは続いている。──30年前のこの発言を反省しなければいけませんね、家人あってのコレクションです(笑)。その江幡さんが使っていたカメラがミノルタのCLEで格好良かった。そして、編集部で京都土産を頼まれたとの事で美味しい「ちりめん山椒」の店を訊ねられた、これも懐かしい。
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『空間の詩学 文節と統合』展
ディスカッション
Rギャラリーは、公開ディスカッション『INSIDE-OUTSIDE 絵画と現実空間の活性化へ』や中原浩大、松尾直樹による『中間の形成へ』展などを企画し、わたしのコレクション展の後も『ごきげんプレイヤーズ』展や兵庫県立近代美術館の山脇一夫氏による『空間の詩学 文節と統合』展などを通して関西のアートシーンへの発言を続けたが、活動は短期間に終わった。綿谷恭治郎さんは、その後、美術の世界から離れてしまったので、わたしとは疎遠となってしまった。彼は今どうしているのだろうかと、気にかかる。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、ベッティナ・ランスです。
ベッティナ・ランス
「SYLVIA AUX LUNETTES, PARIS」
1984年
ゼラチンシルバープリント
61.0x50.2cm
Ed.15
サインあり
作家と作品については、小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」第10回をお読みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都
8-1 MAN RAY IST
コレクションが増えてくると、マン・レイの意図や制作の時代背景、作品個々の関係性について考えるようになった。直感に頼り、視覚的興味だけで求めるのではなく、理想の展覧会を想定して、ジクソーパズルのピースを埋めるような購入態度を自らに課した(資金の問題かもしれないけど)。そして、収集の楽しみを多くの人に知ってもらいたくなってリストを作った。集めた物を客観的に見たいと云うわたしの側の理由もあったと思う。オリベッティのタイプライターを使ってオリジナル15点と書籍28点、A4サイズで4枚、表紙を「アンナ」のデッサンで飾りタイトルをマン・レイ主義者の意図から「MAN RAY IST」とし、インレタで記した。これをギャラリー16の井上道子さんにお見せし画廊に置いてもらったところ、ある女性がなにげなく「マン・レイになってしまった人ですね」と声を掛けてくれたので、我が意を得たりと嬉しくなった。
ロシア系の移民の子が実際的な理由から1911年頃に改名し、みずから「マン・レイ」と名乗ったのだから、彼は元祖「マン・レイになってしまった人」になる訳で、それに続くファンの一人であるわたしも「マン・レイ」になるのが可能かと期待の持てる会話となった。
コレクションリスト(原稿)---
8-2 芸術家マン・レイへの愛情物語
一人の時間を充分に持っていた独身時代、桂のアパートでマン・レイ作品から受けた諸々の事柄をノートに書き留めていた。この連載ですでに触れた『時間光』や『マン・レイと彼の女友達』といったオマージュと違った、きちんとした研究書を上梓したいと思うようになった。所帯を持って生活の仕方も変わったし、区切りになるだろうと考え、書物の体裁としては、東野芳明氏の『アメリカ『虚像培養国誌』』(美術出版社、1968年刊)のように写真を入れる形を想定した。新妻も表紙の写真に協力してくれたし、マン・レイの未亡人ジュリエットもメッセージを寄せてくださった。タイトルを「マン・レイになってしまった人」とし、刊行日は1回目の結婚記念日である1983年6月6日、銀紙書房と名乗ったとはいえ限定1000部の自費出版本(限定番号を入れた)。本文9ポタテ組みの188頁、本作りと販売の苦労については、改めて報告したいと思っているが、真美印刷の中村宅谷さんにはお世話になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。また、同時期に全国を巡回した毎日新聞社主催の『マン・レイ展』効果で、沢山の方にお求めいただき、数年の内に完売となったのは有り難い事だった(在庫の山が部屋にあるのは心臓に悪いからね)。
古書店で見付かると思うが、念のため目次を転記しておきたい ──「マン・レイのカレイド・スコープ」「写真は芸術にあらず」「マン・レイの瞳は性器である」「日本におけるマン・レイ理解」「マン・レイと彼の女友達」「ジュリエット・マン・レイとの二日間」「コレクションリスト」── 赤ベタ白ヌキの腰巻きには「芸術家マン・レイへの愛情物語」「銀紙書房・限定版 定価1400円」と表記。改めて読み返すと、勘違いも含め客観性に欠ける部分が多いけれど、処女作故の情熱もあるかと、自己弁護したい気分になってしまった。
