マルセル・デュシャンとマルチプル~その1
工藤香澄
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887-1968)は1912年頃に絵画をやめて渡米し、レディメイドの制作、そして代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(《大ガラス》)に熱心に取り組み、1923年に《大ガラス》を未完のまま放棄した。その後デュシャンは、余技的な仕事だけを行うようになり、チェスに没頭し、芸術家をやめたという噂も立つことになった。実際に制作は密かに行われていたのだが、その事に気づく者は少なかった。
知る人ぞ知るマルセル・デュシャンが、再評価され、美術史にその名を刻むようになったのは実は1950年代後半以降である。そしてその評価に、マルチプルが果たした役割は非常に大きい。ここでは、デュシャンとマルチプルという問題を考えるにあたって、まずは《グリーン・ボックス》について検討し、デュシャンの再評価とマルチプル制作、そして日本におけるデュシャンのマルチプルの広がりとして、瀧口修造(1903-1979)について述べたいと思う。
グリーン・ボックス
美術界から引退したように思われていたデュシャンだが、1934年に緑色のスウェードを貼った箱―通称《グリーン・ボックス》(《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》)を私家版として出版する。この箱の中には、20世紀における最も複雑で美しい作品《大ガラス》に関係するスケッチ、メモ類、写真などが綴じられずに、ばらばらのまま放り込まれている。《グリーン・ボックス》と《大ガラス》(fig.1)は同じく《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》というタイトルをもつ、対になる作品であり、《グリーン・ボックス》はデュシャンの思考を読み解くための最も重要なノートである。
fig.1
《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
1915-1923, フィラデルフィア美術館蔵
このノートとは、デュシャンが《大ガラス》の構想期間である1912年から15年の間に、書き留めたものである。デュシャンは《大ガラス》を放棄した約10年後に、この紙片を寸法や紙質にこだわって《グリーン・ボックス》を320部制作した。デュシャンにとっては、メモの全てをオリジナルと寸分の違いもなく再現することが重要だった。走り書きや、インクの染みなどもそのままである。
なぜデュシャンはこの時期に、《グリーン・ボックス》を出版しようとしたのだろうか。おそらくその大きな理由は、《大ガラス》が破損したことだと考えられる。1926年に展示した《大ガラス》の梱包を1931年に開けると、ガラスに亀裂が入っていたのである。後にはそのひびさえも気に入っていた様子だが、デュシャンはショックを受けたことだろう。多くの人に理解される前に、《大ガラス》そのものが失われる危険すらあるのだから。それゆえにデュシャンは補修を行い、作品の理解の一助とするために、《大ガラス》と同じ題名のメモを公開しようと考えたのではないか。
デュシャンは一貫して、《大ガラス》はただ目で見るためのものではなく、思考の集積であり、そこでは言葉によって伝えられる要素が目に映るものと同等、またそれ以上に重要と主張し続けてきた。メモがなければ、《大ガラス》を見ても様々な部分が何を表しているのか、またそこで何をしているのかまるで見当もつかないだろう。実際、アンドレ・ブルトンはグリーン・ボックスのメモを丹念に読み込み、翌年に初めての《大ガラス》論であり、現在でも最重要エッセイである「花嫁の燈台」を発表している。
さて、ここで《グリーン・ボックス》の特徴である「マルチプル」という点について考えたい。マルチプルとは、版画や塑像とは別の作品を示し、20世紀の中ごろから、制作数を限定せずに様々な工業技術の工程を使って生産されるようになった美術の形式だと定義しておこう。
デュシャンは1913年以降、日用品を美術品へと転換させるレディメイド制作を行ってきたが、実はその数は非常に少ない。残っているオリジナルはさらに少ない。例えばかの有名な《泉》(1917年)の実物を見た人は、当時からほとんどいない。私たちが目にする1917年の《泉》は、小冊子『ブラインド・マン』2号に掲載されたアルフレッド・スティーグリッツの撮影した写真(fig.2)であり、実作は紛失している。そもそも、現在私たちが目にしている多くのデュシャン作品はマルチプルなのである。そのマルチプルを制作する最初のきっかけになったのが、《グリーン・ボックス》だと考えてよいだろう。
fig.2
「独立展で拒否された作品:R.マット《泉》
写真:アルフレッド・スティーグリッツ」
(その2に続く/11月12日に掲載)
(くどう・かすみ/横須賀美術館主任学芸員)
■工藤香澄(くどう・かすみ)
2004年慶應義塾大学美学美術学前期博士課程終了。同年、横須賀市教育委員会美術館開設準備室学芸員。2007年横須賀美術館学芸員。主な展覧会として、2007年『開館記念<生きる>展 現代作家9人のリアリティ』2009年『芥川紗織展』、2009年『白髪一雄展 格闘から生まれた絵画』、2011年『生誕100年 川端実展 東京―ニューヨーク』、2013年『街の記憶―写真と現代美術でたどるヨコスカ』、2014年『小林孝亘展―私たちを夢見る夢』。