『マン・レイになってしまった人』銀紙書房刊
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8-3 Rギャラリー
ギャラリー16へ通う内に、同世代の現代作家で画廊の仕事を手伝う綿谷恭治郎さんと仲良くなった。お酒が好きだし話しも面白く、一緒に写真のグループ展をしたし結婚式の司会もしてくれた。彼は奈良の旧家の出身で、しばらくして独立し三条通りの高瀬川西詰めのビルで現代美術の画廊を開いた。ここで、マン・レイのコレクション展をやろうと云う話しになったのは自然な事だった。丁度、『マン・レイになってしまった人』の刊行が具体化してきた時で、出版記念を兼ねた開廊一周年の展覧会も良いねとなって始動した。この時点での手持ちは、オリジナル18点、ポスター6点、書籍など38点。会場の空間を考慮しながら展示品を考えた。
額装で購入したオリジナルについては、問題なかったが、書籍の見せ方にはアイデアが必要だった。ガラスケースに入れて上から覗くと云ったスタイルは、現物との会話に支障があり、壁面に掛けて厚みを演出するべきだとの結論となった。勤務先で整版用フィルムを手配してもらい木製パネルのサイズを合わせラッピングしてホッチキス固定。傷むかもしれないが訴求力を考慮すればいたしかたない。
『マン・レイ展』 at R ギャラリー
綿谷恭治郎さんRギャラリー(名前は息子さんからとったとお聞きした)は三条鴨川ビルの4階、エレベーターを降りると展示壁が眼に飛び込むので、マン・レイの有名なイメージである『天文台の時刻に──恋人たち』を使ったロサンジェルス郡立美術館での大判ポスター(1966年)を掛け、横にジュリエットにサインを入れて頂いたギャラリー・マリオン・メイエのカタログ・シートを飾った(連載第6回『プリアポスの文鎮』参照)。会場にはオリジナルの版画と写真などの他に書籍を6点並べた。それは、シュルレアリスムの先達である山本悍右先生と山中散生氏のお宅で手に取った貴重書4冊『マン・レイ写真集 1920-1934 巴里』『ファシール』『写真は芸術に非ず』『自由な手』に『肖像集』と『自伝』を加えたラインナップで、集めた本人にしてみれば、自分を賞めてあげたいと思うほどの魅力に満ちていた。
マン・レイ関連書 6点展覧会の会期は1983年9月20日から10月2日。初めてのコレクション展でもあったので、記念のポスター(限定300枚)を作った。絵柄には版画の『自画像』を借用し、「MAN RAY IST」のタイポグラフィでは「R」の文字にこだわって、職場の先輩にアールのレタリングを付けて頂いた。これを、ジュリエットに送ったところ、彼女も喜んで下さったが、オレンジがかった赤色の指定も先輩のアドバイスだった。このようにして準備した展覧会は、日本で珍しかったのか地元のミニコミ誌である『プレイガイドジャーナル』『PELICAN CLUB』『K-ITE LAND』の他に全国誌である『アサヒカメラ』や『ブルータス』などに写真入りで紹介され、期待をもって初日を向かえた。
(故)中村敬治さん他
安東菜々さんと(故)中路則夫さん
左から筆者、山内十三男、(故)川端祥治の各氏レセプションは17時からで、当時のノートを確認すると64名の参加(12日間で604名)となる大盛況。ビールを飲みながら多くの美術関係者とお話をする事ができた──若い友人の高嶋清俊さんに写真を撮ってもらったので、幾枚かを紹介しておきたい。改めて見直すとジュリエットにサインをしてもらったTシャツを着たわたしのうれしそうな顔にあきれる、来て頂いた方々もみなさん笑顔で、良い時代だと懐かしい。会期中には、名古屋時代にテレビ番組の『土曜日の虎』を観て以来の憧れの人、女優の江波杏子さんがおいでになられ、「わたしも好きなんです」と言われたときには、嬉しかった。
写真5点を掛けた壁面---
江波杏子さんを囲んで展覧会が好意的に受け入れられたのには、幾つかの要素があると思うが、可処分所得の乏しいサラリーマンによるコレクション展が少なかった時代、まして、コレクター行為を前面に出すような「人」はいなかったのではないだろうか。そのために、多くの人が、「わたしも集めてみたい」と共感されたのだろう。東京から職場まで取材に来られたアサヒカメラ編集部の江幡定夫さんが「マン・レイに狂っちゃった人がいます。もう、ほとんど病気、当人もそういっているのですから、これはまちがいありません。」(『アサヒカメラ』1983年10月号)と上手く書いてくれた。覚えていないが、お金や新しい生活についても答えたようで「「年収の三分の一はコレクションに使っていました。ボーナスが出ると、そのままポケットに入れて東京へ買いにいったことも何度かあります」でも、それはむずかしくなりました。昨年、奥さんをもらったからです。「コレクションというのは、ひどく淋しいもので、手に入れてしまうと、つめたくしてしまう。男と女の関係に似ていますね」と、不穏当なこともいっていました。」とレポートは続いている。──30年前のこの発言を反省しなければいけませんね、家人あってのコレクションです(笑)。その江幡さんが使っていたカメラがミノルタのCLEで格好良かった。そして、編集部で京都土産を頼まれたとの事で美味しい「ちりめん山椒」の店を訊ねられた、これも懐かしい。
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『空間の詩学 文節と統合』展ディスカッション
Rギャラリーは、公開ディスカッション『INSIDE-OUTSIDE 絵画と現実空間の活性化へ』や中原浩大、松尾直樹による『中間の形成へ』展などを企画し、わたしのコレクション展の後も『ごきげんプレイヤーズ』展や兵庫県立近代美術館の山脇一夫氏による『空間の詩学 文節と統合』展などを通して関西のアートシーンへの発言を続けたが、活動は短期間に終わった。綿谷恭治郎さんは、その後、美術の世界から離れてしまったので、わたしとは疎遠となってしまった。彼は今どうしているのだろうかと、気にかかる。
続く
(いしはらてるお)
■石原輝雄 Teruo ISHIHARA(1952-)
1952年名古屋市生まれ。中部学生写真連盟高校の部に参加。1973年よりマン・レイ作品の研究と収集を開始。エフェメラ(カタログ、ポスター、案内状など)を核としたコレクションで知られ、展覧会企画も多数。主な展示協力は、京都国立近代美術館、名古屋市美術館、資生堂、モンテクレール美術館、ハングラム美術館。著書に『マン・レイと彼の女友達』『マン・レイになってしまった人』『マン・レイの謎、その時間と場所』『三條廣道辺り』、編纂レゾネに『Man Ray Equations』『Ephemerons: Traces of Man Ray』(いずれも銀紙書房刊)などがある。京都市在住。
◆石原輝雄のエッセイ「マン・レイへの写真日記」目次
第1回「アンナ 1975年7月8日 東京」
第1回bis「マン・レイ展『光の時代』 2014年4月29日―5月4日 京都」
第2回「シュルレアリスム展 1975年11月30日 京都」
第3回「ヴァランティーヌの肖像 1977年12月14日 京都」
第4回「青い裸体 1978年8月29日 大阪」
第5回「ダダメイド 1980年3月5日 神戸」
第6回「プリアポスの文鎮 1982年6月11日 パリ」
第7回「よみがえったマネキン 1983年7月5日 大阪」
第8回「マン・レイになってしまった人 1983年9月20日 京都」
第9回「ダニエル画廊 1984年9月16日 大阪」
第10回「エレクトリシテ 1985年12月26日 パリ」
第11回「セルフポートレイト 1986年7月11日 ミラノ」
第12回「贈り物 1988年2月4日 大阪」
第13回「指先のマン・レイ展 1990年6月14日 大阪」
第14回「ピンナップ 1991年7月6日 東京」
第15回「破壊されざるオブジェ 1993年11月10日 ニューヨーク」
第16回「マーガレット 1995年4月18日 ロンドン」
第17回「我が愛しのマン・レイ展 1996年12月1日 名古屋」
第18回「1929 1998年9月17日 東京」
第19回「封印された星 1999年6月22日 パリ」
第20回「パリ・国立図書館 2002年11月12日 パリ」
第21回「まなざしの贈り物 2004年6月2日 銀座」
第22回「マン・レイ展のエフェメラ 2008年12月20日 京都」
第23回「天使ウルトビーズ 2011年7月13日 東京」
第24回「月夜の夜想曲 2012年7月7日 東京」
番外編「新刊『マン・レイへの写真日記』 2016年7月京都」
番外編─2『Reflected; 展覧会ポスターに見るマン・レイ』
番外編─2-2『マン・レイへの廻廊』
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●今日のお勧め作品は、ベッティナ・ランスです。
ベッティナ・ランス「SYLVIA AUX LUNETTES, PARIS」
1984年
ゼラチンシルバープリント
61.0x50.2cm
Ed.15
サインあり
作家と作品については、小林美香さんのエッセイ「写真のバックストーリー」第10回をお読みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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