●「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」より出品作品を順次ご紹介します。
出品No.17)
マルセル・デュシャン
《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(グリーン・ボックス)》(千葉市美術館、p.94 No.4)
1934年
メモ、図面、作品等の複製、写真、箱
33.2x28.0x2.5cm
※参考出品
出品No.18)
マルセル・デュシャン
《大ガラス》
1967年
エッチング
アクリルケース:43.3x27.7x7.1cm
Ed.150
マルセル・デュシャンと著者の自筆サインあり

展示写真
テーブルの上、左が「グリーン・ボックス」
真ん中がシュヴァルツの「大ガラス」
右が「檢眼圖」のケース
右端が「檢眼圖」
壁面には、奈良原一高の写真作品「大ガラス」
出品No.1)
瀧口修造
「II-40」
デカルコマニー、紙
Image size: 13.7x19.6cm
Sheet size: 13.7x19.6cm
※「II-40」裏面
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは2014年11月5日[水]―11月22日[土]「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」を開催しています(*会期中無休)。

1月と3月に続く3回展です。
瀧口修造のデカルコマニー、ドローイング、《シガー・ボックス》、《シガー・ボックス TEN-TEN》、《扉に鳥影》、マルセル・デュシャンの《グリーン・ボックス》、オリジナル銅版画『大ガラス』、奈良原一高の写真《デュシャン 大ガラス》連作、瀧口修造・岡崎和郎《檢眼圖》をご覧いただき、瀧口とデュシャンとの交流の実相と精神的な絆の一端を明らかにします。
●11月15日(土)17時より土渕信彦さん(瀧口修造研究)によるギャラリー・トークを開催します。
*要予約(会費1,000円)
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com
●デカルコマニー47点を収録したカタログ『瀧口修造展Ⅱ』(テキスト:大谷省吾)を刊行しました(2,160円+送料250円)。
2014年 ときの忘れもの 発行
64ページ 21.5x15.2cm
執筆:大谷省吾「瀧口修造のデカルコマニーをめぐって」
再録:瀧口修造「百の眼の物語」(『美術手帖』216号、1963年2月、美術出版社)
ハードカバー
英文併記
『瀧口修造展Ⅰ』と合わせご購読ください。
工藤香澄
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887-1968)は1912年頃に絵画をやめて渡米し、レディメイドの制作、そして代表作《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》(《大ガラス》)に熱心に取り組み、1923年に《大ガラス》を未完のまま放棄した。その後デュシャンは、余技的な仕事だけを行うようになり、チェスに没頭し、芸術家をやめたという噂も立つことになった。実際に制作は密かに行われていたのだが、その事に気づく者は少なかった。
知る人ぞ知るマルセル・デュシャンが、再評価され、美術史にその名を刻むようになったのは実は1950年代後半以降である。そしてその評価に、マルチプルが果たした役割は非常に大きい。ここでは、デュシャンとマルチプルという問題を考えるにあたって、まずは《グリーン・ボックス》について検討し、デュシャンの再評価とマルチプル制作、そして日本におけるデュシャンのマルチプルの広がりとして、瀧口修造(1903-1979)について述べたいと思う。
グリーン・ボックス
美術界から引退したように思われていたデュシャンだが、1934年に緑色のスウェードを貼った箱―通称《グリーン・ボックス》(《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》)を私家版として出版する。この箱の中には、20世紀における最も複雑で美しい作品《大ガラス》に関係するスケッチ、メモ類、写真などが綴じられずに、ばらばらのまま放り込まれている。《グリーン・ボックス》と《大ガラス》(fig.1)は同じく《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》というタイトルをもつ、対になる作品であり、《グリーン・ボックス》はデュシャンの思考を読み解くための最も重要なノートである。
fig.1 《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》
1915-1923, フィラデルフィア美術館蔵
このノートとは、デュシャンが《大ガラス》の構想期間である1912年から15年の間に、書き留めたものである。デュシャンは《大ガラス》を放棄した約10年後に、この紙片を寸法や紙質にこだわって《グリーン・ボックス》を320部制作した。デュシャンにとっては、メモの全てをオリジナルと寸分の違いもなく再現することが重要だった。走り書きや、インクの染みなどもそのままである。
なぜデュシャンはこの時期に、《グリーン・ボックス》を出版しようとしたのだろうか。おそらくその大きな理由は、《大ガラス》が破損したことだと考えられる。1926年に展示した《大ガラス》の梱包を1931年に開けると、ガラスに亀裂が入っていたのである。後にはそのひびさえも気に入っていた様子だが、デュシャンはショックを受けたことだろう。多くの人に理解される前に、《大ガラス》そのものが失われる危険すらあるのだから。それゆえにデュシャンは補修を行い、作品の理解の一助とするために、《大ガラス》と同じ題名のメモを公開しようと考えたのではないか。
デュシャンは一貫して、《大ガラス》はただ目で見るためのものではなく、思考の集積であり、そこでは言葉によって伝えられる要素が目に映るものと同等、またそれ以上に重要と主張し続けてきた。メモがなければ、《大ガラス》を見ても様々な部分が何を表しているのか、またそこで何をしているのかまるで見当もつかないだろう。実際、アンドレ・ブルトンはグリーン・ボックスのメモを丹念に読み込み、翌年に初めての《大ガラス》論であり、現在でも最重要エッセイである「花嫁の燈台」を発表している。
さて、ここで《グリーン・ボックス》の特徴である「マルチプル」という点について考えたい。マルチプルとは、版画や塑像とは別の作品を示し、20世紀の中ごろから、制作数を限定せずに様々な工業技術の工程を使って生産されるようになった美術の形式だと定義しておこう。
デュシャンは1913年以降、日用品を美術品へと転換させるレディメイド制作を行ってきたが、実はその数は非常に少ない。残っているオリジナルはさらに少ない。例えばかの有名な《泉》(1917年)の実物を見た人は、当時からほとんどいない。私たちが目にする1917年の《泉》は、小冊子『ブラインド・マン』2号に掲載されたアルフレッド・スティーグリッツの撮影した写真(fig.2)であり、実作は紛失している。そもそも、現在私たちが目にしている多くのデュシャン作品はマルチプルなのである。そのマルチプルを制作する最初のきっかけになったのが、《グリーン・ボックス》だと考えてよいだろう。
fig.2「独立展で拒否された作品:R.マット《泉》
写真:アルフレッド・スティーグリッツ」
(その2に続く/11月12日に掲載)
(くどう・かすみ/横須賀美術館主任学芸員)
■工藤香澄(くどう・かすみ)
2004年慶應義塾大学美学美術学前期博士課程終了。同年、横須賀市教育委員会美術館開設準備室学芸員。2007年横須賀美術館学芸員。主な展覧会として、2007年『開館記念<生きる>展 現代作家9人のリアリティ』2009年『芥川紗織展』、2009年『白髪一雄展 格闘から生まれた絵画』、2011年『生誕100年 川端実展 東京―ニューヨーク』、2013年『街の記憶―写真と現代美術でたどるヨコスカ』、2014年『小林孝亘展―私たちを夢見る夢』。
●「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」より出品作品を順次ご紹介します。
出品No.17)マルセル・デュシャン
《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(グリーン・ボックス)》(千葉市美術館、p.94 No.4)
1934年
メモ、図面、作品等の複製、写真、箱
33.2x28.0x2.5cm
※参考出品
出品No.18)マルセル・デュシャン
《大ガラス》
1967年
エッチング
アクリルケース:43.3x27.7x7.1cm
Ed.150
マルセル・デュシャンと著者の自筆サインあり

展示写真
テーブルの上、左が「グリーン・ボックス」
真ん中がシュヴァルツの「大ガラス」
右が「檢眼圖」のケース
右端が「檢眼圖」
壁面には、奈良原一高の写真作品「大ガラス」
出品No.1)瀧口修造
「II-40」
デカルコマニー、紙
Image size: 13.7x19.6cm
Sheet size: 13.7x19.6cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは2014年11月5日[水]―11月22日[土]「瀧口修造展 III 瀧口修造とマルセル・デュシャン」を開催しています(*会期中無休)。

1月と3月に続く3回展です。
瀧口修造のデカルコマニー、ドローイング、《シガー・ボックス》、《シガー・ボックス TEN-TEN》、《扉に鳥影》、マルセル・デュシャンの《グリーン・ボックス》、オリジナル銅版画『大ガラス』、奈良原一高の写真《デュシャン 大ガラス》連作、瀧口修造・岡崎和郎《檢眼圖》をご覧いただき、瀧口とデュシャンとの交流の実相と精神的な絆の一端を明らかにします。
●11月15日(土)17時より土渕信彦さん(瀧口修造研究)によるギャラリー・トークを開催します。
*要予約(会費1,000円)
※必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申込ください。
E-mail. info@tokinowasuremono.com
●デカルコマニー47点を収録したカタログ『瀧口修造展Ⅱ』(テキスト:大谷省吾)を刊行しました(2,160円+送料250円)。
2014年 ときの忘れもの 発行64ページ 21.5x15.2cm
執筆:大谷省吾「瀧口修造のデカルコマニーをめぐって」
再録:瀧口修造「百の眼の物語」(『美術手帖』216号、1963年2月、美術出版社)
ハードカバー
英文併記
『瀧口修造展Ⅰ』と合わせご購読ください。
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